第3楽章 意思疎通

神楽坂かぐらざかが吹奏楽部を指導し始めてすぐ、もう一つの問題に気が付いた。それは、返事だ。神楽坂が何か言うたびに、元気のよい返事が返ってくる。しかも、こちらも挨拶あいさつ同様に声がそろっている。よく訓練くんれんされたもんだなと神楽坂は思う。もちろん皮肉だ。

神楽坂は返事も禁じた。正確に言うと、脊髄せきずい反射はんしゃのように返事をすることを禁じた。

「君たちが今している返事はただ『聞いています』という意味だと思うんだ。そういう返事が必要な時もあるけど……。

人によっては、僕の意図することがすぐわかることもあるだろうし、ピンとこないこともあるんじゃないかな。そういう時は、もう一度説明してほしいでもいいし、言っている意味がよくわかりませんでもいいし、リアクションをしてほしいんだ。僕の言っていることがちゃんと飲み込めたか、どうかの」

部員たちがおどろいた表情をしたので、何かおかしなことでも言ったかなと思っていたら、「コーチに対して『言っている意味が分からない』などと言うのは失礼ではないでしょうか」と質問された。

「なるほど、それも一理あるね。気難きむずかしいコーチなら、不愉快ふゆかいに思うかもしれない。でもそれって正しいのかなぁ。もし、そこで僕の機嫌きげんが悪くなって、なんでそんなこともわからないんだ? って怒りだしたら、君たちはどう思う? わかったふりをするようになるんじゃないかな? そしたら君たちの演奏は変わらないまま。だってわからないんだもんね。そしてまた同じ指摘してきを受けることになる。なんでできていないんだ、前も言っただろう!? なんて言われてね。それは君たちも嫌じゃないかな? そんなことになるくらいだったら、僕はわからないならわからないと最初から言ってほしいなぁ。

そもそもね。君たちと、コーチの音楽観おんがくかんが全く同じなんてことは絶対にありえない。育った環境も、経験したことも、音楽にれてきた年数も、違うんだから。僕がこうだと思っていることを君たちがすぐにそうかと受け入れられるわけがないよね。だから、僕の言っていることがよくわからないならそれでもいいと思うんだ。よくわからない、と伝えてくれたら、僕はもっと他の方法で君たちに伝えようと思う。そうじゃないとコーチの意味がないと思わないかい?」

なんとなくうなずく者、首をかしげる者、それぞれの反応を見ながら、神楽坂はにこりと微笑ほほえむ。

「そうそう、そんな風にさ。リアクションしてくれたら、僕はこの子は今の言い方で分かってくれたなーと思うし、こっちの子はピンと来てないな、ってわかるでしょ。

そしたら僕はもう少し別の方向から説明をしようって思うわけだよ。

同じことを言ってもね、言葉は人によって解釈が微妙に違ったりするんだよ。音楽ならなおさらだ。だから、君たちが思ったことを言ってくれていい。部活は、軍隊じゃないんだからさ」


―――――――――――――――


<今日のワーク>

友達と話していて、話が噛み合わなかったり、同じものを見ているのに感じ方が違ったことはないかな?

違う地図を持って歩いていたら、みんなそれぞれ違う場所に辿り着いてしまう。お互いの地図を見比べるところから始めよう。

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