第21話 これから先の道

『この先に外ヶ浜町っていう、小さいけど大きな町があるの』と、以前彼女が言っていたのを思い出す。当時の僕は少し考えた後、地理的に大きな町なのだということに気づき、1人で納得していた。彼女は確か蟹田のことは話していなかったはずだ。その先にある北海道のことは話していた。いつか行ってみたい、と。


 彼女が話していなかった蟹田に、彼女とは別の女性と行く。そのことに少し抵抗感はあったが、先ほどの彼女との会話を思い出すことで、その想いも、ほんのり和らいだ。


 国道280号をのんびりと歩く。瀬辺地駅がある蓬田村と外ヶ浜町の境界にて、だんだんと高くなる気温と昇っていく太陽に汗で応えながら、理香と並んで歩く。理香もこの暑さの中歩き慣れていないのか、白いワンピースから出た肩に汗が滲む。


「……やっぱり、歩きじゃなくて電車で行けば良かったわね。まさか隣駅がこんなに遠いなんて」


「全くだよ。野球してたときより暑く感じる」


「あら、智樹くん野球やってたの?」


「そうだよ。大学でもサークルに所属してる。と言っても、ちょっと前からサークル内がギクシャクしててね、いづらいんだ」


「そう、なんだか大変ね」


 以前起こった事件によって、僕が所属していたサークルは活動しづらい場所になってしまった。サークルクラッシャーとなった彼女が引き起こしたものとはいえ、やはりそれに関係していた僕らは近寄りがたい存在になってしまうものだ。だんだんと距離を置かれ、やがて誰も居なくなる。繋がりの薄かったサークル内の人間関係らしい末路だ。


「理香はなにをしてるの?」


「今は……そうね、フラフラとする毎日かしら」


「フラフラ?」


「特になにも所属してないってことよ」


 なにかを避けるような物言いだったが、無理やり聞くのも悪いと思い、それ以上は聞かなかった。代わりに別の話題を出すことにした。


「さっき父親の実家って言ってたけど、両親はなにしてるの?」


 そう聞くと突然、彼女は歩みを止める。


「両親は……もういないわ。まさかこんなに早く逝くなんて思ってもなかった」


「それは……なんか、ごめん」


「いいの、人はいつか死ぬものだから」


 彼女は止めた歩みを再び動かし、やがて止まっていた僕を通り過ぎていってしまう。「ほら行くよ」と言われハッとし、僕も再び歩き始める。聞きたいことは多くあっても、なにをどう聞けば良いか分からなくなってしまう。――この時の僕は、必要以上に誰かを傷つけてしまうことを恐れていた――そんな迷いが、会話を止めてしまう。


 彼女はどうも、会話がなくても良い人種らしい。僕にとって気まずい空気であったとしても、彼女にとっては大して気にするものでもないようだ。僕がそう、彼女を定義してしまうほど、彼女には静寂と沈黙が似合う。そんなことを思って感心していると、次は彼女の方から話をふってきた。


「智樹くんは、小説とか読むの?」


「なんだか、いきなりだね。それなりには読むと思うけど」


「いえ、この本を知っていたから。……この本、もう読んでる人も少ないでしょうね」


「まあ昔の作品ではあるしね。仕方ないのかも」


「……そうよね」


 なんだか残念そうに笑う彼女は、それだけこの本に対して思い入れがあるのだということを、その一瞬だけで僕に分からせる。仕方のないことだと分かっていても、それが受け入れられるわけではないのだ。


「それにしてもその本……どうしてそこまで思い入れが?」


「こういうジャンルが好き、というわけでもないのだけれど……この本、私の父の作品なの」


 父の、作品……?なかなか聞くことのない言葉に一瞬疑いを持ってしまったが、彼女がそういう人ではない、ということは出会ってまもなくとも分かっていたし、それ以上に驚きと納得が大きかった。


「だから、そんなに大事そうなんだね」


「大事……そうね、大事だわ。父さんの仕事に、母さんは不満があったみたいだけれど」


「まあ、小説で食べていくのはどの時代であっても難しいからね」


「いえ、不満というのはそっちじゃないわ。むしろその逆」


「逆?」


「父さんが小説一本でいかなかったから、母さんは不満そうにしていたのよ。それだけ、父さんのファンだったのかも知れないけれど」


 道すがら、彼女は両親のことを話した。父親と母親の出会いは大学のサークルであったこと。そこで父親の書いた作品を母が大変気に入ったようで、そこから付き合いが始まったこと。お互い作品を書いては見せ合う、ということをしていたらしい。そして大学卒業と同時に結婚……数年後に理香は生まれたらしい。父はのんびりとした人で、母は少しせっかちで。そう話す彼女はどこか楽しそうであった。ここにいる理由も忘れてしまいそうなぐらい。


 海を背景に電車が通る踏み切りを過ぎれば、すぐそこには蟹田駅のホームに繋がる連絡路が見えた。意気揚々と話し続ける彼女が少しハッとしながら、申し訳なさそうに言う。


「なんだか、私ばかり話してしまってごめんなさい」


「いや、いいよ。僕にはこれといって話すものもないし……なにより、聞いてて楽しかった」


「そう……なら、良かったわ」


 両親のことを十全に思い出したのか、先ほどより表情が明るくなった理香を見て、なんだか僕の曇っていた心も、晴れていく心地がした。

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