14 雷神
枕元に無造作に転がされていた目覚まし時計が、突然騒音を立てる。
……うるさいな。
思った瞬間、無意識に異能が発動され、時計がボン! と音を立てて鳴るのをやめた。
しまった、と慌てて瞼を開ける。時計のプラスチック部分が熱で溶け、焦げ臭い化学臭が煙と共に漂っていた。
「わ、」
男は慌てて時計を掴むと、キッチンのシンクに放り込み上から水をかける。ジュッと音を立て、熱が時計から流れ出ていった。暫くして化学臭も気にならなくなると、ようやく水を止める。
「また壊しちゃった……」
はあ、と広い背中を丸めた。鎖骨までだらしなく伸びる少し癖のある黒髪を、グシャグシャと掻き毟る。
壁に掛かったカレンダーを、少し青みがかった瞳でぼうっと眺めた。
今日は何かあった気がして、スマホを取り出し今日の日付とカレンダーを見比べる。
「――あ」
カレンダーの今日の日付には、赤い丸印が付けられている。もう四ヶ月近く拒否していた、出動の日だった。
この心理状態ではヒーローの格好いい姿を保てる自信がないと断り続けていた。だが、いよいよいい加減にしろと勧告が来てしまい、渋々重い腰を上げることになったのだ。しかし、いざ出動が決まっても、やはりやる気は一向に起きない。
復帰第一弾だから、とできるだけ平穏そうな案件を回してもらったが、小さな案件に天下の『雷神』を回したら視聴者からクレームが付く、とぶつくさ言われた。天下も何も、いつも決まってヴィランに異能を少々ぶつけるだけの些細な仕事しかしていないのだが。
だが世間一般的に見ると、男の異能はかなり凄いものらしい。
ただ起きるのにも目覚まし時計を壊してしまうような非経済的な異能のどこが凄いのか、さっぱり理解できなかったが。
スマホをもう一度確認する。機内モードをオフにすると、夜の間に届いていたメッセージがピロピロと連続して通知を鳴らし始めた。ロック画面に出てくる通知は、迷惑メールが八割、残り二割が会社からのものだ。
タップして、メールボックスに溜まった未読の迷惑メールを下から順番に削除していく。残った未読メールは、二通。一通は新規事業開発統括本部からで、ヒーロー課の一週間の予定表だ。
もう一通は、沢渡からだった。
男は、まずは予定表にざっと目を通す。その中には、今日の自分の出動先へのルートも書いてあった。
内容を確認すると、頭の中の地図と照らし合わせる。ヒーローたるもの移動はバイクでないとならないという謎の主張を押し付けられた結果、毎回ヒヤヒヤしながらバイクに跨って出動している。
何とかならないかと訴えると、休みの日にも関わらずバイクの練習に付き合ってくれた人がいた。
その人のことを思い出した途端、指の動きが停止し、視線が宙を彷徨う。
「田中さん……」
男はそのままスマホをロックすると、シャワーを浴びる為にふらふらと風呂場へと向かった。
もう長いこと、バイクには乗っていない。ガソリンがまだ入っているかも分からない。エンジンがかかるかも微妙だ。出動が決まった先週の時点で確認をしておけばよかったのだろうが、突然のことでそこまで頭が回っていなかった。
服を脱ぐと、筋トレを欠かさないお陰で引き締まった身体が出てくる。いっそのこと、ヒーローらしからぬ身体になってしまえばお役御免になれるかもしれないとも考えた。
だが、男に身体の鍛え方を丁寧に教え、日常のルーティーンに組み入れてくれた人のことを考えると、勝手に止めてしまうことはどうしてもできなかった。
「……はあ」
一体いつまでこのループは続くのかと考えると、どこかに逃げ出したい焦燥に駆られる。だが、逃げ場所などどこにもないのも分かっていた。異能がこの身体から消えない限り、どこにいようと無駄なのだ。
深い溜息を吐く。
男はシャワーのお湯を出すと、まだ冷たいそれを頭から被った。
脳裏に、未読のままになった沢渡のメールが浮かんだ。
男は首を横に振ると、滝修行を行う僧の如く、目を閉じ暫しの間佇み続けた。
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