第6話
ベースとギターの二本を持ち運ぶのは流石に骨が折れたので流石に分けて持ち運ぶ事にした。
まずアンプとギターを持って展望台へ行く。案の定悠が先に居たので見張り番をしてもらって今度は残りのベースやエフェクターを何個か。借りた小さなアンプにピックや手袋を鞄に詰め込む。
帰りの事は考えない事とする。
「流石に疲れた……」
床に座り込みそうになるけど、流石に堪えて手すりにもたれ掛かる。
「今日、大荷物、だね」
いつもとは違うカバーをつつきながら、悠は笑い掛けてくれる。
やり切った自分を褒めておこう。ここまでくればもう辛い事は何にもないのだ。
「うん。悠にもう楽器を一つ教えようと思って」
僕はエレキギターを取り出す。
このエレキギター、とんでもなく高級と言う訳じゃないのだが、いまの僕にはとても弁償出来るものじゃない。
白森先生は別に壊しても大丈夫! とは言ってくれている。言い訳ないが。
乱暴に使うつもりはないけど、慎重すぎても意味はないと分かっている。でもぎこちなくなる。
「それは、ベース?」
「いや、エレキギターって言うんだ」
首を傾げた悠に対し、僕は音を聞かせた方が速いととりあえずのセッティングをすませて、適当なワンフレーズを鳴らして見せる。
エレキギターはベースに比べて音の幅が大きい。音量もそうなのだが、調整によって全く違う音が出る為、リズム作りをするベースとは似ても似つかない楽器だ。
ベースは基本的な土台作りをするからあんまり注目される事は少ないけど、エレキギターは音を前面に出して主張する。
花があるのはやっぱりエレキギターだ。
「とまぁ、こんな感じで音が違う」
「弦の数も、違うね」
「ああ、そう。こっちの方が多い」
鳴らせる音が広いから覚える事はベース以上にある。
前に出て見られる立場でもあるからテクニックを求められるのもエレキギターだ。だからたまにギターの下手な奴がベースをやる、みたいな事を言われる事があるのだと思う。
「じゃあ、私、ベース?」
「いや悠がこっちだ」
僕は悠へ、ピックと手袋も忘れないようにしてエレキギターを渡す。
ストラップを掛けて、右手にピックを携え、手袋を嵌めた悠の姿はベースを持っていた時よりもさまになっている。
あまり変わらない筈なのにこれだと言う噛み合い。山々は雲が隠してこそ、必要ない筈のものがあるから生まれる美しさみたいな……何だかうまく言い表せないな。
「似合う?」
「え、うん。凄くカッコいい」
珍しい問いかけに僕は生返事を返した。
いや本心なのだけど、悠はあんまり見た目を気にしている素振りもなかったから聞かれるなんて思わなかったのだ。
「カッコ?」
「え、あ、格好いい、です」
「可愛い、じゃない?」
「え」
何でそんな事を聞いてくるんだ。
可愛い……と言われても、僕は目を細めて考える。可愛くない訳じゃないけど、それに関しては最初から感じている事だ。
別にギターを持ったから更に可愛くなったとは思わないんだけど。
「……可愛いと思います」
まぁ、僕は空気が読める。
「本心?」
バレた。
「い、いやギター持って可愛いってのは結構違うと思ってるから、その可愛いは別にギターに依存しないって感じでその」
「うん。それで?」
「それで? え、えっと、まぁ最初から可愛いと思ってます」
「なら、良い」
良いんだ。何で今詰められたの僕。
「それで、これ、どうやって、弾くの?」
「あ、ああ。ベースと大きくは変わらないんだけど」
急激に話を戻され、困惑しながらも僕はとりあえずの抑え方を教えた。
ベースで教えた部分の流用が幾つか出来るし、エレキギター特有の部分に関しても悠ならすぐ覚えるだろう。
そして案の定、二時間もしない内に悠は僕の曲のギターリフを覚えてしまった。ついでに僕以外の楽曲も覚えてもらってみたが、それもまた完璧に弾いてしまう。
末恐ろしい才能だった。
まさに天才。
「本当に凄いな……」
凄い、というか異常だった。
一を聞いて十を知るという言葉があるが、悠は二十も三十も理解してしまう。言葉では足らない部分もあるから、スマホに入れてある教本とかで補ってみたりしているのだが、その速読具合も半端じゃない。
悠は、僕の十代前半を費やした音楽人生の歩みを簡単に超えようとしている。
口の中で砂利でも噛んだみたいな音がした。
けど、それ以上に溢れてくるのは飢えだ。
「他に、ある?」
「覚えるのはそれくらいにしよう。今日は少し聞いてほしいものがあるんだ」
そう言って僕は持ってきたノートパソコンを開く。
スマホの音響でもよかったが、どうせなら少しでも良く聞こえる様にとパソコンと同時に取り出していたヘッドホンを悠に渡した。
「これは?」
「こうやってつける。曲が流れるから聞いてみてほしい」
「分かった」
ヘッドホンを悠につけて、僕は再生ボタンを押す。
今日出来たばかりの僕の新曲のデモ。実の所まだ完成じゃなくてギター、ベース、ドラムのパートだけ作って、一応の形にしただけだ。
だからまだタイトルはつけていないけど、テーマはある。
夜だ。この展望台から見える夜空の景色が想起されるような、落ち着いているけれど心躍るような曲に仕上げた。
悠の声に寄り添うのであればピアノとか落ち着いた楽器をメインにしても良かったけど、メインはエレキギターだ。
だってこれは悠の為の僕の曲でもある。僕が聞きたいように組み上げた。
「良い、ね」
悠の言葉に、僕は心の中でガッツポーズをとった。
微妙と言われないかと内心ビクビクしていたのだ。いや、良いと言ってくれると作っている時は自信満々だったのだが、直前になって言いようのない不安に襲われていただけだ。これまでの全てを注ぎ込んだ僕の今の最高傑作だと自負している。
それを態度に出して虚勢を張っていたけど、反対に怯えても居た。僕だけが良いという曲だと思っているんじゃないかと。
悠に前の方が良かったとか、ここまでやった既存の曲と比べられて何か言われた瞬間に僕のプライドが大きく傷つくんじゃないか、とか。
「うん、凄く、良い」
改めて、噛み締めるようにヘッドホンを外した悠はそう言って笑顔を見せた。
良かった。作って良かった。本当にそう思った。
「でも、この声、幸谷、じゃない?」
「えっ、ああ、うん。音声ソフトの声」
前までの曲はインストゥルメンタル、つまるところ歌詞のない曲だった。だけど今回は歌詞を加えて無料の音声ソフトに歌わせている。クオリティはあんまり高くないし、わざと音量も下げている。
その理由は勿論一つだ。
「悠が交信するように、かな」
「えっと、これで、交信、するの?」
「そう、交信する」
悠はギターとパソコンを交互に見合わせている。
流石に、同時進行は厳しかっただろうか。ギターヴォーカルと言うのは正直に言えばとんでもない所業である。
体に沁み込む程に練習した演奏をしながら、頭に覚えさせた歌を何度も枯れさせて整えた声で歌う。サイドギター、あるいはキーボードなど支える音を増やしてもう少し優しくしても良かったのだけど、全部やめた。
僕は悠を試したくなったのだ。
「何回か、やってみて、良い?」
「何時間でも付き合うよ」
ノートパソコンからヘッドホンを取る。とりあえずはこの音源に合わせて練習するのが一番だろう。
作ったのは僕だ。この曲については覚えているし、悠の邪魔をしないように。
そう、思っていた。
僕の視界は一瞬に真っ暗になった。思わず僕は隣を見ると、エレキギターを持った悠の姿がはっきりと見えたし、それに気付けば、暗闇は錯覚だったとすぐに理解する。
「幸谷?」
僕の様子に気付いた悠は、演奏を止めてしまった。
今のは何だったのか、とは言うまでもない。あの闇は夜だった。僕がこの曲で表現しようとした夜そのものだった。星明りの少ない暗い夜の中で孤高に、孤独に光を放つ月が僕には見えた。
悠の姿が月で、声が月光で。
「……もっとやろう」
「え、うん」
「ごめん。次はちゃんと演るから最後まで止めないで」
「えっと、分かった」
僕は今、自分がどんな顔をしているか見えないけど分かった気がした。
口角が上がるのが抑えられないのだ。僕が想像出来る限界に収まるなんて思った僕が愚かだった。
悠は異常で、悠は天才で、悠は最高だった。
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