第8夜
「皆さんを襲った
『今回はちゃんと敵の足取りを聞き逃さなかったぜ』と、キオの声が割り込んだ。
「ヴェルディ、今回は場所が遠いのでレイニアが現地まで送ります。それと、この子なりに御礼がしたいそうなので付き合ってあげてください」
レイニアの肩に手を置きながら状況説明をするメイドの名はハンナ。
レイニアと同じく屋敷で働くメイドであり、
手入れの届いた銀髪を一本に縛った真面目そうな顔つきは「デキる女」といった具合だ。縁の細い眼鏡を持ち上げながら、キオが提供した情報を整理していく。レイニアのように現地へ赴くことはなく、もっぱら屋敷で働いている。
なお重度のヘビースモーカーであり、ニコチンが切れるとソワソワする癖がある。
「正体不明の敵がいるのにそんな余裕があると思うか?」
「私たちは通常の戦闘を想定した訓練しか受けていませんからね」
「
ウィズダム家によってかの組織は壊滅した。ゆえに
そもそも
「そもそもディロッツァファミリーがどう関係しているのか気になるね。一通り調べけど、ブルジョワに手を出すような過激な側面は過去になかったよ」
「えっとー、ランターニールでしたっけ? あの女もそのファミリーとグルなんすかね」
「組織ぐるみの繋がりか。その可能性も薄くはないね。なにはともあれ可愛いルナに手を出したんだ、徹底的に潰そう」アレックスがさらりと言い放つ。
「敵の拠点にこの前の
『今のところ、その女らしい音はぜんぜん聞こえてこないぜ。それに外を警備してる連中の会話からもそれっぽい名前は出てきてねえし』
「建物の中は?」
『窓はぜんぶ閉まってんだよなぁ』
「……不安なんだが?」
キオの能力は国の端まで及ぶ。しかし密室の音だけは彼の耳でも拾えない。もしこの部屋の窓をすべて閉じてしまえば、こうした意思の疎通ももちろんできなくなる。また、あまり広範囲に向けて耳を傾けるのも良くない。許容量を超えると彼の神経が破裂してしまう。
「まあいざって時は先にあたしだけ逃げるんで大丈夫っすよヴェルディさん」
「私一人に押し付けるな」
ヴェルディはふと、ハンナを見やる。ハンナの能力は絶大だ。下手すればヴェルディよりも。しかしだからこそ、彼女はディルファイアの傍にいる。この屋敷にいる。
「すみませんねヴェルディ、私は落ち着いた場所で煙草が吸えないと心臓に悪くて……」
「心臓より肺の心配をするべきだろうな」
「ご安心を。私の家系は肺だけは頑丈なんですよ」
「歓談中に悪いが、そろそろ気を引き締めてもらおう。ヴェルディ、レイニア、今回はこれまでの仕事とは訳が異なる。君たちの能力を最大限に活用してもらいたい」
「了解っす」
「……あぁ」
ヴェルディがやや疲弊した視線を投げかける。
演劇を鑑賞する度に脳の裏側ですり減る精神的な体力は回復していない。突然の敵襲による緊張、そして謎に包まれた敵の正体。
しかし、仕事には人間を待つ優しさなどありはしない。
『気を付けた方がいいぜ。あいつ、フラッと店に現れた時は足音一つなかったんだぜ。それが逃げる時はバンバン鳴らして逃げやがったんだ』
「誘われてるのかもしれないね」
「罠だとしても、だ。一刻も早く敵の正体を暴きたい。もうスコットのような犠牲者を生まないために」
「……そうだな」
緩慢と返事をするヴェルディは、頭の中で考えていたことを口にはしなかった。
その〈レヴォルト〉が壊滅する寸前に、ユリアリスはどこかへ連れ去られた。
今回の騒動の根幹を辿った先に友人がいるかもしれない。
いや、そもそも。
ヴェルディの記憶が間違っていなければ、ユリアリスの能力は――
いや、そんなはずがない。
◇
マフィア――国の腫瘍。
内乱後の治安維持を行っていた自警団から派生した暴力を振りまく人災である。賭博場の元締め、高利貸し、臓器や人身の売り買い、違法薬物の取引など、表側では大っぴらにできないことを密かに遂行することを生業としている。
執行人としては、ディルファイア個人の事情としては、マフィアという存在は肉片一つ血の一滴すらも残しておけない怨敵である。しかし目標が悪人であれば自由に処理できるのかといえばそうでもない。
大統領より指示を受けた対象以外の殺害を、執行人は禁止されている。
パンを盗んだ少年はその時点で公正の余地のない外道かと言えば、そうではない可能性が大いにあるように。対象が殺しに値する外道かどうかは念入りに精査されるのだ。
執行人とは別の、大統領お抱えの諜報課が。
また、マフィアは他の犯罪者に対する抑止力にもなりうる。彼らが手にかけるのは必ずしも罪のない一般人ばかりでもない。
今回ウルスカーナを攫おうとしたのも、身代金の要求か、闇オークションに出品するのが目的だったのだろう。
「…………」
「ひぃ、ひいぃぃっ! ま、まま、まってくれ! 頼む、もう足を洗う! だからっ!」
しかし、レイニアにとってそんなことは関係なかった。
レイニアは〈レヴォルト〉に売られたのだ。親がマフィアに売り、マフィアが人攫いに流した。自分を地獄に突き落としたのと同類の悪巧みが、今度は主人に向いている。その事実が、彼女をイラつかせた。
「知ってることぜんぶ吐け。今日ここに真っ白なお客さんが来なかったか」
「あ、あぁ! 来た! でで、で、ッ、でも俺みたいな下っ端には何も知らされてねえ! 名前も、顔も!」
「そいつは今どこにいる」
「ボスたちと一緒のはずだ! 今日はもう外出しないから、警戒しろって! ボスは屋敷の三階の、一番奥の部屋にいる!」
跪く男の後頭部に銃口をぴたりと押し当てながらレイニアは尋問していた。
ここは国の北東に位置する地域、リドネス。
ウィズダム邸が位置する首都エヴァーグから遠く、レイニアのバイクでも二時間ほどかかった。エヴァーグと違い、建物よりも畑や木々の連なりが面積を占めている。空が広く、自然の香りが漂う開放的な場所――
「お願いだ、ここに入ったばかりでなんも知らねえんだ! 許してくれ! これからはまっとうに働くからよぉ!」
そこは現在、硝煙と鉄の芳醇が立ち込めている。
赤い血だまり、空の薬莢、動かぬ肉塊。
外を警備する五十名を超える構成員は全員頭を撃ち抜かれていた。
「今日、ウチの可愛い可愛いお嬢様を攫おうとしたお前のお仲間。全員そのお客さんが木っ端微塵に吹き飛ばしたぞ」
「………………は?」
「なんだ、ほんとに知らねえのか。つかえねえ」
冷たく吐き捨て、銃を下ろす。レイニアは屋敷に向かって歩き出した。
「た、たすかった……」
男は足音が遠ざかるのを、耳を澄まして聞いていた。
工場で車が解体されるように、淀みなく仲間が殺されていく光景が瞼の裏でぶり返す。
バイクで敷地を疾走するメイド服の女には銃弾一つかすりもせず、逆に女が放った銃弾が外れたことは一度もない。
そして今、女は自分に背中を向けている――
「死ね――」
懐に忍ばせておいた予備の拳銃を引き抜き、振り向きざまに引き金を引いた。
とにかく、どこか。腕や足でもいいから、命中さえすればいい。屋敷にはボスや幹部たちがいる。なんでも、とてつもない大口の顧客との仕事が始まったとのことで、この仕事をやり遂げれば数年は遊んで暮らせる金が手に入るとか。
男は死にたくなかった。生きて、いつか自分も成り上がると夢を見て。
「ほんッと、マフィアってのは馬鹿ばっかだな」
そして男は現実と向き合う。
背中を向けていた女は、こちらを向いていた。
人形のように凍った顔は、瞳だけがマグマのように燃え滾っていた。
「当然の報いだボケ。てめーが死ねッ!」
小さな点が迫り、指で額を弾いたような衝撃が男を仰け反らせる。
衝撃は男へと深く潜り、破壊し、穿った穴から命を滴らせた。
「……あぁクソ。ムカつく」
赤い血だまり、空の薬莢、動かぬ肉塊。
宵闇のステージで踊っていたメイドは一人、屍の海を縫い歩く。
鬱屈とした心境を映したような暗い夜空を雲が流れ、三日月が顔を現した。
◇
「…………」
外でレイニアが派手に踊り狂っていた頃――
いつも通り、血のマスクとスーツで変装したヴェルディの足音だけが屋敷の中に響いていた。
内部の警備は決して薄くなかったが、そのすべてが消滅している。
ヴェルディに殺された人間は、彼女自身によって存在を抹消される。それは血液を操る彼女の能力だからこそなせる隠蔽である。髪の毛一つ残しはしない、ゆえに、『埋葬屋』の犯行が警察によって暴かれることもない。
吸収したものはすべてヴェルディの糧となる。それは死への身代わりとなり、武器にもなる。
「ここか」
最後の部屋の前で止まり、握りしめる血の長剣でドアを切り裂いた。
足を踏み入れるも驚くほどに部屋は静かで、挨拶代わりの銃声一つ響きはしない。
「いらっしゃい」
挨拶一つ、女の声が出迎えた。
佇む人影の周囲はワインを撒いたように濡れている。
壁にのめり込んだ判別不能の肉や骨が、威力を物語る。
「いい加減フードを取ったらどうだ。ここは室内だぞ」
「…………」
無言のままに、女は腕を軽く広げた。
久方ぶりに再開した友人を抱きしめるように親しげに。
身構えたヴェルディになにもせず、ただ歌い出した。
「 濁った空気 変わらぬ景色 ぼくらは外を知らない
知らないぼくらを 月が照らして 稲妻が降り注ぐ
ぼくらは朝日と出会う 風を知る草原が ぼくらを歓迎する
嗚呼 太陽よ 太陽よ どうして隠れていたの
その眩しさ 暖かさ なにが君を遮っていたの
嗚呼 世界よ 世界よ どうして尊いの
その広さ 自由さ 息のしやすさ もっとはやく知れていれば」
拍手はない。歓声もない。ヴェルディはなにもしない。なにもできない。
不意を突く隙ならばいくらでもあったのに。
下手くそ、という感想が、自然と湧きあがった。
しかし実のところ、その美声はずっと聞いていたいくらいに尊かった。
「なん、で……」
眩暈と動悸が唐突に巻き起こり、呼吸を忘れ、立つだけで必死になる。
それでもヴェルディは、肺を振り絞るように、ただ一つの疑問を言葉にした。
「なんで、その歌を知っている!? それは、私と、ユリアだけしか――」
「そうね。私とあなたしか知らない歌。あの頃、あなただけに聞かせていた歌。あなたのためだけに考えて歌っていたものね」
「っ……ちがう、そんなはずがない」
女が滔々と語る。ヴェルディは狼狽する。
「……っ!」
単発の銃声が、月明かりを引き連れる。
女がフードを脱ぎ、一つの事実が照らされる。
「久しぶり、嘘つきのヴェル。……会いたかったわ」
ヴェルディが探し求めていた友人は、悪人だった。
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