第10話 宿命

 アスファルトに陽炎が揺らぐ猛暑日の気温は最悪で、それだけでも気が滅入るのに帰り道はひたすらムシャクシャしていた。あの男――ステラに言われた事は理解出来る。でもそれを受け入れろというのは余りにも酷だ。

 うだうだと悩んでいる間に自宅のあるマンションまで辿り着いてしまって果たして健斗に何と言えば良いものかと考えると頭が痛い。

 エントランスを抜けてポケットから鍵を取り出すと意を決して自宅へと向かった。

「おかえり、包……くるむ?」

「あー……ただいま」

 鍵を差し込み扉を開けると様子が可笑しいと早速気付かれたのか健斗が首を傾げている。近付いてくるその姿に安堵感が湧き出して思わず泣き出しそうになった。

「大丈夫?何か……痛っ」

「健斗……?」

「いた……い、なんで……触れない」

「おい、どうした」

 此方に延ばされた手が触れるか触れないかという所で急に健斗が顔を顰めた。何が起きたのか全く分からずその手を取ろうとすると静電気の様なものが走る感覚と共に健斗が絶望した顔で嘆く。

 何故こんな事に?と頭が混乱する。何か変わった事は無かっただろうか、と今日起きた事を思い出して行くとあの男の影がチラ付く。

「まさか……マジかよ」

「なに、それ」

 最後に触れられただけだと思っていたがジーンズの後ろポケットに手を伸ばすと気付かぬ間に電話番号が書かれた名刺とひとつのお守りが入れられていた。それはまるでこの状況は異常なのだという改めての警告の様にも思えて手が震える。同時にあの男は、ステラは間違いなく本物であるという確固たる証明でもあった。

 浮かれていたんだ。健斗が傍にいてくれればいいという想いだけで。この可笑しな現状を作ってしまったのは自分だったのかもしれない。

「なぁ、健斗」

「うん」

「お前このままだと悪霊になっちまうってさ」

「……うん」

「俺の所為だ、俺が……俺が健斗の死を受け入れられなかったから、こんな……」

 声が震える、健斗の事を真っ直ぐに見られない。涙が溢れ出して止まらなくて、雫と共に手元からお守りが床にポトリと落ちる。その場に泣き崩れると健斗に抱き締められた。分かっている、分かっているんだ。触れたって体温も心音も何もない事位。嫌という程自分が一番分かっている。でも手放したくなくて……こんなのエゴでしかないと理解させられた。

「……包は悪くないよ、俺が包を置いて逝けなかっただけ。でもそっかぁ~俺、どう足掻いても幽霊だもんね。こんなの可笑しいって薄々分かってた」

「やだ……おれ、やだよ。何でお前が……」

 俺を包み込む温度の無い腕にぎゅ、と力が籠った。顔を上げてみても健斗の表情は伺えない。

「それ以上は言わないで。まぁ、これが逆に奇跡だったって事なんだ」

「なんでっ!なんでお前は受け入れられるんだよ!」

 ぽたりぽたりと降り始めた雨粒がアスファルトに落ちる様に涙の粒が零れて止まらない。背中を撫でられて、でもその優しさが今は余計につらかった。

「ねぇ包、きっとこれは神様がくれた猶予で悔いの無いようにって存在してる時間なのかもしれないね」

「猶予……?」

「そう、俺が死ぬ運命はきっと変わらなかったけど。きっと最後に笑ってバイバイする為の猶予」

「俺の事死ぬまで離さないって呪うんじゃなかったのかよ!?」

「包には笑ってて欲しいんだ、俺。だからこのまま悪霊になって呪うんじゃなくて、俺として居られる内に包に祝福を送りたい。包は俺が悪霊になっても良いの?」

 いっそ苦しい程に健斗は優しくそっと語り掛けて来る。ちゃんと全部分かっているのに、頷くというただそれだけの事が出来ない。いっそ悪霊になって呪い殺して欲しいなんて言ってはいけないと分かっていても脳裏をどうしても過ってしまう。でもこの誰よりも優しい男はそれを絶対に良しとはしないのも分かっている。

「……ばかやろう」

「うん、馬鹿野郎でごめん」

 きっとこいつも言わなくても全部分かってるんだろう。俺が何を考えてるかも、全部。そんな狡くて優しいのがいっそ憎らしい程だと思いながら手に残った名刺を横目に見た。もう結論は出ているも同然だ。

「生まれ変わっても俺の事見つけなかったら許さねぇから」

「来世でも愛してくれるの?」

「当たり前だ馬鹿」

 きっとどんな姿形で生まれ変わってもこいつはまた大型犬みたいに俺を見付けてはしゃぐんだろう。そう思ったら自然と笑みが浮かんだ。泣いて笑って、俺も俺で馬鹿みたいだ。ポケットからスマートフォンを取り出してショートメールのアプリを開くと名刺の番号を打ち込んで手短に文章を送った。これで全て終わってしまう、魔法が解ける。最後に頬を伝った雫は健斗の肩にぽたりと落ちた。

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