第4章 背景ヲ辿ル

第31話 影からの導き

 ベル歴995年、水の月23日。王族配信当日。


 王族による緊急配信が間近に迫る中、旧館の一室では、異様な静寂が支配していた。


 窓のない部屋の中央で、第三王子ハンス・アイゼンは、拘束具に繋がれ、身動き一つ取れずにいた。


 5日前、彼は深い眠りの中で何者かに拘束され、この部屋に監禁された。


 そして昨晩、第一王子オリバーから、国王が既に崩御されたことを聞かされていた。さらに、その死の責任がハンス自身にあるとされ、彼が国王を殺したという第一王子の謀略により、罠に嵌められたことも、既に知らされていた。


 ハンスはこの状況で、父の死にまつわる真実と、自分を陥れた者の真意を考えていた。


 なぜ自分がこんな目に遭うのか。父の死の裏に、第一王子であるオリバー以外に、もう一人の兄である第二王子ダミアンが、関与しているのだろうか。もしそうならば、それが何かしらの糸を引いているのか。様々な疑問がハンスの頭を駆け巡る。


 その時、部屋の隅、濃い影の中から、ゆっくりと人影が現れたことにハンスが気付いた。


 執事服をまとった黒髪の青年だ。


 ハンスはその異常性に目を見開く。同時に、部屋の外に意識を割いたが、表に立つ番兵は、どうやら部屋の中の異変には気づいていないようだ。


 影を纏いしその黒髪のくせ毛を六対四の割合で分けている青年は、これまでの間、ずっとハンスの様子を静かに見守っていたのだ。


 闇聖霊魔法の≪影潜≫で、彼は完全に気配を消し、この部屋のどこからでもハンスの状況を把握していた。


 “シアたち”がハンスを拘束した際も、もし彼らがハンスに看過できないほどの危害を加えるようであれば、すぐさま飛び出して助ける手はずでもあった。


「き、君は確か父上の……」


 ハンスの言葉に、その青年は人差し指を立て、口に添えながら、喋らないよう表情で促した。


 そして黒髪の青年は、懐から金属製と思しき立方体の何かを取り出し、床に置いて起動させるようにマナを流し込んだ。


 立方体の何かに淡い光がともる。


 無事起動したことを確認した黒髪の青年は、恭しく名乗りを上げる。


「王付きの事務官、ノイアーでございます」

「あ、ああ確かそんな名前だったね」ハンスが淡く輝く立方体を見る。「で、それは?」

「こちらは防音結界の魔道具でございます。これからの会話が表に漏れないように」

「なるほど。それで、一体…何が起こっているんだ?なぜ、そなたがここに…」


 ノイアーは静かに首を横に振った。


「これは、レオ様の指示でございます」


 そう告げながらノイアーは、ハンスの拘束具を手早く外し始めた。


 その動きは、どこか洗練され、そして、猫のようなしなやかさを持っていた。


 王族による緊急配信が間もなく始まるという緊迫した状況にもかかわらず、彼の表情には、まるで時間そのものが彼の支配下にあるかのような、揺るぎない落ち着きがあった。


「レオ?レオとは?」


 ハンスは即座に問い返した。彼の知る限り、王宮内にそのような名の高位の人物はいない。


「レオ・クロース。クロース侯爵家の次男にして、わたくしの主でございます」


 ノイアーの言葉に、ハンスはさらに驚きを隠せない。


「クロース侯爵家の!?あのレオ君か!私の甥の!」


 ハンスの声が、僅かに上ずった。クロース侯爵家は王家と血縁関係にあり、レオはハンスの甥にあたる。


「さようでございます」


 ノイアーは淡々と答えた。その事実に、ハンスは一瞬にして思考が停止する。


「しかし!クロース侯爵家は3年前に一家そろって事故死したはず!」


 ハンスは、信じられないという表情で叫んだ。クロース侯爵家の悲劇的な事故は、王国中の人々が知る出来事だった。


「さようでございますね。ですがそれは世を欺く、ひいては八大罪のマオンの1柱。虚飾のマタド・ク・シアの目から意識を逸らすためのでっち上げでございます」


 ノイアーの口から放たれた衝撃的な事実に、ハンスは絶句した。


 クロース侯爵家の事故死が偽装だった。そして、その目的が「虚飾のマタド・ク・シア」の目を欺くためだという。


 ノイアーの言葉には、一切の迷いがなく、それが真実であることを示唆していた。


「虚飾のマタド・ク・シア?あの、八大罪のマオンの?」

「ええ。かつてヒトを唆し、災厄の封印を解かせた元凶でございます。八大罪のマオンは、聖霊に対なす存在。その消滅は難しく、995年前にオスクネス様の魔法にて拘束しておりましたが、3年前に脱獄いたしまして。そのことについては、本来立太子のあとにニクラウス様から直々に伝えられる予定でしたが……」

「なるほど。なぜクロース家なのか、理由は存じ上げぬが、その対策のための偽装死だったと」

「さようでございます」

「で、では、姉上は!?」


 ハンスは、血の気が引くのを感じながら、切羽詰まった声で尋ねた。レオが生きているのなら、彼の母、すなわちかつての第一王女であり、敬愛するハンスの姉、エリーザもまた……。


「エリーザ様もご健在でございます」


 ノイアーの言葉に、ハンスの表情に安堵の色が広がった。失われたと思っていた甥と姉が生きている。その事実に、彼の心に温かいものが込み上げてきた。


「そうか……それはよかった。本当によかった」


 ハンスは、心の底からの安堵の息をついた。


 しかし、同時に、これほどの偽装工作を必要とする状況に、新たな不安が募る。


 レオとエリーザ、ひいてはクロース家の者たちが生きていることは喜ばしいが、その背景にある闇は、想像以上に深く、危険なものだと直感した。


 ノイアーが、ハンスの拘束具を完全に外し終え、静かに立ち上がった。


「では、少々お待ちを。レオ様をお呼びいたしますので」


 その言葉を聞いたハンスの頭に、いくつもの疑問符が生まれた。

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