3-5 讃美
砂埃の渦巻く中、彼は“歪み”を見つけた。
そこだけが異質で、まるで誰かの口ずさむような、柔らかく響く音が耳に届いた。
──何故、こんな場所で讃美歌が…?
彼は眉を顰め、念のためカイエンに声をかける。
『剣聖、何かいます。見てきます。援護、お願いします。』
「オレはそういうの苦手なんだよ」と呟くカイエンの声を背に、彼は歪みの中へ弾丸のように飛び込んだ。
そこには、まるで別世界のような穏やかな光景が広がっていた。
新芽を吹いた草原、優しい風。生まれたばかりの命の息吹。
そして、壊れかけた人工生命体と、それを抱いて泣き続ける一人の少女。
彼女の片手はその手を握り、もう一方は、菩提樹の意匠を刻んだ剣の柄を握っていた。
──人工生命体…? まさか、実用段階に達していたのか。
少女の肩が震えていた。
彼はそっと膝をつき、手袋を外し、静かに手を伸ばす。
『大丈夫ですか。』
その一言で、少女は堰を切ったように泣き出した。
『助けてください、あかいかみさま…。誰もいなくなっちゃったの。影と、お父さんが戦って──』
『もう大丈夫。落ち着いて。君はもう、ひとりではありませんよ。』
すると、少女はすすり泣きの合間に、まるで無意識のように呟いた。
『…Domine, de morte aeterna, in die illa tremenda, quando coeli movendi sunt et terra.』
それは、幼い子が知るはずのない高位魔法の起動呪文のように聞こえた。
まるで何かを“守るための祈り”のように、彼女の口から紡がれたその言葉は、空気に乗って風と共に消えていった。
──悪を討つため、我に神聖な光を与えたまえ…。
聞いたことのない呪文だった。だが確かにそれは、神に届くような何か。
ここで何が起きたのか。なぜ、この場所だけがあたたかいのか。
彼の思考は追いつかなかった。
ただ、少女の小さな手の温もりだけが、確かに現実を繋ぎとめていた。
『お父さんがぴぃたんに…、“Ut amor meus in pace ride.”かみさまに伝えてください。お願いし…。』
そう言うと、彼に全てを委ねるように少女は倒れていく。
“Ut amor meus in pace ride.”
我が愛する者が平和に笑うために──
空から降りてきた様な少女の身体を受け止めた瞬間に解った。
理屈ではなく、身体が、彼の全てが知っていた。
『セリス・フォン・リンデンバウム…。』
讃美歌が止み、そして神と星を讃える、何度も何度も口にしている聖句がどこからともなく聞こえる。
【神と星の導きによりて】
[ここから始まった、私とセリスの物語…。]
風の魔法に癒されながら、少しだけ目を開けた彼はまた眠りの海に引き込まれていった。
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