シャドウ/東京結界都市

籠三蔵

序章  バビロンの大淫婦(ボイス・オブ・バビロン)

         Opening                           



 ――それから、七つの鉢を持つ七人の御使のひとりがきて、わたしに語っていった。

「さあ、来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対するさばきを見せよう。地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫の葡萄酒に酔い痴れている」

      ――『ヨハネの黙示録』――


 女が笑っている。

 金銀、宝石、真珠を散りばめた、揺らめく緋色の衣を纏うその女は、無知と貪欲と憎悪の溢れ返った虹色のワイングラスを傾けながら、淫靡な笑みを湛え、凌辱と腐敗に塗れた手袋で覆われた掌を口に当て、巨大な龍の上に鎮座しながら、尊大な表情で微笑みを浮かべている。

 しかし、聡明な者よ。

 その心に光のある者よ。よく目を凝らして見るがいい。

 彼女が座しているその龍の姿は、環状列石ストーンサークルの如く渦を巻く高層ビル群。

 ひらめく真っ赤なストールの裾は、動脈の如く四方に延びる首都高速の橋梁。その身に煌めく宝石の輝きは、都市を彩る無数の航空灯と墓標の様な高層建築から放たれる人々の生活の光。傾けるグラスの酒は、溢れ出る人々の狂気と怨嗟の絞り汁。紅き衣を染め上げているのは、無垢で善良な人々の血と涙。

 女は笑う。

 この大都会に蠢く人間の貪りから生じる瘴気の美酒を傾けて、その腹に悍ましき無数の我が子を宿し、それを産み放つ歓喜に酔い痴れている。

 女の名前は「バビロン」。

 旧約聖書で「混沌バベル」と記された破滅への道標であることを、その都の住人らはまだ知らない。


 男が佇む。

 バビロンの無機質で妖艶な輝きに照らされながら、新宿住友ビルの屋上に立つその男は、背徳と腐臭に満ちた緋色の貴婦人の顔を、冷ややかな視線で見据えている。

 その男の横顔は、精密に彫り上げられたギリシャ彫刻の様に美しい。

 淫婦は男に向かって右手を差し出し、淫靡に微笑む。嗜虐と色情と退廃に満ちた、真っ赤な唇の端を吊り上げて。


 ――息子マイサンよ、今夜は何を見せてくれるのかしら――


 愛人に媚びを売る表情を浮かべ、大淫婦が微笑み掛ける。男は虚空を睨み、無表情に踵を返した。

 靴の踵が鳴ると同時に、張り巡られされた安全フェンスの上に飛び乗る。その身体が、高さ210メートルの虚空に舞った。

 街々の銀光が、落下する男の影を、アスファルトに照らし出す。

 

 今夜もまた「サバト」が、あちこちで始まろうとしている。



 東京・新宿区・新大久保。

 午後9時35分。


 都道302号から花道通りへと繋がる、通称「二番通り」。

 巨大なプロジェクションマッピングと、ネオンの極彩色が煌めく街角。

 喧騒に溢れ返る人流の坩堝。混沌のうねりを想わせる、その無秩序な人の流れの中には、様々な表情が泡沫のように、現れて消えて行く。


 路肩や植込みに凭れ、或いは座り込む、風体の怪しい若者グループ。

 娘くらいの年頃の女と手を組んで歩く、にやけたスーツ姿の中年男。

 ホストらしき色白のイケメンと、その取り巻きらしき女性たち。

 より好むかのように、左右を物色している、様々な国籍の立ちんぼ女。

 行きずりの恋を求めて彷徨する、若い男のグループ。

 薬物を懐に忍ばせて、卑猥な笑みを浮かべている外国人。


 罵声と歓声。無機質と痴態。


 その混沌の片隅で、一人の少女がスマホのアプリを操作しながら、手持ち無沙汰な様子で誰かを待っている。

 だぶついたカーキ色のアウターに、ロゴの入った黄色いTシャツとキャップ。

 ミニスカートにショートブーツのファッション。パッと見た目の年齢は十六、七。ひいき目に見積もっても、二十にやっと届く位の年頃であろう。

「何だよ、こいつサイテー」

 被ったキャップの合間から覗くロングヘアの端々にグリーンのフレアを走らせた、その少女は、誰にともなくそう愚痴る。

 待ち合わせの時間は、午後9時の筈だった。だが、マッチングアプリで約束を交わした相手は現れない。周囲に居た女らは、それぞれの「今夜のパートナー」らと合流し、満面の笑みを浮かべながら、雑踏の中へと消えて行く。

「ちっ、バックレかあ。つまんねー」

 アプリ画面の中でにこやかに笑う、韓流スターもどきの色白男。

「顔は合格だったんだよねー」

 どうやらアプリを介して知り合った男と待ち合わせの予定なのだろう。

 しかし、どうした理由なのか、相手の方が一向に現れない様子である。肩に掛けていたコーチのショルダーを乱暴に振り回し、転がっていたペットボトルを蹴飛ばしたその刹那、少女の眼はある一点に釘付けとなった。

 誰ともなく、誰が意識してという訳でもなく、縦横無尽に行き交う雑踏の合間に微かな境目が生じ、それは亀裂と変化して、合間から一人の男が現れ出た。

 その男が、靴の踵を鳴らしてひとつ歩を進める度に。亀裂は罅割れとなり、やがて巨大な断層へと変貌を遂げる様に、徘徊する人々全てがその歩みを止めた。


 ギャング気取りの危なげな気配を周囲に放つ若者らが。

 着飾ったキャパ嬢を連れた中年サラリーマンが。

 悪趣味なネオンの色彩で輝く風俗店の客引きらしい男が。

 派手なラメ入りのジャケットを引っ掛けた、売人紛いの黒人が。

 舎弟を二人引き連れた、やくざと思しき風貌の兄貴分が。


 果たして少女は、旧約聖書の出エジプト記に登場する、紅海を割って民を導いた『予言者モーセ』のエピソードを知っていたであろうか。

 その男は、欲望と背徳に溢れた喧騒の海を割りながら、ゆっくりと現れ出た。


 上から下まで、喪服の様な黒い着衣を纏っている。

 ややレトロなデザインの黒いステンカラーコート、やはり真っ黒なウイングカラーと黒のトラウザー。足元のローファーも、これまた深淵の闇を思わせる黒である。

 年の頃は二十代の後半だろうか。

 身長175センチ前後。飛び抜けて背が高いというわけでもない。だが彼には、ひと目見ただけで忘れ得ぬ特徴があった。

 センターパートに整えられた髪の左側が不自然に顔半分を覆ってはいるが、彫りが深く整った目鼻立ちを持つ男の容貌は、ミケランジェロの製作したダビデ像の様に美しい。

(すげえイケメン!)

 唇をアルファベットのOの字に窄めた少女が心の中で呟く。

 青年の靴の踵がアスファルトを打ち付ける都度、その前を横切ろうとした者たちが、彼の風貌と放たれる霊気に立ち止まる。

 男も、女もだ。

 無数の畏怖と羨望の眼差しを浴びながら、黒い青年は、人垣の亀裂を一直線に横切ると、呆けた表情を浮かべる少女の前に立ちはだかった。

「坂内るな」

 響きのいい声が、鼓膜をくすぐる。

「え、あたしの名前、何で知ってるの?」

「漸く見つけた。小野卓也はここには来ない。私は彼の代理で来た」

 少女の側に屯っていた、今夜の臨戦に備えた女らが、目の前のギャル系と男を対比しながら目を剥いた。不釣り合いもいいところだ。

 るなと呼ばれた少女も驚きを隠せない。小野卓也とは、アプリで待ち合わせの約束をした、今夜の彼女のデート相手の名前だからだ。

「え、どういう事?あんた彼の友達かなんか?」

「今夜のお前の相手は変更という事だ」

「えっ、なに?それって、あんたがアイツの代わりだって事?」

「そう捉えて構わない」

 表情ひとつ動かさず、黒い美青年はそう答えた。

「あたし、イケメンなら全然構わないよ」

 こちらもどういう倫理感覚の持ち主なのか、るなと呼ばれた少女は瞳を輝かせながら腕を絡ませ、体躯に不釣り合いな両胸をぐいっと押し当てて来た。

「あんた、随分いい男だね。食べちゃいたいくらい」

「光栄だ」

 へへっ、と甘えた声を出す少女を従えながら、黒い美青年はネオンの瞬く雑踏の中へと歩き出す。


 雑踏の中で、その様を見ていた3人組の女が、悔しそうな表情で罵り始める。

「なにあのガキ?金持ちのイケメンと、今夜はヨロシクってか?」

「男も変態か何かじゃね?ロリコンのヤバい奴なんじゃないの?」

 だが、真ん中に居た、ショートボブの女だけは、両肩を竦めて震え始めると、突然その場に蹲ってしまった。

「どうしたのよ、ちはる?また何か見ちゃった?」

 ちはると呼ばれた女は、蒼褪めた顔を上げて呟いた。

「サッチーもりりにゃんも、あたしが時折、へんなもの見るの、知ってるよね?」

 ガチガチと歯を鳴らしながら、ちはるが答える。

「えー、お得意の霊感、ここで炸裂か?」

 こちらを睨む友人の顔色を見て、2人の女は口を噤んだ。

「あれ、人間じゃない」

「え、あの男?幽霊とかには見えなかったけど?」

「違うよ。でもここで気付かれたら、みんな……」

「あんた、なに言ってんの?」

 サッチーと呼ばれた女は振り返り、黒い青年が少女を従えて消えた歌舞伎町の光と闇のコントラストを、畏怖の籠った視線で見送った。


 歌舞伎町2丁目。

 その区画には、怪しげな雰囲気を湛えた韓国料理店やイベントビル、ラブホテルが乱立している。黒い青年は、少女を腕に絡ませたまま、黙って歩を進める。

「ええー、まさか、このままホテル直行なの?あたし待たされ過ぎてお腹すいちゃった。どっかでなんか美味しいもの、食べさせてよぉ」

 甘えた声で囁くが、黒い青年は微動だにもしない。

 その口元に、ちらりと牙のようなものが覗いた事を、少女は見届けただろうか。

 ぷうっと下唇を突き出しながらも、もう一度笑顔を作り直す。

「ね、あんたの名前教えてよ」

「必要ない」

「そっちだけ名前を知ってるのは、狡くない?」

 男は相変わらず無表情だが、周囲を行き交う男女から向けられる羨望の眼差しの半端ない数に、るなは快感を覚えずにはいられなかった。

(ま、いいや。こんないい男なら……)

 思わず生唾を呑み込む。ところが。

 毒々しいホテルのネオンが途切れても、男の歩みは止まらない。そのまま職安通りを横断すると、通行人の量が格段に減る。

 そこは新大久保と明治通りの中間に位置する、住宅と雑居ビルの入り混じった一角だ。喧騒からはやや遠のき、辻のあちこちに小さな闇が蟠っている。

「ねぇちょっと、どこまで歩かせるつもりなの?」

 LED街灯の冷たい光に照らされて、氷の様な横顔がこちらを向く。

「とびきりの舞台を用意してある」

 るなは小悪魔的な笑みを浮かべた。

「そうなんだ」

 唇を歪めた男の口元から、再び牙の様なものが覗いたのは、気のせいだろうか。

 それから幾らも歩かない内に、突然黒衣の男は足を止めた。

「ここだ」

 そこは店舗どころか看板も付いていない、12階建ての雑居ビル。デザインの古さから恐らく昭和後期に建てられたものだろう。荒んだ様子の外観や、フロアが真っ暗なところを見ると、どうやら空きビルの様子である。

「なにここ?」

 美青年は答えずに、入口のドアノブを無造作に捻った。

 ガチン、と砕けた様な音が響いたのはどうしてなのだろう。スチール製の重そうなドアを軽々と引いて、青年は少女を促す。

「ここが今夜の舞台だ」

「なにあんた、こんな空きビルの中で何しようっていうの?」

 るなは引き攣った笑いを浮かべた。

「別にいいよ。あんたが高くつくだけだからね」

「それは楽しみだ」

 少女は観念した様子でドアを潜った。

 灯りが落ちているとはいえ、ビル内は窓から差し込む街灯の光で、ぼんやりと輪郭くらいは判別できる。

「屋上へ行け。エレベーターは動かん」

「何で屋上なの?」

「そこでいいものが見れる」

 廊下の突き当りの薄暗がりの中に、それらしき陰翳が浮かんでいた。青年が何の躊躇いもなく階段を登り出すと、少女も、覚悟を決めて階段を登り出す。


 カツ、カツ、カツン……。


 空虚な闇の中で、男の靴音だけが鳴り響く。

 やがて幾つかの踊り場を過ぎると、頭上に光が差して来た。屋上へと繋がる扉の採光窓から差し込む光なのだろう。頑丈そうなスチール製の扉が見えた。再び男がドアノブを無造作に握ると、またしても金属の砕ける音が響いた。

「ここだ」

 開け放たれた扉の向こうから覗いたのは、帳という名の昏い絨毯の上に鏤められた、白・紅・青・黄・緑、その他の色彩の宝石。

 蒼白い満月の下で無限に拡がっている、新宿の夜景である。

「わあ……!」

 眩い光景に、少女・るなの目は釘付けになった。

「すごい!よくこんな場所知ってたね!」

 屋上の防護フェンスに駆け寄って、視界一面に広がる大パノラマに目を奪われたるなは、満面の笑みを湛えて振り向いた。

「……『野狗子やくし』というものを知っているか?」

 黒衣の男は屋上入口の扉に凭れ掛かって、突然、不可思議な台詞を呟いだ。

「は?何?」

「中国の『抱朴子ほうぼくし』という書物に記載されている化け物の名前だ。災害や戦争などで世が乱れ人間が大勢死ぬと、地中から這い出して来て、そこらに転がった屍体を貪り喰うと言われている……」

 つい先程まで、無機質無反応と言っても差し支えなかった美青年の唇から、重い殺戮の気配が放たれていた。

の色香に魅かれて、他国からそんなものまでが来るとはな」

「ちょっと、わかんない。あんた何言ってんの?」

 るなは反射的に数歩退いた。明滅するネオンの灯に照らされて、美青年の横顔が闇の中で浮き上がる。

「こいつはなかなかの悪食で、基本死肉を喰らうが、生きている人の肉も喰らう。だが一度手ひどく抵抗されて、以来人間を襲う時は、自分より弱いと判断した相手を襲うそうだ。例えば女や子供……」

 青年の右手が、漆黒のウイングカラーの上を静かに滑る。

「あとは相手が油断して、隙を見せている時」

 少女は両目を見開いて後ずさった。たった今、自分が一緒にいた相手が、どういう性質のものかと気付いたかの様に。

 黒衣の青年の唇の端から、鋭い牙のようなものが覗いた。

「もうひとつ。この『野狗子』は、とんでもない特性がある。生きた人間の心臓を喰った事のある野狗子は、『人間に化ける』事が出来る」

「人間に化けるって、だから何だっていうの?」

江崎勉えざきつとむという男を知っているか?」

 るなの怯えた瞳を見据えながら、青年は呟いた。

「先日、おまえが喰らった男だ」

 冷ややかな美声が、闇の中で谺する。

 刹那、少女の瞳は逆転し、口端が耳まで裂けた。キャップが弾け飛び、髪の毛が一斉に逆立つと、両指から長剣のような爪がぬるりと滑り出た。

「じゃっ」

 縮めた両足がバネのように伸縮する。

 少女は凄まじい跳躍力で宙に舞い、黒い青年へと躍り掛かった。

 それは、無駄のない動きだった。

 捕食者の牙と鉤爪が、男の身を捉えようとした瞬間。

「どん」と、乾いた銃声が鳴り響き、男の左脇から引き抜かれた拳銃の弾が、その額を撃ち抜いた。

 少女の姿を借りた異形が瞬間、宙に停止する。

 次の瞬間、破裂した後頭部から鮮血と脳漿をぶちまけて、魔性の身体はコンクリートの床を数度バウンドし、数メートル先までけし飛んでいた。


 男の右手に握られていたのは、ドイツ・DWM社製・ルガーP08自動拳銃。


 旧式ではあるが、現在流行りのゴツくて威力が大きいだけのマグナム拳銃にはない優雅な曲線美と、トグルアクションという独特の機構を備えたボディには、解読不能な無数の記号エングレープが彫り込まれており、銃身にはラテン語が刻まれている。


「Si vis pacem, para bellum (平和を望むなら戦いに備えよ)」


 黒衣の男は、細い銃身から硝煙を吐く鋼の凶器ピストルを構えながら、頭蓋を粉砕され、コンクリートの床で痙攣している異形グールの姿を見下ろした。

「タフだな。これまで何人喰らった?」

 その銃口が横たわる魔物の心臓に狙いを定めた時、不意に物音が響き、横手から眩い光が差し込んだ。

「なんだこれ?映画の撮影か?」

 屋上入口付近で、撮影用のライトと、エクステンションに固定されたスマホを構えた2人の男が目を剥いている。

 乱入者の登場に一瞬、青年の視線が逸れた。

 刹那。

 ばん、と地を蹴る音と共に、額を撃ち抜かれた少女が宙を舞った。

 脳漿の飛沫を撒き散らしながら一回転、そのまま、ふわりと転落防止用の金網の上に着地する。

「いや参った。一瞬意識が跳んだわ」

 輝く新宿の夜景を背にしながら、化け物は、穴の開いた額にぐりぐりと指を突っ込んでケタケタと笑う。

「その銃、凄い魔力だね。何するとそんなの出来るの?」

 薄闇の屋上で、化け物の瞳が真っ赤に光る。

「あんた『シャドウ』だろ。油断したよ。いい男は旨そうだからさ」

 少女姿の異形はそのまま身を翻し、仰向けの姿勢で後方へと跳んだ。

「ここは退いとく。また会おう」

 哄笑。その姿が背後の宝石の渦へと吞まれて行く。

 チッと軽く舌打ちをする男の背後で、カメラとライトを構えた男たちが声を張り上げた。

「おい、あんたら、一体何なんだ!」

 年嵩の不精髭男が引き攣った声を張り上げる。手にした機材などから判断して、廃墟探索系のユーチューバーらしい。

「今日の警察は、本当に役に立たん」

 青年が膝を軽く曲げ伸ばした刹那、その姿は彼らの視界から消えた。

「宮西さん、あっち!」

 ライトを構えた男が慌てた様子で指差したのは、隣のビルの屋上である。

「飛んだ?」

 男たちの狼狽を他所に、黒い青年は、一度だけ振り向くと、蟠る闇の中へ悠然と消えて行く。

「今の撮ったか!」

「バッテリー上がっちゃいました!」

「馬鹿野郎!」

 絢爛たる光の中に浮かぶ男たちの罵声と怒号。

 間もなく遠くから、パトカーのサイレンの音が聞こえて来た。


 女が笑っている。


 バビロン。聖書の黙示録に登場する大淫婦。

 街角の、闇の蟠る片隅で起きた茶番を高みから垣間見ながら、深紅に染まる手袋を嵌めた右手で、血の様に紅いワインを満たしたグラスを傾けながら、ルージュを引いた淫靡な唇を歪めて、下品な嬌声を漏らした。

 ――あらあら、逃がしちゃった?面白い事になりそう――

 深々と夜は更けて行く。

 眼下で無造作に輝く宝石箱の光の下、果たして今宵は、どれだけの寸劇が繰り広がるというのだろう。


 バビロンが笑っている。




【著者よりご挨拶】


 『東京結界都市・Opening』編を閲覧して頂き有難うございます。

創作執筆はだいぶご無沙汰していて、腕が錆び付いておりませんか心配なのですが、読み手のみなさまと、本編の完結までお付き合い願えれば幸いと感じます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。


 

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