第34話
勅使河原都が現界させた魔術、それは刀の柄を媒介に想像した概念を具現化するというものである。とはいっても、実際に刀身が映えているというわけではない。刀の柄の部分を媒介に、アニマを流し入れることで様々な効果が発現するというものだ。
神羅の属性で言えば、堰羅≪ティターニア≫の部類に該当する。実際の、目に見える物質を自分で再構築する、という特異性が存在する。
例えば今回の場合、硝碑を柄の部分のはめ込むことで、彼女の具現化しうる対象に硝碑が追加され、アニマを流し入れることで「硝碑の性質を持った何か」が具現化されている、ということである。
元来、硝碑という概念、構造が理解できていない彼女は、硝碑を正確に具現化することは出来ない。しかし、理解できない物であっても、実際に見て、触れて、感じて、使うことが出来れば想像力の概念に組み込むことは出来るようになる。どちらかと言えば、この「わからない物」を取り扱うのは颪羅≪ゼピュロス≫の特異性である。目に見えない空気、力を操ることに秀でているためだ。
それで言えば今回、勅使河原は硝碑を通じて堰羅と颪羅の両方の性質を持っている概念を具現化しているということになる。しかし、それは彼女の想像力をはるかに超過しており、本来具現化することは出来ない。故に、彼女が想像し、具現化したものは「硝碑の性質を持った何か」でしかないのだ。
硝碑の結界の縮小は、硝碑で囲った結界という前提条件を彼女が巧みに利用した結果に外ならない。故に彼女の魔術の副産物、というわけだ。
勅使河原が自身の持つ硝碑と、他に設置された硝碑、それらの間に神木哀がはいっている現状では、勅使河原が他の硝碑に近づくたびに、硝碑の結界は縮小する。佐野体積が小さくなればなるほど、流動するアニマの量は多くなり、魔術輪郭に流れるそれも増大する。
「私の魔術密度が上がれば上がるほど、あなたは身動き取れなくなっていきます。繰り返しますが、あなたは完全に包囲されているのです。おとなしく投降してください。」
勅使河原は淡々と宣言する。それが逆に神木哀の神経を逆なでる。それが出来れば苦労はしない、と。
半ば、彼女をかくまうのは未来機関の氾濫を防ぐ目的でもあるのだ。其れだけで言えば、未来機関所属の彼女と未来都市の治安維持という目標では一致している。しかし、人工知能AIの穴を未来機関が認識したとき、それがどのような結果をもたらすのかが到底理解しきれないし、それを願うような反乱分子的な思想も持ち合わせるような人間でもない。
(はじめはあまり意識していなかったけれど...あんまりにも上からの物言いじゃない?なんか、だんだん腹立ってきたわね。)
その苛立ち、逸る心に反比例して、硝碑の結界の重圧はマシテクノを感じている。その根源は何なのか―――
硝碑の結界の本来の目的は現場保存である。硝碑の結界にアニマを送ることで状況の保存をしているのだ。神木が感じている身体の異常はここに起因している。
現場の保存は、結界の中での運動エネルギーを制限することで産まれるものである。過度な流血を半ば強制的に止めたり、はたまた空気に触れて酸化するものなどの防止にも使われる。
しかし、もちろんそれを駅構内ですべての物体のものを止めようなどとすると、アニマの量がとても足りない。その空間の時間を止めるような神がかり的な現象の現界が、人ひとりのアニマで足りるなど、正に神的なまでのアニマの量だ。人間にそのような無限のアニマ創造機関などが出来るようであるならば、人類のエネルギー問題はとうに解決しているだろう。
そのため、まず駅構内に硝碑の結界を現界させたときには、内部の運動エネルギーの制限などは全くしていない。結界自体の内部と外部を遮断する概念だけが内蔵された簡易的な結界である。
そこから結界の体積を制限し、 人数を制限し、自身の想像力による具現化を制限することで、結界の条件を満たし、運動エネルギーの制限という現象が現界する。
そして、それも条件次第で通り抜けが出来る。その証拠に、実際に保護機関が駅構内の人間を回収している現状がある。
ちなみに、これは本来の硝碑の結界の使い方ではない。硝碑の結界自体はアニマがあればだれでも展開が出来る。しかし、それは結界の外側でアニマを流し入れることで運動エネルギーを制限することが可能になる、というだけであり、使用者自体も中に入って運動エネルギーを制限するのは、自爆行為に外ならない。なぜならば、自分の運動エネルギーも同様に制限されるのだから。
硝碑の結界の魔術輪郭自体は、現物である硝碑に宿っていることの弊害である。使用者自身で魔術の要項を変更し、対象を変更しようとするならば、魔術輪郭を自分にも同様に担保する必要がある。これは、硝碑の概念を理解していなければ、実際の魔術には組み込むことは出来ない。
彼女自身は、その硝碑の結界を、現物を柄の部分に差し込むことで疑似的に魔術輪郭に組み込んでいる。さらに、自身の神羅との兼ね合いというドラ牌が乗ることで、アニマを消費するが、疑似的に再現することが可能になっているのが現状だ。
ちなみに、刀の柄の部分、前後の両方に鍔が付いているのは、一度に具現化が出来る能力は二つまで。それが彼女の想像力の限界であるためだ。アニマの発露方法を刀の柄に絞り、そこからアニマを流し入れることで具現化する。
1つは今回のような、硝碑のような性質をもつものの具現化。そしてもう1つは―――
「ここまで懇願をしても、投降には至ってくれませんか...仕方がないですね。あなたには力ずくでも投降してもらいましょうか。......青糸の髪≪せいしのみぐし≫」
淑女は静かに呟いた。瞬間、刀の柄の片方、硝碑がはめ込まれいる部分とは反対側の鍔から、ゆらゆらと形を持たない流動体が一つの生き物のように生えてきた。彼女の呼吸に合わせて脈動するかのようなそれは、まるで刃の見えない刀という言葉で表すことで適切だろうか。髪という言葉からも、まるで彼女の一部のようであることを示さんとするばかり。
「お相手しましょう。どうぞ、お好きなように。倒しに来ても来なくても、私の拘束の条件は、もう整っておりますので。」
そう述べると、勅使河原はゆっくりと進み始める。その仕草からは、到底敵と対峙しているとは思えないほどの陽気なものであるように見える。しかし、 その手に持っているものだけが不穏である。ある一種、武器を携帯しながら草原をスキップするようなそれは非常に奇怪にて珍妙。不釣り合いな感情から、一瞬神木の脳は処理落ちするように停止する。
(何を......って、マジ?)
彼女がそのような奇妙な感覚に襲われたのもつかの間、硝碑の結界が運動エネルギーの停止を再度促す。彼女が歩みを進めたことで、半円状の結界の領域が狭まる。勅使河原と硝碑の間に必然的に位置する神木は、結界が狭まったことの影響をもろに受け、空に駆けるスピードがまた落ちる。
彼女のような運動に全ぶりしている魔術と、硝碑の結界の相性は正に最悪。彼女の足は真綿で首を絞められるが如く、ゆっくりとではあるが、確実に最高速度は落ちてきている。
(あの人が言っていた、”条件が整っている”という言葉......おそらく、この結界と、彼女の持つ鞭のような刀が関係している...?おそらく、私が何かアクションを起こさなくても、結界が縮まることで、私の動く領域が潰されて、強制的に彼女の型なの届く距離になっていく、ということなのね。)
神木は重くなった足を動かしながら、脳内で彼女の言葉を反芻し、分析を始める。
(私の体が重いのと、彼女がゆっくりと歩いていることから、彼女もおそらく、多少なりとも結界の影響を受けているはず...どうせこのまま走っても、埒が明かないのなら...いっそのこと!)
しかし彼女の能力と体力は有限であるがゆえに、彼女に判断を焦らせた。
神木は空に浮きながら、何度も流星の軌道を変化させる。そして、その星は勅使河原の想像よりも早く、堕ちてきた。勅使河原は反応できない。彼女の魔術は反射速度や動体視力をあげるようなものではないためだ。
(ならいっそ!こっちから!先手を打ち、隙を作る!)
勅使河原の背後を取った神木は、ざっとかがみ、右を地面につけ、一瞬急停止する。脚力に自信のある彼女は、勅使河原が振り向くよりも先に、彼女をノックアウトさせるべく、力を放出する。正に一閃。
しかし――その光は、青糸に絡みつかれる形で勢いを落とした。
「な......」
神木がその紙をほどくよりも先に、淑女の静かな声が彼女の耳を震わせた。
「さて、やっとお目に描かれましたね、火傷半裸さん。言ったでしょう?条件は整っている、と。」
髪≪みぐし≫が彼女を捉えている。彼女の足が地を離れ、飛び上がろうとした刹那、彼女の体に紙が巻き付いた。ちょうど蚕の繭のそれを彷彿とさせるそれによって、彼女の体は縛られ、拘束される。
(......マジか。)
「私ももちろん硝碑の影響を受けてしまいます。しかし、私のアニマの具現であるこれらは、その限りではないのです。魂のエネルギーであるアニマに、通常の物理法則は関与できないのですから。...さて――」
勅使河原はぐるりと回りを見渡す。背後には星ヶ宮がおり、その様子を驚いた様子で見ているのがぼんやりと彼女の目に映る。
ランカーよりも単純な実力では劣る彼女が、こうも容易く彼女を拘束した様子を見て驚愕したのだ、と勅使河原は推察する。
「やはり、ランカー制度は廃止するべきですね。ランカーという曖昧な存在で人々を惑わすのではなく、しっかりとした倫理観と正義を持つにんげんこそが 統治をおこなうべきなのです。東雲様も何をお考えであるのか......」
ぽつりと彼女が口にした言葉の意図は、神木には伝わらない、それよりも、彼女はここから脱出の糸口を探るべく、髪の中で懸命に隙間を模索する。
(...まずいわね。個々の意図の中は思ったより頑丈ね、下手に飛び出そうとしても、さっきの結界同じく弾かれてしまう。しかも、これを構成しているのが丈夫な釣り糸のようなものだから、動けべ動くほど、余計に絡みついてほどけなくなる。......これが彼女の魔術か......なら)
神木哀は、繭の中で下手に動くことを止めた。これ以上下手に動いたところで、自分のエネルギーが浪費されるだけだ、ならば、せめてチャンスが来るまでは、その力を少しでもためていたほうが賢い。
魔術が魂のエネルギーを素としているならば、彼女に対する最低の抵抗は―――
脱出せんと模索していた状態から、静かに動かなくなった彼女の様子を感じ取った勅使河原は、そこでようやく諦観したのだと確信する。
無事に任務を達成したという安堵。後は保護機関の人間に連絡し、駅構内の人を無事に保護できたかを確認しながら、任務の成功を未来機関に報告するだけ――
ふと、彼女の中で気になることがあった。この後取り調べ、身柄を拘束するのだから、今更気にするようなことでもない。しかし、それはそれとして、彼女は現在、自分の魔術の素、完全に拘束されている状態である。自分で自分の魔術を開場しない限りは、自らの優位性が揺らがない圧倒的優位な状態。
それでも興味本位で軽々しく行ったそれは、致命の隙を産んだ。
「そう言えば、まだあなたの顔をよく見ていませんでしたね。魔術は解除こそしませんが、あなたのお顔をよく見せてはくださいませんか?」
ゆっくりと勅使河原は蚕の繭のような髪の中を覗き込む。こちらが話しかけていても、一向に喋らなかった火傷半裸。そのため、顔はおろか、声すらも認識していない。そんな状態が彼女にとって非常に新鮮であったためだ。
基本的に強力な魔術を持つ未来都市の学生は、自らの絶対的自信と圧倒的高揚感から自己顕示欲が多少なりともある。其れの極みともいえるのがランカーである、と勅使河原は考えている。
隣にいた星ヶ宮は、強力な魔術による陶酔、というよりは、自らの美貌に対する圧倒的自信によるそれではあるが、根っこな同じ。魔術に過剰な拠り所があるものは、それを誇示する傾向がある。さもすれば、ランカー同じく様々な特権が手に入るし、俗な考えで言えば、単純に上に立った自己陶酔に酔いしれることが出来る。事実、彼女は司教≪サイドホーリーズ≫として様々事件を鎮圧してきたが、学生同士のもので一番多かったのは、そのようなくだらない諍いが主であった。
故に、彼女は不思議に思っていた。何も喋らず、ただ耽々と逃げ回っていた彼女は、そのような事例に当てはまらない。では、彼女は何が目的であったのだろうか、と。
自分が絶対的な優位性を持つと考えるが故の、横道にそれた考え方。魔術で完全に拘束できている現状。脳の容量が空いたからこその致命である。
彼女はゆっくりと神木の方に近づく。一歩一歩踏みしめるようにゆっくりと近づき、幼子に諭すような優し気な言葉を用いて、心を開かせんと話しかけた。
「星ヶ宮さんとはたくさんおしゃべりしていたのでしょう?私とも少しおしゃべりしましょう?興味があります。あなたのことに―――!?」
勅使河原が言葉を紡ぐその隙間、呼吸が止まる。彼女の目の前には燃え盛る女性の下着が目の前に姿を現した。
―――あまりにも摩訶不思議な体験に、一瞬彼女のアニマは硬直する。PCで言うところの処理落ちである。その好きこそ、神木がこの蚕の繭から脱出するための奇策、奇怪な猫だましである。
神木の上半身の最後の砦。それを投げ捨ててまで指した、見るに堪えない怪奇な策。この味噌は女性ものの下着、という点にある。
意味の分からない状況に、思わず彼女の実は硬直し、ぎょっとする。
(なぜ?なんで、ここに燃えるような――実際に燃えている、女性ものの下着が?というか、星ヶ宮と話していた火傷半裸はなんでここでそんな奇行を?―――意味が分からない!?)
魔術を使用する彼女に対する最低の抵抗は、彼女の魂を動揺させることで、魔術の輪郭を破壊することに努める、というものだ。恐怖、怒り、そして信じられないものを見たときのような驚嘆こそ、自身の使う魔術の輪郭を破壊することが出来る。人は平静を装えないとき、何か別のことを想像することは困難である。
単純に脳の容量の問題だ。何か別の強力な感情が入り混じったとき、想像は簡単に崩壊する。
無論、魔術輪郭の崩壊を止める手段も存在する。
硝碑を一つすでに持っているのにもかかわらず、わざわざ刀の柄にはめ込み、そこから具現化した消費のような何かを用いて結界の条件を変更していたのも、アニマの発露方法の限定に依存し、脳の容量に遵守している結果である。
来栖シュカのペン同様の、魔術輪郭を他で補うことによる弊害ではある。しかし、彼女と勅使河原の違う点は、他の媒体が自身の魔術で具現化したことか否かである。
勅使河原の媒介である刀の柄は、未来機関から制作された特別製であり、魔術...アニマを用いていない。そのため、他で代わりになるものが無数にあるし、最悪そのぼうっきれが木の棒であったとしても、条件が変更させることはあっても、魔術を使うこと自体は出来る。
反対に、来栖シュカ。彼女が生み出したペンによって、現在神木の体はボディペイントを施され、殺生院の姿と似たような状態にはなっている。
あくまでパッと見た体の怪我や、星ヶ宮の魔術による炎が残っているという程度であり、体のライン、特に男女での明確な差である胸の部分などは彼女のままである。七海がこの作戦を立案、実行に移した際に、神木が正気を疑ったのも当然であろう。いきなり婦女が半裸に剥かれれば、彼女とて羞恥の心がある。
そして、これは明確に来栖シュカの能力ではあるが、ボディペイントを行う際に使用したペンも同様に彼女の能力の結果である。
媒介自体が魔術か否か、この部分が勅使河原と来栖シュカの明確な違いの一つ。そしてそれが、具現化させる魔術と”魔法”の絶対的な違いを産むことを、彼女たちは知らない。
(今しかない!!奔走れ!私の脚!今動かずして、何のための脚力か!)
明らかな勅使河原の動揺により、魔術の輪郭がぐらつく。流れるアニマの量自体の変化はないため、魔術の現象が消えるということはないが、それでも明らかに拘束が弱弱しくなっているのが見て取れる。
今しかない。彼女は確信する。
光が一直線。それに軌跡が舞う。神木はその一瞬の隙を突き、彼女の魔術からの逃走を成功させた。閃影が伸び、彼女は瞬く間に宙へと飛び立った。
その姿から、思わず勅使河原は呆然とする。
「火傷半裸、女性だったのね。驚きだわ、流石に。」
動揺をかき消さんと、刀の柄を握る力が増す。仕切り直しだ、とお互いに感じる最中、その様子を結界の外で見ていた星ヶ宮は、思わず吹き出し笑みがこぼれた。
「何だ、百点じゃない、神木さん。私に影響されたのかしら?」
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