大切なもの

小狸

短編

 *


「ああ、そういえば、実家に置いてあったあんたの小説と漫画、全部売っておいたから、一夫かずおさんの本を処分するついでに。あの部屋物置になっているし、正直邪魔だったのよね。結構良い値段になったんだけど、お宝本でもあったの?」

 

 思わず母をぶん殴りそうになった。


 父の葬式が終わって、ひと段落して、久方ぶりに実家に帰った時の話である。


 父は来年を定年に控えているある夜、普通に寝て、朝起きたら亡くなっていた。


 とても静かな遺体だった。


 棺の中の父は、安らかで、まるで生きているようにも見えた。


「……なんで?」


 背中が、震えていたように思う。


「だって、もう読んだんでしょう? それに漫画なんて、何の役にも立たないじゃない。あなたの読むような小説だって、どうせライトノベルでしょ? 孫たちに悪い影響でも出たらどうするの?」


「…………」


 そうだ、母は、そういう人だった。


 父が本の虫だったのとは対極的な人だった。


 外出が好きで、いつも誰かと外出していた。


 そして読書なんてただ格好つけているだけと決めつけて、いつも父を小馬鹿にしていた。私も本の虫――とはいかないまでも、読書は大好きだったので、父の味方についた。


 そんな母は家庭内で静かに孤立していたように思う。


「お金」


「え?」


「せめて――勝手に売ったお金を返してよ。良いお値段になったんでしょ。その中の大半は、私のお小遣いで買った小説だし、漫画だよ」


「そのお小遣いは、誰が家計から払ったお金だと思っているの? 全く、一夫さんが亡くなったからって、調子に乗らないで頂戴」


 母は、一度決めたことを曲げない。


 漫画やアニメのキャラクター付けで、「己の意志を曲げない」ことは格好良いこととして賛美されているけれど、現実でいればこんなものである。


 はた迷惑なことこの上ない。


 何が孫への影響、だ。


 お前の存在が一番悪影響だよと、声を大にして言いたいくらいである。


「…………」


 勝手に本を売られたショックから、ようやく立ち直ってきた。


 私は今、別の地方で夫と、五歳、三歳の姉妹と暮らしている。


 子どもは可愛い盛り、憎らしい盛りである。まあいつかこの子たちにも反抗期が来て、現状のパパ大好きからパパ大嫌いになるのだろうかと思うと、なかなかどうして想像ができない。


 夫と娘たちと、葬式に参列した。

 

 葬式は、親族間で静かに行われた。


 娘たちにとっては初めての葬式だった。


 大人しくしていてくれるか心配だったけれど、下の子が多少ぐずっただけで、何とか式を終えることができた。遊びたいし知らない場所だし、不安も期待も多かっただろうに、我が子ながら(親ばかかもしれないけれど)よく我慢したと思う。


 そして――その安堵から、一転。


 取り敢えず父の遺品整理をすることになったのだが――その折の話である。


 前述の通り、父は本の虫だった。


 読書を何より愛していた。


 そんな父の大切なものを売るのは、一億歩譲って良いとしよう。


 でも――私の本は?


 二十余年経過して、ようやっと理解した。


 遅すぎたくらいである。


 人の大切なものを、そういう風に扱う人間だったのか、この親は。


 私はまだ、生きているというのに。


 自分の子どもだからって、下に見ているのだ。


 そう思わなければ、立ち行かなくなるプライドがあったから。


 自分。


 自分。


 自分。


 いつも自分だ。


 ああ。


 そっか。


 私は理解した。


 父の死によって、何とか繋がっていた、母と私との間の何かが、もう切れてしまったのだ。


「…………」


 夫と娘たちは、一階でテレビを観て遊んでいる。


 この会話は、彼らには届いていない。


 夫と娘たちには、良い顔をするのだ、この母は。


「そうそう、私の介護の話なんだけどね――」


 矢継ぎ早に口を開いた母を、私は平手で叩いた。


 思ったより威力が出てしまったようで、母は廊下から部屋の中に吹っ飛んだ。


 母は、何も言わなかった。


 何も言えなかった、の方が正しいか。


 驚嘆して、口をぱくぱくさせて、叩かれた頬に手を当てて、わなわなと震えていた。


 私には反抗期が無かった。


 こいつが、反抗させてもらえないように、育てられたからだ。


「…………」


 言おうと決めた。


 心が、そう決めていた。


 一人娘からの、遅すぎる、生まれて初めての反抗期。


 心して受け取れ。



「あなたのことがずっと嫌いでした」



 何も言えずに腰を抜かしている母を無視して、私は一階へと階段を駆け下りた。


 リビングでくつろいでいる夫と娘二人を連れて、すぐさま家を後にした。


 後ろは振り返らなかった。

 

 さよならは言わなかった。


 もう二度と、帰ることはないだろうから。




(「大切なもの」――了)

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大切なもの 小狸 @segen_gen

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