第31話 誰かにとっては

 青白い光が降りた夜の瀬辺地から3ヶ月が経ったころ。太陽も空もあれから近くなって、桜の木には今にもはち切れてしまいそうな蕾が無数についている。着る服もだんだん薄くなり、使っているヒーターの使用時間も減ってきている。


雪が溶けて春になる、とはよく言ったものだなとしみじみ思う。一面銀世界で色味のない景色が花や草木の映える世界になっていく様は、まさにといったものだ。窓につく水滴もシャワーを浴びる時に感じる震えも気分の高低差も和らいでいる。春がもうすぐやってくる。2度目の青森での季節めぐりにて、初めて穏やかな心持ちとなっていた。


 しかしそんな安らぎの日々にも緊張はある。例えば今日。理香の数ある作品の一つが選考される日である。1番の目標である賞ではないが、どのみち彼女の作品を世に出すのであればどれも重要だ。なにより僕も関わりのある作品。「明日は会わないわよ」と理香に言われた時、本人が1番緊張しているのだろうと当然のことを思った。


時計の針は12を過ぎたばかり。選考発表は18時。一次選考を突破して二次選考が発表される。これまでも理香はいくつかの賞やコンテストに作品を送っているが、いままで1度も二次選考を突破していない。今度こそ!という気概は作品製作で理香から何度も感じている。その想いに負けぬようこちらも随分真剣になったものだ。


そしてその結果が今日、知らされる……。果たして今回は通っているのか、それとも――いや、考えるのはよそう。とにかく今は通っていることを考え、願っていよう。少なくとも僕は彼女の相棒なのだ。そんな関係の者が、パートナーの成功を考えなくてどうする。なにも出来なくとも、願うことはできる。力にならなくとも、そうしてしまう。


とにかく今日はそうしていよう。そうだ、気を紛らわせるためにも先の課題をしよう。彼女のこともあるが僕も大学後期の課題が残っている。提出は1週間先であるしそこまで焦ってやる必要もないものだが、そうでもしないと落ち着かない。パソコンを起動させ、Wordを立ち上げる。僕はキーボードに手を添える。カタカタと無機質に鳴るタップ音が部屋に響いていく……。


…………


………


……


 ……終わってしまった。ものの数十分で終わってしまった。パソコンを閉じてひと息つく。気がかりがあれば他の物事などすぐに終わってしまう。しかし身体を動かさなければそのことで頭がいっぱいになってしまう。会いたい。しかしそうはいかない。彼女がそう言ったのだから約束は守らなければ。


「……散歩でもしようか」


 思い立ちすぐに立ち上がる。髪と服を整えて外出の準備をする。そんな作業もすぐに終わってしまう。傾いた目覚まし時計を直し玄関へと向かう。靴の端につく泥が目立つ。ガチャリと開けた玄関扉はどこか普段より重たい。鍵を閉めてアパートから出る。


 道のそこここには雑草が生え、木々には緑の葉がつき始めている。もちろんずっと葉がついているものもあるが、そんな葉もどこか春を感じさせる淡い色になっている感じがする。電柱は家々の屋根に小鳥たちが乗って鳴いている。空には低くなった雲と陽光、そして青空。昼下がりということもあってライトブルーが印象的である。


駅方面に歩いていく。春休みだからだろうか、もしくは昼下がりだからだろうか、いつにも増して人が多い。手に持った荷物をせわしなく漁る人、何かを食べながらスマホをいじる人、買い物をひとしきり楽しんで休憩をする人……。それぞれの生活があって、それぞれの人生があって。でも夢を語る人、夢を見る者は誰もいない。いや、わからない。


思えば小学生の時、みな不確かで不完全な、未熟なままで夢をなんでもないように語っていた。あれになりたい、こうしたいと。でもいつからかみな、夢を見なくなった。夢を、語らなくなった。僕のように一貫して確かな夢がない者もいるのかも知れない。夢破れたことで他の夢を見なくなった者もいるのかも。


夢は残酷だ。望みは悲恋だ。そのほとんどが叶うことなく廃れ、破れてゆく。だから大人になる。それがどれだけ苦しいことか、辛いことか理解できてしまうから。……そんな時、小学生数人が僕の横を駆けていく。


「ならオレはけいさつ!」


「へっへっへ……オイラをつかまえてみろ~!」


 なにかごっこをしているのだろうか。思えばこうしたごっこ遊びもしなくなった。


大人になれば手にするものが増えると思っていた。実際、自由と責任を手に入れたことで行動も出来るようになった。年相応の知識も。しかし夢を語ること、見ること……これらのように手放してしまったものの方が多いような気がする。あのころ描いていた誰かとの未来も、それに伴う自分の理想像も。


 だから、夢見てそれに向かって、誰かの力も使って夢に辿り着こうとする理香を応援したい。そばに居て、支えたい。きっと夢見る人は孤独だから。それはいつかの日から今までの僕とよく似ているから。その辛さを、知っているから。

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