幕間 牢獄破られし日

 アイゼン王国北東に、八英雄の国全てに接する世界最大の湖「ガルズ湖」がある。


 元々その場所に湖はなく、約千年前の災厄による攻撃で出来たクレーターが、地下水の流入によって湖となったものである。





 時はベル歴992年火の月。


 アイゼンの北北東。ガルズ湖に接する位置に広がるドラハ・ラウアート森林。ガルズ湖付近に存在するドラハ・ラウアート浸食洞、通称「竜の喉」の最奥「ムゲンの牢獄」。


 闇の十字架に磔になっているのは、〝虚飾〟マタド・ク・シア。


 手足が異様に長く、指は四本。身体は瘦せこけ、青鈍色の皮膚のようなものに覆われている。吊り上がった耳。髪はなく、黒目に白い瞳孔が鈍く灯っていた。鼻はなく、口は左右に大きく広がっており、凡そヒトとは思えない容姿である。


 背中には黒い片翼が畳まれており、正面からでも僅かにみえる。


「どなたですか?」


 マタド・ク・シアは、いつの間にか目の前に現れた、黒いマントで頭をフードで覆っている黒衣の人物に気付いた。黒衣の人物は左腕に大きな袋を携えている。


「その楔、取ってやる」


 そのの黒衣の人物は、男とも女ともつかない、機械じみた声色で言った。


「あなたが?ワタシを解放し、なにかお望みでも?」

「いや、個人的な望みなどない。強いて云うなら……そうだな」


 数秒の間が空き、再び黒衣の人物が声を発する。


「混沌」


 そう言って、黒衣の人物がフードを脱ぎ、マタド・ク・シアにその姿をみせた。


「あなたはっ……。フックックッ。そうですか。あなたがね」マタド・ク・シアは堪えるように嗤う。「いいでしょう」


 返事を聞いた黒衣の人物はマタド・ク・シアに近付き、十字架にある全ての楔をいとも簡単に壊してみせた。


「なんですか、それは」


 十字架から解放されたマタド・ク・シアは、黒衣の人物の手に握られている結晶石のような物を興味深げに見つめる。


「これか?」

「ええ」

「俺の最高傑作の一部だよ」

「そうですか。詳しくは教えてもらえそうにはありませんね」

「まあな」


 マタド・ク・シアは、辺りを見回し、ムゲンの牢獄の入り口で視線を止める。


「門番がいませんでしたか?」

「消滅させた」

「流石ですね」


 黒衣の人物が、左手に持っていた袋を開け、マタド・ク・シアの目の前にその中身を出してみせる。


「これは?」

自動機械人形オートマタ。それの壊れたガラクタを改造したやつだよ」

「これをどうしろと?」

「そのままじゃ目立つだろ。ヒュマーノ族に似せて作ってある。この辺にはお前が依り代に出来るヒト属はいないからな」

「なるほど。しかし、命ない者へは憑りつけませんが」

「まあ、騙されたと思ってやってみろ」

「そうですか」



 マタド・ク・シアは疑念を抱きながらも、そこに転がる自動機械人形オートマタに憑依を試みた。


 すると、思ったよりすんなりと身体を一体化させることが出来た。自動機械人形オートマタに憑依したマタド・ク・シアが起き上がる。


 こげ茶色の髪をスリックバックさせた端正な顔立ち。茶色の瞳。横の黒衣の人物と似たようなフード付きのマント姿だ。一見すると普通のヒュマーノ族である。


「これはっ。なぜ……」

「さっき見せたやつがあるだろ」

「その結晶石のようなものですか?」

「そうだ。これの改良版とでも云っておこう。それをそのガラクタに組み込んである」


 黒衣の人物が、改めて手に持つ結晶石のようなものを掲げる。


「それはいったい」

「まあ、無事お前がアイゼンを抜けられたら教えてやるよ」

「アイゼン?」

「この場所がある、ヒュマーノ族の国の名前だよ」

「なるほど。国には興味ありませんが、あなたが持つそれには興味が出ましたね」

「まあ、無事に出られるかはお前次第だがな。湖も国境も、強力な結界が張られている」

「そうなのですね。なるほど。で、あなたは?」

「入ってきたんだぞ?出られるだろ」

「ワタシも共に出ることは?」

「生憎、お一人様専用の魔道具だ」

「なるほど。あなたらしい」

「洞窟の入口までは案内する。その後は、まあ、せいぜい頑張れ」



 そう言って黒衣の人物はフードを改めて被り、洞窟を抜けるために歩み始める。ムゲンの牢獄を抜け洞窟内部が見えてくる。


「随分と広い洞窟だったのですね」マタド・ク・シアが言った。

「いや、この竜の喉と呼ばれる洞窟は、災厄の攻撃によってできた、ただの長い横穴だった。ムゲンの牢獄以外の場所が、湖の水や雨によって削られてここまで広がったんだよ」

「長い横穴。なるほど、それで竜の喉、ですか。それと、湖?」

「あー、お前はしらないのか」

「ええ、ご存知のとおり、ワタシはこの中で磔にあっておりましたからね」

「そうだったな。まあ、気にするな。そのうちわかる」

「そうですか」


 しばらく洞窟内を進むと、所々に魔獣の死骸が散見される。


「これはあなたが?」

「それもあるが、俺が消滅させた聖獣たちがやってたんだろ」

「なるほど、フックックッ。消滅ね。だから聖獣の死骸が見当たらない」

「そもそも、聖獣は消滅させる以外に方法はないだろう」

「あー、そうでしたね。フックックッ」

「なんだ?だいぶ含みがあるな」

「まあ、それは追々。また出会うことがあれば」

「そうか」


 二人が洞窟の入り口に辿り着いた。そこは崖の壁面であり、目の前には大きな海のような湖が広がっている。風によって立った波が、岸壁にぶつかっては引いていく。


「これは、なんとも。湖と云われなければ海と勘違いしてしまうほどですね」

「まあな」

「あなたはこれからどうするので?」

「戻るだけだが?」

「そうですか」

「お前はどうやってこの国を抜けるつもりだ?」

「そうですねえ……」


 目の前に広がる広大な湖を眺めながら、マタド・ク・シアは久しぶりの外の空気を大きく吸い込む。


「まあ、普通に出ていくのも芸がありませんね。撫でるくらいにはちょっかいを出していきますかね」

「ふっ。そうか。期待している」


 そう言い残し、音もなく、輪郭が霞んだかと思えば、そこにはもう誰もいなかった。その場所をじっと眺めた後、マタド・ク・シアが独り口を開く。


「おかしいですね。ワタシがこんなにも堂々と外に出ているのに、聖霊どもはなにをしているのやら」


 本来、あれほど重要な場所であれば、何かが起こった時に、何かしらの警鐘が聖霊に届くはずだ。しかし、ゆっくりとこの洞窟を抜けてきたにもかかわらず、その気配がなにもしない。


 おそらく、先程の黒衣の人物がなにかを施したのか、とマタド・ク・シアは考えを改めた。


「さて。ワタシも行きますかね」


 マタド・ク・シアは壁面から一気に飛び上がり、崖の上に着地すると、ドラハ・ラウアート森林内に向かって、悠々と歩き始めた。

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