Celestial Sky(セレスティアル スカイ)
夏乃あめ
1 Ouverture(序曲)
1-1 砂煙
砂煙の中に彼女は静かに立っていた。足元に広がるのは、暗紫色の体液。それを何度見ただろう。その液体はいつも彼女を不快にさせていた。
「大丈夫ですか、セリス。」
声をかけられたのに、表情ひとつ変えずにセリスは呟く。
「私が殺したのは、人だったのか、魔族だったのか。アレックス…、教えてくれ。」
セリスの瞳は薄い緑色で春を思い出させる穏やかな色であったが、凍てつくような冷たさを醸し出していた。
砂混じりの風が細い絹糸のような髪を巻き上げていく。
「そのままにしておけば、いずれ私たちの脅威になります。少しでも人の意識があるうちに魂を神の元に送ってあげた方が、安らかな眠りにつける事ができるでしょう。」
アレックスは風に巻き上げられた緋色の長い髪を手で押さえた。
「教皇であるあなたがそう言うなら、そうなんだろうな。」
セリスは足元に目をやった。いつの間にか暗紫色の体液は黒いブーツの下にまで広がっている。
この世を救ったといわれる『12騎士』
その存在は古くから、おとぎ話として知られているが、あくまでも架空のものとされてきた。
──だが、それは別の形で存在していた。
絶対的な力を持つ『ディオニシウスシステム』と呼ばれる人工演算機の元、12騎士は選ばれ続け、そのお告げの通り魔族と戦い続けてきた。戦いに勝利するたび、騎士たちはディオニシウスシステムを信頼してきた。
遂には国政の全てを任せるようになる。
その正体もわからぬまま。
「セリス、あなたは優しすぎるのです。愚痴ならいつでも聞きますよ。」
アレックスの声はどこか憂いを帯びていた。
10年前、セリスはアレックスに満面の笑みで、12騎士に選ばれたことを話しにきた。
『これで一緒に世界を守れるね。』
その笑顔はあまりにも無垢で、知らなければ傷つくこともない世界に生きていくうちに、それが曇っていくことを知っていながら、アレックスは何も言えなかった。
「辛いですよね。」
大きな手をアレックスは、セリスの頭に乗せて、優しく撫でる。幼ない少女は、いつの間にか大人になり、撫でる手の位置が高くなっていた。
「そう…。」
セリスは思わず、本心を呟いた。
いつのまにか溢れ出した涙が視界を歪ませる。
自分と年齢の変わらない女性を、近距離で最大火力まで上げた火属性魔法で魔族化した部分だけを切り離し、結晶化した。
一度、魔族に取り憑かれると、そこを切り離しても意味はない。
死ぬか、魔族に変わるか。
「私のした事は自己満足に過ぎない…。でも、人として終わらせたい気持ちは本当だった。魔族になって人の敵になるよりはな。」
セリスの身体が大きくぐらりと揺れた。
「少し眠りなさい。私は何があってもそばにいますから。」
アレックスは睡眠魔法をかけた手を、セリスの頭から離した。普段なら魔力に敏感なセリスが初歩魔法に気づかない訳がなかった。疲れていたせいか、同じ12騎士として仲のよいアレックスに気を許していたせいか、簡単に術にかかってしまっていた。
バラの香りがする腕の中で、セリスは規則的な呼吸をしている。
「さて、眠らせたのはいいんですけど、このお姫様をどこに運んだらいいのでしょうね。」
優しく柔らかい笑顔でセリスを包み込みながら、アレックスは足元に転送用の魔法陣を展開し、淡い光とパイプオルガンのような音を残し、吹きすさぶ砂煙の中から消えていった。
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