#6「何も始まらないよ」
まどかは、閑静な住宅街にある古民家カフェで羽衣とランチの約束をしていた。
カフェ近くで落ち合い、約束のカフェへと入った。
座るなり、すぐに昨日のゲリラ雷雨の話になった。
「昨日ひどい雨だったね」
「そうなの! もう散々だった!」
まずは注文を済ませてから、まどかは話の続きを話すことになった。
同期とともに取引先の旅館に行き、ゲリラ雷雨のせいで、同じ部屋で2人きりになったこと。それから、色々と話して仕事どころではなくなり、夕方になるまでやまず、ひやひやしたが、何とか雨が落ち着き、その日のうちに帰宅できたことを話した。
「何その、何か始まりそうな感じ」
話を聞いた羽衣は、目がキラキラと輝かせている。
「何も始まらないよ」
「泊まるまでしたら、何かあったかもねぇ」
「何があるのよ」
まどかは嫌なことがあったというふうに話しているのに、話を受け止めている羽衣はわくわくと楽しそうで、傍から見たら滑稽だろう。
「私だったら、流されてもいいなって思っちゃうなぁ」
「仕事中なのに?」
「まどかはまともな思考回路してるね」
「当たり前だと思うけど」
「まともなうちは、大恋愛には落ちないのよ」
羽衣はまるで学者のように胸を張って持論を繰り広げている。それくらい恋愛経験は豊富であることも知っている。
羽衣は恋多き女だ。
口癖が「恋は直感よ」であるくらいだ。
「まぁ、それで私は失敗してるんだけど」とも言っているけれど。
羽衣には子どもが1人いる。小学生3年生の女の子だ。
その父親とは離婚して、シングルマザーになった。
娘が物心つく前のことだった。
それからしばらくは子育てに追われて、恋愛どころでなかった羽衣も、自分のことにも気が遣えるようになってきた。ませた娘が背中を押してくれたこともあり、恋愛が解禁された。
もちろん、娘を蔑ろにすることはなかった。
いつでも第一優先で、行事には欠かさず参加している。
今日だって、元夫が会う日だからと、娘を1人にしない日を選んだ上で、まどかと会っているのだ。
ハンバーグにパスタ、サラダの載ったランチプレートが運ばれてくる。
一旦、会話は中断する。
しばらくはおいしさを共有することを優先していたが、お腹が満たされていくと、思い出したように続きを話したくなったようだった。
羽衣は「同窓会はいい人いなかったの?」と訊いてきた。
元々、羽衣はまどかの同窓会での話を聞きたがっていたことを思い出す。
「全然」
「本当に?」
「うん。特に何も思わなかった。全然楽しくなかった」
その後、絢斗に鉢合わせて、逆に、絢斗との時間の方が色々と波があって面白かったと言えるかもしれない。
いや、面白かったというものではない。ただただ、翻弄されただけだった。
「写真撮ったりしてないの?」
「集合写真は撮ったけど……」
バッグからスマホを取り出して画面を見て、小さく「あ……」と声を上げた。
「どうしたの?」
「……そのとき会った同級生から連絡来た」
「嘘! 全然あるじゃん」
同級生とは、最後に言い寄ってきていた山本のことだ。
メッセージアプリのグループから、まどか個人を選んでメッセージを送ってきたのだろう。
「何て?」
「……食事行かないか、だって」
「えぇ! いいじゃん!」
「よくないよ。言い寄られても全然響かなかったんだよ?」
「言い寄られてるじゃん! それを先に言いなさいよ」
興奮して声が大きくなる羽衣を、人目もあるからとなだめる。
それでも、興奮は抑えられないようで、「メッセージ、何て返す?」とまどかがまだ至っていない考えまで巡らし始める。
「落ち着いてよ。先に食べて」
羽衣を見ていると、まどかはスーッと冷静になっていくようだった。
「まどかは落ち着きすぎだよ。でも、それだけ興味ない人ってことだよね」
「……そうだね」
逆に、一緒にいて落ち着かない絢斗には、興味があるとも言える。
――あぁ。どうしてあんなやつと比べてしまうのか。
「羽衣は最近いい人いた?」
推しの感覚でいい人を見つける羽衣だ。
自分のことを考えて、堂々巡りになるよりは、まどかのことを訊いてみようと思ったのだ。
「最近はね、ジム」
「ジム?」
「そう。まどかの通ってるジムだよ。そこのプールに行き始めたら、トレーナーでかっこいい人がいたの」
「へぇ。どの人だろう?」
「ウエハラさんって呼ばれてたと思う」
「えっ」
トレーナーと言われてすぐに浮かぶのは、まどかの友達である宇栄原だった。
他にウエハラという名前の人が働いていただろうか。
「まどか、知ってるの?」
「もしかして、同じくらいの年齢で、背はそれほど高くなくて、黒髪短髪で。後は……いつも長袖着てる」
一生懸命、歩の顔を詳細に思い浮かべようとするが、いざ説明するとなると、全然上手く特徴を説明できない。
「……あっ」
写真はなかっただろうか。
会うときはジムかその後に食事するくらいなのだ。
写真を撮る機会がない。
微々たる可能性を信じ、スマホに保存された写真をスクロールしていき、ようやく1枚見つけることができた。
おいしそうなパフェを見て、思わず写真を撮ったとき、向かいに座る歩が写り込んでいる。ぼけてはいるが、歩だと分かる写真だ。
「これ、見てくれる?」
見つけた写真を羽衣に見せてみた。
「あ、この人!」
羽衣の目が輝いた。やはり、歩のことだった。
「え、どういうこと?」
羽衣は写真とまどかを交互に見つめ、わけが分からないと首を傾げる。
「あたしの友達だよ」
「えっ、嘘? 本当?」
「うん。本当」
「びっくりした!」
「こっちがびっくりだよ」
今度は2人で大きな声を出してしまい、周りから視線を向けられ、体を小さくして、クスクスと笑った。
「いい人だし、羽衣のために何かしてあげたい気持ちはあるけど、彼はそういうの……興味ないって言ったらいいのかな? だから、異性だけど、仲良くいられるのかも」
「そうなんだ」
羽衣は残念そうでもなく、むしろ、嬉しそうにさえ見える。
一度、言葉を呑み込んで、ふふっと笑った。
「まどかが仲良いなら、やっぱりいい人なんだろうね。私、見る目あるね?」
鼻高々な羽衣の笑顔は綺麗で眩しかった。
まどかにはない自信が満ち溢れている。
羽衣を見ていると、恋愛はいいもので、直感を信じていいと思わずにはいられない。
いつの間に、そんな羽衣が羨ましいと思うようになってしまったのだろう。
昔はまどかも羽衣と同じだったはずなのに。
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