後ろ歩きのガァネット

九日晴一

1章:人々は秋を好んだ

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 四季に恵まれたニホンの人々は、秋を好むという。

 春は花粉と受験、就職という煩わしさが邪魔をする。夏は温暖化も相まって地獄と化す。冬は乾燥とウイルスの活発化。平和なのは秋ぐらい。さらに言えば、耳障りな虫も少なく、おしゃれの幅も広がる。多くの食べ物が旨みを募らせるのが素晴らしい。一年中苦しめられる忙しさも、この時期はなりを潜める。若者にとっては、青春という鮮やかさが最高潮に達する時期でもある。

 ゆえに。若者が健やかに成長するには秋が最適ではないか? 大人たちはそう判断したのだ。

 秋は感情が豊かになる。文化祭や修学旅行などの行事が集中しているから、という理由もあるが、単純に交流が捗るイメージが強い。学生として、人として。秋という季節は、人々に深みをもたらすのだ。

「いらっしゃいませ」

 ベルを揺らしながらの来店に、女性の声がかかる。およそ普通のやりとりが、今となっては懐かしい。

「ごめんなさい。今の時期は完全予約制でして……」

 高身長。穏やかな物腰。おそらく年上。大学生くらいかもしれない。ベージュの髪を流した店員がカウンターから出てくる。グリーンのエプロンと白い肌が、モダンな店内の一部に思えた。

「おそらく、予約していると思います」

 僕は曖昧な受け答えをする。彼女は数度目をぱちくりさせて、微笑んだ。どうやら事情をすべて汲んでくれたらしい。

「ご予約名は?」

 困った。自分か、それとも誘い主か。いったいどちらの名前で予約したのか、わからない。

幕間まくあいじゅん。予約名簿になければ──秋の悪魔」

 この答え方で合っているだろうかという疑問を、

「どうぞ、こちらへ」

 店員の態度が晴らしてくれた。

 隠れ家らしい店内を進みながら、壁の張り紙に目を向ける。

 『儀式のやり方』──似つかわしくない文言に、砂糖とコーヒー、可愛らしい悪魔の絵が描かれていた。

 それを眺めていると、今朝からここまでの時間がすべて夢かのように思えてくる。あるいは。こうして知覚できている今も夢の只中なのでは、と。


 二〇××年。

 ニホン生まれニホン育ちのすべての高校生は、ナガノ県で三年間を過ごすことが義務付けられた。

 ナガノ県は列島のなかでも標高が高く、太陽がすこし近い。登山やスキーといったレジャーが有名で、水は澄み、食べ物は美味しい。県は山々に囲まれ、台風の被害は比較的少ない。地震はあるが津波の心配もない。

 都市圏から移り住みたいと考える者も多い。なにせニホンの中心に位置する県だ。移動にはトンネルを何個も潜らねばならない秘境めいた立地ではあるが、素晴らしい場所だ。暮らしていくには豊かで穏やかで過ごしやすい。

 今や過去の話だが。

 ナガノ県に高校生が囚われるようになったのは、ニホンのトップたちが、とある悪魔と契約を交わしたことに起因する。

 ニホンの未来を決める重要人物たちを人質にとり、強引に契約を迫った悪魔。どこからともなく現れて、政治の中核に、笑いながら銃口を向けた悪魔。彼、あるいは彼女の姿を知るものは、国会を占拠された当時、会場にいた者のみだろう。空からの中継も不自然にぼやけた映像だけ。隠し撮った写真も謎の光で映らない。

 当時のニュースは動画配信サイトでみられる。沈黙させられた国会も、危機迫るニュースキャスターの声も、議論する大学教授も、撤退した機動部隊の有り様も。悪魔の姿を除いて、たしかにそれらは記録に残っている。

 悪魔は唐突に現れ、国の未来を人質にとり、『すべての高校生はナガノ県で過ごせ』という契約を取りつけた。

 契約に従い、ナガノ県は変わった。

 まず、不要な大人は全員追い出された。ナガノ県外に移住を余儀なくされ、政府から支援金が配られた。土地開発も急ピッチで行われ、隣県に家屋が何棟も出来上がった。

 次いで、山が変形した。より高く、より厚く。当時の専門家はこう説明した。航空写真をスクリーンに映し出し、ナガノ県内の面積をひと回りもふた回りも狭めた、と。そんなことが可能なのか? という疑問に答えたのは、人質から解放された国会議員だった。

 曰く、「ヤツはそれができる存在だ」と。

 一見すればただの侵略。しかし交わしたのは契約だ。ニホン側が得られたものもある。

 卒業して戻った生徒の多くが、国にとって理想的な姿へ成長していた。ニホンの未来を担うに値する、素晴らしい大人へと。次代を創る、真っ直ぐな人間性を得て。

 つまり悪魔はニホンのナガノ県を支配し、代わりに──隙ひとつない、完璧な成育環境を実現したのである。


 視界を、桜が舞う。

「本当に大丈夫? お金は毎月支給されるらしいから大丈夫だと思うけど、一応入れといたから。衣服は向こうでも買いなさいね。部屋の掃除しなさいよ? お風呂にも毎日入ること」

「心配しないで。ニュースでも言ってたろ、無法地帯で生き抜く訳じゃないんだ。大人も少ないけど残ってるって噂だ。困らないと思う」

 母が、僕の肩を叩く。

「とにかく。ちゃんと食事と睡眠をとること。無茶なことはしないこと。あっそうだ、ウチの電話番号のメモも渡さなきゃ」

「母さんその辺にしておけ。じきに巡のグループも出発する。ここまできたら送り出すしかないんだから。なっ」

 父さんが宥めて、僕は困った風に笑った。そうだね、と。

 ナガノ県へ続く大トンネル──その入り口付近は自然を切り開かれ、砂利が敷かれていた。悪魔がナガノ県を支配してから五年。ここ一帯はすでに見送る場所として定着しており、周囲を桜並木が飾っている。その下には数々の大型バスが並び、今なお新しい学校の生徒たちが降りてくる。遠くには自家用車も並んでいて、見送りにきている親たちが生徒と話していた。

「しかし初めてきたが、すごい量だな」

「……そうだね」

 ブレザー姿で溢れかえる様は圧巻だ。高校受験という制度は悪魔の所為で、否、お陰でなくなり、あらゆる都道府県からここへ集められる。西ニホン側のトンネルでこの量となると、東ニホン側のトンネルはどれだけ大規模なのだろう。桜も多めに植えられているのだろうか。

 そびえ立つ山をみあげる。視界に広がる青空の四割を、春の景色が埋めつくしていた。視線を落とし、黒く口を開けたトンネルを見やる。

 どこかの県のどこかの学校の一団が、列となって流れ込んでいく。みな一様にデカいリュックを背負い、一緒にスーツケースを引いている生徒もいた。

「はいこれっ、ウチの電話と、母さんと父さんの携帯。無くしちゃダメだよ」

 定期入れに突っ込みながら、苦笑いする。

「まぁ、悪魔サンも手紙は許してくれるんだ、ヨシとしようじゃないか」

「もうあなた! 楽観的すぎるのよ!」

「いたっ! 脚を踏むのはやめなさい!」

「はは、気が向いたら、手紙かくよ」

「そ、そうしなさい。いたた……まぁ人生経験だと思って楽しんできたらいい」

「気をつけなさいね!」

 両親に三年間の別れを告げた僕は、先日卒業式を行ったばかりの中学校のグループへ合流した。数人の級友と不安やら期待感やらを共有して、リュックを背負いなおす。生徒たちは三者三様だった。新たな世界に胸を躍らせるやつもいれば、友人たちと旅行気分の浮かれたやつもいる。両親との別れに泣く生徒も少なくない。ウチはそのあたり、ちょっとドライなのかもしれないと、他人事のように思った。

 そうこうしているうちに、僕らの隊もトンネルに突入した。大人たちが手を振るなか、ひとり、またひとりと影へ踏み込んでいく。僕も軽く手を上げて、踵をかえした。


 桜に見送られる外とは異なり、トンネル内はジメジメしていた。水と錆び、土の匂いが充満し、風が冷たい。反響する数多の足音が、異界へ招いているように感じられた。

 どこかから聞こえた笑い声は、不安からの逃避。耳をつくすすり声は、別れを惜しむ悲哀。そして落ち着いた呼吸は、僕の欠落した感受性の証だった。

 一時間も歩けば、無言になる。

 別れを告げた両親の声も、見送る桜のピンク色も薄れていって、僕ら高校生は真っ暗闇を突き進んだ。水滴の滴る音と、地面を擦る靴の行進だけが続く。等間隔で仄かに明るいランタンが吊り下げられていて、それだけが頼りに思えた。その下で、歩き疲れてうな垂れるどこかの生徒と、それを心配する集団ともすれ違った。

 途中から緩やかなのぼり坂になるが、登山道ほどではないけれど、これはこれで過酷なものだった。

 上り坂に突入し三時間ほど歩いたころ、となりの暗闇から男子の声がした。

「なぁ、お前は悪魔のこと、どう思う?」

 自分との闘いを続けていた僕は、「誰だこいつ」と首を傾げた。顔もみえない。声も聞き覚えがあるようで思い出せない。が、返答はする。気がまぎれるという理由もあった。おそらく向こうもその気で話しかけたのだろう。

「不思議なこともあるんだな、と思ってるよ」

「なんだそりゃ」

「悪魔っていうのは、想像上のものだろ。少なくとも一般的には」

「あー、そういうカンジね? 魔法ってあったんだ! みたいなね?」

 無言で歩く。

「悪魔ってさ、何がしたいんだろうな」

「……」

「ナガノ乗っ取って、高校生集めて、解放して。やってること意味不明だよな。何がおもろいん?」

 知るか。

 そも、悪魔を理解しようとすること自体が無謀な気がする。意味はあるのか、だって? この場に悪魔がいたら、きっとそんな議論は一笑に付されてお終いである。

 でもまぁ、あるとすれば。

「そうやって考えを巡らせて迷走してるのが、楽しいんじゃないか? 蟻の行列に壁を置いてみる、みたいな」

「お、おう……? なるほど」

 ん? ちょっと引かれた?

 それ以降、そいつは話しかけてこなかった。

 どこかで、くすくすと笑う声がした。耳たぶのそばを通り抜け、気配は後ろへ流れていく。暗闇のなか、表情もあやふやな後続を一瞥して、また前をむいた。


 しばらくして、トンネルの向こうから薄らと明かりがみえてきた。所々に置かれたランタンとは異なる、白い光。

 並んで進む前方の頭たちが、希望をみつけたように顔をあげたのを感じる。

 近づく出口に目を細めながら、進む。

 遠ざかる反響音。和らぐジメジメ感。

 一刻もはやく解放されたいとばかりに、小走りになる生徒たちもいた。僕の周囲の生徒たちも、ばたばたと走り出した。僕だけが、一定の速度で歩いていた。肩が当たってよろけながら、端に寄って、外へ出た。

 思わず目を瞑る。

「──、」

 光に目が順応していく。肌にあたる風が、服越しに安心感をもたらした。

 ゆっくりと視界を広げていき、僕はその光景に圧倒された。


 秋だ。

 気温も湿度も、風の肌触りすらも、悉くが秋に染まっていた。

 青空の下、山辺は鮮やかに色付いている。膨れ上がった山々に囲まれたそこは、かつてナガノ県だった場所。少子高齢化にでも配慮したのだろうか、生活圏は縮小している。さらに、緩やかなすり鉢状となった地形のいたるところに、小さい紅葉が乱立していた。今なお残されている住居やビルも、ツタや樹木に侵食されて。伸びたアスファルトも所々で割れていた。

 世界から隔絶され数年経った様相に、驚かされる。

 何より目を奪ったのは、見晴らした景色の中心に聳える巨大な城だった。遠くに観覧車が立っているけれど、それをゆうに超える高さだ。城はグレーの角ばった箱を何個も繋ぎ合わせたようなカタチで、吸血鬼でも住んでいそうな、という表現が浮かぶ。一部が崩れ、太い紅葉樹に支えられていた。ひび割れはツタが割ったものか、それともツタに支えられてあの状態なのか、よくわからない。みていると、身体を縮められてミニチュア世界に放り込まれたような感覚にすら陥った。

 カサリと踏み締めた靴を見下ろせば、乾いた落ち葉が絨毯を敷いていた。目を擦って確かめても、やはり現実らしい。

 後ろから次々集団がでてきていることに気づき、歩きを再開する。ここは山の中腹のようだ。梢の隙間からジグザグに降りていく列がみえる。左右を山に挟まれた道を、文明色が濃い街を目指し伸びていた。


 山を降り、住宅街を進みながら、僕は辺りを見渡していた。トンネルの中とは打って変わって、生徒たちは明るい表情だった。

 住宅は基本的に無人と思われる。庭も手入れされていない。逆に、一部の大きい家やマンションなどは人の手が加えられており、停められた自転車や洗濯物がちらほらと伺える。

 コンビニがあった。車は皆無だが、経営はしているようだった。聞いたところによると、食料などは定期的に外側から送られているらしいし、心配はなさそうだ。店として機能しているのかは、まだ定かではないけれど。

 一見して普通の風景だけれど、時間が止まったみたいで異質だ。

 前に向きなおる。

 見据えた道路の先に構える、巨大な城──近くまでくるとその大きさに圧倒される。敷地面積だけならまだしも、高さは高層ビルにも及ぶ。視線を落とせば壁にしかみえない。なるほど確かに、全国から高校生をかき集めるのであれば納得がいく。

 しばらくして、在学中の生徒たちがちらほら見えはじめた。道の両脇で矢印の案内看板を持って、「お疲れ~」とか「よく来たねー!」とかなんとか。部活勧誘してくる暑苦しい集団もいた。校門に迫るにつれ、その量は増える。

 案内に従い、新入生の列はグラウンドの方向へ向かう。僕は流されながら、注意深く観察していた。

 普通の、高校だ。

 想像していたままの姿。上級生は一様に僕らを歓迎していて、ようやく「そういえば入学のためにここへ来たんだった」と思い出す。

 グラウンドにたどり着いた。

 校舎の敷地面積をはるかに越えた広さで、そこに西ニホンと東ニホンから集められた高校生たちが詰められていた。声量と熱気に鳥肌が立ちながら、列は混じっていく。トンネルの向こう側からは想像もできなかった規模で、僕は萎縮しながら進んでいく。

 もはや、出身中学校という括りは霧散していた。

 ここにはただ、新たな高校一年生が集められている。友人と労いあっている集団もいれば、さっそく新たな交友関係を築いている者もいる。自由に、その時を待っていた。

 青空の下。むさ苦しい。

 グラウンドの周囲、城の屋根上、バルコニーにみえる紅葉を眺めて、僕は大きく息を吐いた。吸い込んだ新たな空気が、肺の中を巡っていく。

 数少ない好奇心の対象を口ずさんでみる。届くはずもない、この世界の主を呼んでみる。

「秋の、悪魔――」

 声は、周囲の喧騒に飲み込まれた。

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