エイデンは愚かでした。

@yonakahikari

エイデンは愚かでした。

 エイデンは愚かでした。

 要領が悪く、物覚えが悪い少年でした。

 十二才の使用人見習いとして、然るお方のお屋敷で働いていましたが、掃除をさせれば更に散らかし、洗濯物は泥まみれ。調理場のお手伝いをすれば皿を割り、薪を割ろうとすれば斧が宙を舞う。庭木の手入れなんてこまやかな作業が出来ようはずもありません。

 エイデンは愚かでした。

 高貴な人のお屋敷というのは、お仕えの使用人にも相応の教養が求められます。

 ですので使用人達のリーダーや、古株のメイドさんが教師となって、見習いの少年少女に知識と技術を伝授します。エイデンも、他の見習いたちと一緒になって、様々な事を教わりましたが、次の日にはすっかり忘れているのでした。

 ある日、エイデンたち見習いは、リーダーと古株のメイドさんから、大事なお客様への挨拶の仕方を学びました。翌日から、とても偉い肩書きを付けたお客様が、そのご家族と共に、お泊りにいらっしゃる予定だったのです。

 燕尾服の少年たちは、右手を胸元へ、左手を腰の後ろへ回し、斜め四五度のお辞儀を徹底して仕込まれました。

 給仕服の少女たちは、スカートの裾を両手で摘まみ、恭しくこうべを垂れる練習をしました。

 エイデンも又、皆の姿にならって沢山、お辞儀の練習をしました。

 けれどもいざ本番。お客様御一行をお出迎えする為に、屋敷中の使用人たちが門の前に整列しましたが、エイデンだけどうにも皆と息が合いません。

 使用人たちが一斉にお辞儀をすると、一拍遅れで慌てて頭を下げる。左手を胸元に、右手を腰に回し、上体の角度は九〇度。

 その背中に、なんの奇跡か、どこからともなく飛んできた鳩が着地して、ぽうぽうと鳴きました。

 そんなエイデンのマヌケな姿を指差して、馬車に乗ったお客様たちがくすくすと笑うのでした。

 エイデンは愚かでした。

 リーダーの「お客様が居られる間、キミは何もしなくてよい」という言葉をそのまま受け取って、皆が忙しなく働いている間中あいだじゅうずっと、中庭で昼寝をしていました。

 お客様に見つかりました。

 高貴な人は苦笑いでした。

 リーダーからは怒られました。

 物凄く怒られました。

 エイデンは愚かでした。

 使用人の控室の隅っこで、リーダーが彼を説教しました。

 メイドさんたちからは渋い顔で一瞥され、見習い仲間たちからは呆れの溜息を吐かれました。

 それでもエイデンが、よせばいいのに「リーダーが何もするなとおっしゃったので」なんて不満げな上目遣いで言ったものですから、リーダーは遂に堪忍袋の緒が切れました。

「ならばエイデン、キミは私の命令なら何でも聞くというんだね?」

 エイデンがおずおず頷くと、リーダーは背後に控えていた屈強な木こりと庭師に目配せをしました。

 二人はエイデンの両側に回り、彼の肩を担ぎます。エイデンがいくら身体を捩り、足をじたばた動かしたってビクともしません。そのまま裏門まで強制連行されたエイデンは、柵の向こうに放り投げられてしまいました。小柄で痩せっぽちの身体は、美しい放物線を描き、不格好に地面へと転がりました。

 打ち付けた右腕を押さえながら、なんとか起き上がったエイデンの目に、リーダーの恐ろしい笑顔が映りました。リーダーは懐から銀貨の入った革袋を取り出すと、それをエイデンに放ります。

「命令です、エイデン。二度とウチの敷地へ入らないように」

 冷たく、それだけ言ったリーダーは、エイデンに背を向けて屋敷の方へと歩き出しました。木こりと庭師も、それに続きます。彼等はまるで、エイデンなどという少年は最初から居なかったのだと言わんばかり、決して振り向く事はありませんでした。

 エイデンは愚かでした。

 家事が出来ません。料理が出来ません。力仕事が出来ません。マトモに挨拶も出来ません。

 無情に閉じられた鉄の門扉の前で、へたり込む事しか出来ません。

 エイデンは愚かでした。

 彼には、出来る事なんて何一つありません。

 自分がどうしてお屋敷を追い出されてしまったのかも、エイデンにはちっとも分かりませんでした。

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