第11話
ペンは剣よりも強し、という諺は、皆もうすでに耳に足立つ蛸が脳に触手を伸ばしかねないという瀬戸際に追いつめられるほど、飽き飽きした言葉だ。殊更に、我々学生にとっては。
知性や学問の力は、暴力の力や恐怖よりも強大であるということを顕示する、などということは今は昔の話である。今やそれは、言論の力は暴力を凌駕するという意味で使われている。なぜか。
言葉という概念は、一社会が個人に与えた、感情や意思などの伝達ツールに過ぎない。これは過去においても同義である。人々がコミュニケーションの中で、最も重要視する重要なファクター。これなくては社会は当然、生きていくことすら重荷になりかねない。それ故に人々は言葉を重要視する。人と笑いあうため、人に思いを伝えるために。
しかし、言葉はその個人の背景にある行動や、それらを支える人間によってもその意味を変えていく。例えば自分の人生が暗黒に陥った青年に、ホームレスが人生の正解を解いたところで、何かが好転するわけではない。それがどんなに意味のある、有意義かつ人生の希望に足るものであったとしても、その価値にも気が付けないまま話はそこで終了だろう。
逆に、どんなに意味のないことであったとしても、その言葉を唱える人間の背景や力が存在すれば、その価値が変わってくるというものが世の常である。大統領が大量虐殺のボタンを持っていたとして、「じゃあボタン押しま~す」と言おうものなら、その国の情勢は一気に傾き、ニュースの記事が所狭しと量産、掲示され世界が混乱に陥ること間違いなしであろう。そこには深い意味も目的も、思いも何もないというのに。
概して、言葉というものは、人間の持つ足跡によって、その意味や形を変えるような浮気者である。そして、それを伝える役割を持つペンというツールは、正に非常に非情で異常な人類の兵器であると形容できる。
故に言の葉の持つ力というものは、あまりにも侵略的かつ冒涜的。それでも人と人をつなぐ言というものがあると、そう本気で信じている人たちがいるならば、彼らの脳はもはや修復不可能まで来ている。言葉というものが紐づけることが出来るのは事象と該する言のみ。その対象に、私たち人間は入る隙など微塵もありはしない。それでも言葉を扱う我々には、そろそろ新しいルールが必要なのではないかとすら考える。
閑話休題。私の目の前の事象に焦点を合わせれば、これまた呆けた顔でペンを握りしめたシュカが、自分が今作り出した魔術の結晶を、まじまじと覗いていた。
ノックを押し、指先で回し、書き心地を確かめる。私たちが文房屋に赴いた時、必ずや行う行動というば試し書きであるが――
「使い方を試そうにも、もう紙がないんですけ―――どぉぉお!?」
来栖シュカが魔術の師事を仰ごうと、七海摩耶に振り向いた刹那。七海は彼女を背中を押す。七海や来栖の周りには、先ほどの星ヶ宮綺羅凛の魔術によってもはや鉄柵がその意味を守り通すことを諦めたように力なく垂れている。押せばたちまち倒れこむ風体を持つそれは、その貧相な見た目に違わず滑らかに来栖シュカを谷底へと突き落とした。
あまりに脈絡のない、不可避の突進。小さな体でシュカを押すにはそこそこの力だって必要だった蝋に、それを七海からは感じない。あっけにとられる私は、落下していく彼女の方に近寄らんとするが、裾を七海に引っ張られた。
「何するんですか!人を突き落としといて!」
激情にも似た感情のまま、実行犯にて確信犯の七海を睨めつけ、言葉を吐き出す。反対に、彼女は極めて冷静で沈着であった。
「神木はちょっと待機だ。これは彼女のテストだしな。もしやばくなりそうだったら私たちも行こうか。」
「ええぇ......大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。それに鳥居の方を見てみな。ほら。」
七海は私の裾を掴んでいた手をポケットの中に収めると、鉄柵の方に歩き出す。そして崖間際のギリギリのところで足を止めると、顎をクイっと突き出した。その隙間から一歩踏み出せば、崖の下に転落してしまうことを想起させる小さな体躯。それに似合わぬ堂々とした巨体を思わせる、どっしりと構えたその態度に気圧されると、私も彼女の顎がなぞる方角に視線を向ける。
「...なるほどね。」
七海が見ろと言っていたのは、下の喧騒と爆炎が極まる爆心地ではない。むしろその過程。シュカがペンの握りしめて落ちていった過程を見ろということであった。
彼女が落ちていった跡に、縦一文字の切れ込みが宙に浮いている。その空間の隙間からは、白い運河のような雲煙が黙々と立ち込めていた。
「これは、多分彼女が生み出したペンが能力を発動した際に現れた副産物だな。ペンと一口に言っても、何も紙に言葉を綴るだけがペンの仕事ではない。絵画に書きなぐったり、心に現れた情動を具現化したりすることも立派なペンの役目だ。それを広義的にとらえることが出来るほどの想像力が生まれれば、こういうことも可能になるんだ。シュカも無事なようだな。」
さらにその下を見れば、シュカは地面にすとんとゆっくり着陸している。通常であれば、3階程度でも不意を突かれて落とされたともなれば、大けがどころでは済まないだろう。しかし、シュカは怪我をしていないどころか、優雅に地上に光臨する天使の如く可憐な動きを以てしてその両足で地面に立っていた。
「あ、あれ......?私...」
「あれ?来栖さん?私の美貌につられてのこのこやってきちゃった?駄目よ~。まだここは危ないから~。」
ポカンとした面を戦場で見せれば、たちまち命のカウントダウンが始まる。そのことに気が付けぬものが少なくとも2人、私とシュカであろう。何が起きているかを悟れぬまま至福の傍観を決め込んでいれば、たちまち燃え滾る熱い男の怒号が点を貫かんとした。
「だ、だ、だ、誰だーー!!僕の、僕たちの愛のハコに無断で立ち入るのは!許可なぞ出していないぞーー!!不法侵入者がぁ!!」
「表現が古すぎる...しかもこんな爆発ひしめく戦場を愛のハコって表すのはどうなの?」
「ああ多分、麻薬取引をパーティーってルビ振るのと同じ道理じゃないかしら?そこまで意味があるのかどうかなんて、妄想極めすぎて見当もつかないけどね。とっくに死語よ、それ。」
皮肉に口元を歪ませながら、星ヶ宮ははだけた胸元を見せびらかすように背筋を伸ばす。それに呼応して周りの空気が彼女を中心に妖しく蠢く。星ヶ宮の不思議な爆発的魔術が、その力が発動される合図を待っているかのようだ。しかし――
「何度やっても...いや、何度もやったからこそ無駄ですよ、我が天使。あなたの魔術ではもう私を死の淵に追いやることは出来ない。それはあなたも薄々わかってきた頃合いでしょう?」
星ヶ宮がスッと目を細める。同時に口元では苦虫を潰さんとばかりに軽く舌を出している。それでも彼女の凛とした美しい顔は、一切の美貌を失っていない。
反面、殺生院はその逆。焼け爛れる皮膚、それを意に介さぬ快活な声。不自然極まりないその状況の不一致でも、粛々と彼は講釈を続けた。
「あなたのから賜る祝福、壊血壊血竈は初速が命。余りある美貌とそれに付随する圧倒的自信から発生する爆発は、芸術は爆発だということを体現している。私もそれに深く同意しているんだ。だからこそ、それを崇める人の心の介入を許してほしいんだ。それだけなんだ。」
彼は燃え盛る両手で、自分の周りを覆いこむように包む。それはまるで、自分の左右から抱きしめんとしているように見えて随分と気色が悪い。自我の庇護のみを目的とした、か弱き身を案じるようなポージングは、星ヶ宮の威風たる姿勢とまるで真逆のものである。
「透明は銃を構えながら言われてもね。君は神様に祈りをささげる時すら手から剣を下ろすことをやめないんでしょ。それどころか......」
冷徹にも星ヶ宮はにやりと笑いながら、可憐なひとさし指を指す。指の先が示すのは、彼の魔術の源である右手。私たちにとってその掌は、七海の説明を聞いてなお、何の変哲のない人畜無害のそれに見える。しかし、ここは能力蔓延る土地の分水嶺にして、彼はそのトラブルの渦中にある。じりじりと警戒しているため、自分の中での集中が途切れそうになる。
「天の使いの如き美貌を持つ私のの前でも銃を持っているんだから。ずいぶんと臆病なものねぇ?」
「「「それはポンポン爆発する星ヶ宮(さん)も悪いよな?」ですよね?」んじゃないですか?」
三か所から三者三様の異論が、彼女の心にぐさぐさと突き刺さる音が聞こえる。しかし、それを彼女は決して意に介さない。反乱も、反論も、反発もまるで反故であると言わんばかりの堂々とした姿で右手を掲げている。殺生院はそのことを圧倒的自己と表したが、実に適当である。
その風体に、七海はふうっと軽い溜息をつくと、星ヶ宮に問いかける。
「それでどうだ、お前も何かと苦戦してそうだから、何か盤外の一手が必要な頃合いだっただろう?ちょっとテストと遊びがてら、彼女を仲間に入れてやってくれよ。」
「何を勝手に.....!」
友人を(無事がわかっていたとはいえ)勝手に窮地に立たせた挙句、なんとも無責任極まりない言いぐさに、私の心は憤慨の意を示すことに躍起になっている。しかし私が遺憾の意を示すより先に、七海がその口を開いた。
「何にせよ、こっちの土地ではどうしてもこういうことは出てくるさ。それから身を守ることが最低条件でもある。チャンスと力は乗りこなして見せてこそ輝くんだ。使い方がわからないから、で何億も当たる宝くじを捨てたくはないだろう?こっちの世界に足を踏み入れたいなら、それくらいの能力と覚悟を見せて見ろ。」
その言に私とシュカは、それぞれ異なる思惑を以て瞳孔を大きく開く。それはシュカの夢に通じるものがあり、ここで頭ごなしに否定をしてしまえば、それは彼女への否定に直結していることを感じる。そのため、私はみすぼらしくつばと言葉を飲み込むほかなかった。
「まあ、ちょうど私の手に余る変態ではあったから私はいいけど。......できるの?あなたは。」
諦観と憂いに満ちた私の反面、シュカの目から一筋の閃光のような光が満ちる。それはあまりに流麗であり、彼女の身に授かった能力が、正に神とやらの祝福を受けんとせんばかりであった。
「......やります。やらせてください。必ず、この能力を使いこなして見せます。」
「良い覚悟だ。やっぱり乙女の原動力は、希望に満ち溢れた夢こそ、だな。来栖シュカ。」
シュカの勇気と希望溢れる返事に、七海摩耶は満足したように深くうなずく。
「能力、特に魔術という概念は、想像力次第でどんな風にも姿を変える。自分がやりたいようにやってみろ。きっとその力は応えてくれるはずだ。」
「はい!」
「僕のあずかり知らない間に、とんとん拍子に話が進んでいるな。それなら、僕らと君たちは互いにもうおじゃな虫だろう?僕は我が天使と一緒に消えるから、これ以上余計な茶々はいれないでいてくれないかな。」
殺生院が燃え盛る体の一切を気に掛けず、飄々と他のものに話を振る。あまりにも今の状況を感じさせないほどの、日常に溢れたその言は、まるで気の置けない友人と喋るときの快活な青年のそれである。それゆえ、一触即発のこの場においては、一種の強者故の振る舞いとも感じられる。
「あなたと一緒なのは、いろいろと面倒臭いから丁重にお断りさせていただくわ...っていう話を何度やったかわからないのだけれど。いい加減諦めてくれないかしら。しつこい男は嫌われるっというのは、時代が変わっても、多分不変な事実ね。」
「そうさせているのはあなたの魅力に外ならないのだ。だったら、あなたはその美しさに見合う責任を取ってもらう必要があるだろう。」
「芸能人がネットで叩かれていようものなら、心が浮足立ってそうよね。有名税って言葉も好んで使っていそう。あなた、もうちょっと世界に目を向けて見たら?」
「減らず口め」
なんとも互いに一歩も引かぬ言の葉の連鎖。否、やや若干星ヶ宮の鋭利さが散見される状況。その両者の渦中に放り込まれた来栖シュカは、ペンのト自分の能力に思いをはせている様子である。その集中力たるや、周りの最悪な空気感もなんのその。彼女の想像力は、現実を見てさらに進化せんとしている。
(私の能力はもともと紙を自在に操る能力だった...だけど、今は紙の代わりにこのペンが握られている。なぜか?)
自分の心の中を整理せんと、さらに彼女は自分の中の心に問いかける。自分の意識下において、紙とペンという媒体はあまりにも日常に溢れているものだ。それ故に、紙の能力を自分の力と確信したときは、随分な落胆をしたんだ。如何せん、JKが扱う魔術というには渋すぎる。もっと手から激しい炎を出してみるだとか、体内外の水を操るだとか、わかりやすく映えるものがよかったというのに。
(それでも、こんな意味不明の能力が私の能力として発現している。発現する魔術の根底には必ず想像力からあふれるイメージが先行する。其れの形を掴むのが...)
自分の胸のあたりに手を当てる。そこには、胸ポケットにしまわれている生徒手帳。その小さな察しの隙間に挟まっているルーズリーフの切れ端を思い出せば、彼女の目に確信が宿る。
(明確な記憶...いや、思い出ね。”イメージの輪郭を掴むときに、心と脳に刻まれているものこそが、魔術の篝火になる”という先の言の意味は、こういうことだったのかしら。だったら――)
「まあ、どれだけ言おうともこのまま平行線なら、力づくでも我が天使を連れて帰るよ。僕に天使が舞い降りたその日から、僕の美しさは彼女のためにあるのだと理解できたのだから!!」
「独り善がりの自慰行為ジャンキーね。私が本当の天使だったとしても少なくともあなたを救おうって気にはならないわね。...シュカ、いけそう?」
「ええ、何となくですけど、イメージできてきました。この能力の使い方が。」
「お邪魔虫は先に帰っていてくれよな!」
殺生院が再び輪ゴム銃の構えをとる。両の手で突き出された親指と人差し指。その対象はそれぞれ来栖シュカと殺生院である。その怒号とともに、彼の指に光が集中する。
「天使の加速装置≪キューティーハニー≫、発動!」
彼がそう叫べば、その長く伸びた人差し指の砲身から銃弾が発射される。発射のマガジンもなければ、それの源となる火薬もなければ、もちろん連射できるようなシステムなんぞも当然、人体の指には備わっていない。
否しかし、重要なのは人間が拳銃の動きを模倣できていることではない。ここは魔術の年であるがゆえに、そんなことをいちいち気にしていたら、おちおち未来都市で豪遊などできるはずもない。さらに言えば、星ヶ宮の魔術の方が、理解不能かつ創造困難なのであるからして、些末な問題はいったん棚に上げておく。
私は、そんな些末なことより、最も重要なことを見逃さない。彼女が今発動したのは、どちらかと言えば、魔術より魔法に近い。そちらの点に私の心は動かされたのだ。
「なるほどな。そっち側に飛んだのか...なんて奴だ。来栖シュカ。」
私は、絶対に気が付かれないため息を精一杯吐き出しながら、目の前の奇跡に胸を躍らせていた。
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