アウトサイダー
透野 紺
男、拾いました。
第1話
「お先に失礼します!」と声を掛けて、颯爽と【従業員専用】と書かれた重たいドアを開ける。
外へ出ると空はすっかり藍色に染まり、星が瞬き始めていた。
今日もお疲れ様なんて、心の中で自分を労りつつも、疲労の溜まった重たい足を引き摺るように前へと進める。
街頭がぼんやりと照らすアスファルトを歩き、大通りに出るとヘッドライトを付けた何台もの車が視界を流れるように去っていく。
交通量の多い大通りには、ご飯時で賑わう店々が並び、何処からか肉が焼けるなんとも美味しそうな匂いが漂っていた。
途端にグルグルと鳴り始めた腹に、思わず溜め息を吐く。
視界を上げると、ちょうど【焼き肉食べ放題】とデカデカと書かれた看板が目に入った。
ゴクリと、無意識に喉を鳴らす。
仕事終わりのこの時間は身体も心も疲れ切っていて、お腹なんてペコペコだ。
しかし、今夜の夕飯のメニューは昨日の残りのカレーだともう決まっている。
というか、そもそも焼き肉食べ放題なんて行ける金銭的余裕は今の私には無いのだけど。
鍋の中で私の帰りを健気に待つカレーを思い出して、なんとか誘惑を断ち切るように頭を強く振る。
そして、焼き肉食べ放題の看板をなるべく視界に入れないようにしながら、私は再び自宅を目指さして歩き出した。
大通りを囲うように両脇に植えられた桜並木は、ちょうど見頃を迎えていて、ひらひらと頭上を薄紅色の花弁が散っていく。
その光景にもう春かなんて、季節の移り変わりの早さにまた溜め息が出そうになった。
高校を卒業してから、もう一年が経つ。
今年の夏に二十歳を迎えるはずの私は、軽く人生に絶望していた。
周りに上手く馴染めず、大して楽しくもなった学生時代。
友達も居なかった一人ぼっちの学生生活は、想像以上に地獄だった。
仲良くもないクラスメイト達がいる教室で授業を受けることさえも苦痛で、学校という狭い世界でいかに目立つことなく、嫌われることなく無難に過ごすか、それだけを意識して息を殺すように過ごしていた日々。
自分だけが酷く浮いているような気がして、怖くて仕方なかった。
呼吸さえも上手くできないくらいの息苦しさに、とにかく逃げ出したくて私はいつも保健室に通った。
今でも目を瞑れば、あの白い壁に包まれた保健室の安心感を思い出す。
こんな私のことを、いつも優しく迎え入れてくれた保健室の先生は私の憧れだった。
いつか、あんな大人になりたいと思っていた。
あの日々から、一年。
大人になれば、もっと自由になれると思っていた。
欠席しがちで出席日数ぎりぎり、何十時間もの補習を受けてなんとか高校を卒業することが出来た私は、もちろん大学や専門学校に行けるはずも無く、成り行きで地元のスーパーで働いている。
確かにあの頃よりもお金はあるし、学生時代特有の息苦しさは薄れたような気がする。
けれど、何ひとつ変わり映えしない日々の無限ループに、自分が前進しているのか後退しているのかも分からない。
ただ一日を終わらせることに精一杯で、季節を感じる余裕さえ失っていた。
別に今が凄く辛いわけじゃないけど、なんだか味気ないような気がする。
こんなふうに疲れて仕事から帰っている時には、どうしてか無意識に考えてしまう。
いつまでこれが続くのだろうか、いつになったら私はこの世界で上手く生きられるのだろうか。
終わりの見えない膨大な日々に、学生の時も今もどうやって生きていけば良いのか、私は今だによく分からない。
そんな考えても答えが出ないことを考えながら、桜並木の華やかな大通りから一本細い道に入った。
大通りと比べて交通量も少なく、人気の無いこの道は少し薄気味悪い。
道の脇に連なるコンクリートの塀には、スプレーで描かれた派手な落書きが治安の悪さを演出しているようで、毎晩自宅までのこの道を通る時はヒヤリとするのだ。
徐々に急ぎ足になりながらも自宅へ向かっていれば、暗い路地裏から何やら「ボゴッ!」と鈍い音が聞こえてきた。
「死ね!クソが!」
「ぶっ殺してやる!」
聞こえて来た殺気立った声に、ゾクリと背筋が震える。
一体何事だと騒がしい路地裏に視線を向ければ、数人の集団が誰か一人に向って拳を振り上げていた。
皮膚をぶつ痛々しい音と、荒い息遣い。
リンチというやつだろうか。
生まれて初めて見る暴力が飛び交う光景に、血の気が引いた。
暴力を浴びせられている一人の男は、もう気絶してしまっているのか何の反応も示さない。
後ろから羽交い締めにされ、殴られるたびにぐったりと首が揺れるその様子は、もしかして死んでしまっているのではないかと最悪の事態を思わせる。
それでも殴ることを止めない集団の残酷さに、私は心臓をキュッと掴まれたように固まった。
「…チッ!もう行くぞ。」
いくら殴っても反応の無い相手に、リンチしていた集団は飽きたように言い捨てた。
散々羽交い締めにしていた男を、路地裏に放置されているゴミの上にドサリと投げ捨てると、ガラの悪い集団はゾロゾロと路地裏から離れていく。
私はその様子を、落書きだらけのコンクリートの塀に身を隠しながら密かに覗いていた。
突然遭遇した出来事に、心臓がドクンドクンと激しく鳴っている。
それでも上手く力が入らない足でなんとか踏ん張り、ゆっくりと落書きだらけの壁から出ると私は急いで倒れ込む男に駆け寄った。
「…だ、大丈夫ですか!?」
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