1-15 限界
「さて、暇つぶしにメイクしてあげるから覚悟しなさい。」
セリスの深刻な気持ちに気づいているのかいないのか、突拍子もない話に気持ちが揺さぶられる。
「…私を暇つぶしの道具にするな。」
あしらい方も、あしらわれ方もお互い少しずつ慣れてきた。姉妹のような関係になりつつあることが、ヴィーチェには嬉しかったが、自分は彼女にかけられた『保険』である事実を思い出していた。
「いいじゃない。それとドレスくらい持っているでしょう、リンデンバウム伯爵。」
いつか自分が殺さなければならない可能性はあるが、今はもっといろんな世界がある事を知ってほしい。その力を行使する時がきても自分は彼女を覚えておきたい。この世界を守るために使われた『兵器』としてのセリスではなく、ひとりの不器用な人間として…。ヴィーチェなりの決意は少しズレているが、それが彼女なりの愛し方。
「あることはあるが、着たことはない。」
名門貴族のリンデンバウム家の当主とはとても思えない発言に、彼女は思わず目が丸くなってしまった。
「舞踏会に行かないの。」
貴族なら毎夜とまでは行かなくとも、どこかの屋敷で舞踏会は開かれる。そこにリンデンバウム家の当主が来たというのなら、箔もつくだろうから、誘いは多いはずだが、彼女は夜に楽譜を持ってどこかへ出かけている。
「行くのは陛下の気まぐれで護衛に付く時だから、軍服しか着ない。」
それが彼女にとっての舞踏会だった。たくさんの花のようなドレスが舞う中に、厳しい顔で護衛の任にあたる貴族の娘でありながら、異質の存在として見られる事にも慣れきってしまっていた。
「本当に戦いしか知らなかったのね。よし、まずはドレスを見せなさい。」
彼女は上機嫌でセリスの部屋に無理やり入ろうとするが、扉は開かなかった。
「…鍵閉めているの。」
思わず聞いてしまった。まだ完全に信用されてないと寂しく思う反面、最初手を置くことすらできなかったドアノブを、触っても怒られないところに、ヴィーチェは少し嬉しくなった。
「誰かが入るのが好きではない。部屋、あまり見るなよ。」
ヴィーチェは弟のレインに彼女の話を聞いていた。
この家ができるまで、5年間もコンクリートでできた巨大な石棺のような殺風景の家に住んでいたことを。
「そんなに変わった子なの。」
ふたりがまともに会話するのは何年ぶりか、もはや本人たちも覚えてはいない。
「戦うことしか知らない。アイツはカイエン様の養女。本当の親は目の前で事故で亡くしていて、その時の記憶はない。リンデンバウム家の莫大な財産が、宙に浮いたら争いの種になる。そのため実子のセリスが当主となり引き継いだ。まだ5歳の子どもが汚い大人の事情に巻き込まれていた残酷な話だよ。」
レインは眼鏡についた汚れを丁寧に拭くが、レンズの端についた汚れはなかなか取れなかった。
「正式にはカイエン様は後見人になるが、アイツは本当の親子になりたかったようだ。しかし、リンデンバウムの名の重さゆえに、カイエン様と同じクロームの姓を名乗ることができない。」
セリスの諦めきった顔が、それで冷たく見えるのだとしたら、それは心が苦しくなる話で、ヴィーチェは彼女の心の闇の一部…ほんの一部だけ見たような気がしていた。
「5年前、セリスは義母のルクレツィアさまを病気で亡くしてから、冷たいコンクリートの家でひとりで暮らしていた。母親を救えなかった事が辛かったのだろう。」
いつか聞いたディストピアの話が、ここにきてようやく繋がる。その悲しみは癒えたのか。
魔法の限界──。
魔法は万能ではない。自然の摂理に逆らう事はできない。神の御下へ向かう者を止めることは、神にしか成し得ない。目の前で死にゆく人を見ているだけしかできない。それは魔法を使う者が通る残酷な道。
「だから、任務とは別にアイツにいろんな世界を見せて欲しい。怪我は治せても、俺にはそれはできないからな。」
白衣を身にまとい、微かに消毒薬の匂いがする背中を向けたレインの表情は分からなかった。
「ふぅん、そんなに気になるなんて。さてはセリスの事が好きってことでしょう。」
こんなに誰かを心配している彼を見たことがなかった。彼は彼でどこか心を閉ざしているところがあった。
「ズケズケと、オマエってヤツは。だからオマエは嫌いだよ。」
舌打ちをしてはいたが、『嫌いだよ』の言葉には悪意は感じられなかった。離れて暮らしているが、何も言わずに苦しみを理解してくれる存在がいることが、少しだけ嬉しい。
「あら、否定しないのね。告白して早く進みなさいよ。曖昧なままが一番苦しいわよ。」
それは誰もが理解できる事。真実を知る前だとふたつの可能性があるが、それが分かってしまったなら、傷つく可能性しかない。いわゆる『シュレディンガーのネコ』開けなければ、安全なのだ。
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