第8話 招待

 蝉の無く音が彼方此方から聞こえて来る真夏の夕方。

 歩いているだけで汗が滲む程の猛暑日。暑さの所為で陽炎が見える程の日だ。それでも繋いだ手だけはひんやりとしていた。

 健斗の震えが収まるまで少しだけ待ち、落ち着いたのだろう頃合いでまた歩き出す。

「大丈夫か?」

「ごめん、心配かけちゃったね。もう平気」

「幽霊にも怖いものあんだな」

「あの人は多分特別だと思う、近寄りたくないって咄嗟に思ったから」

 ふうん、と相槌を打ち手を離してからポケットに捻じ込んである一枚の折り畳んだ紙を出して開くとそれは近所の洋菓子店の予約表で、健斗から出掛ける前に渡された物だ。支払い済みと書かれているそれにはホールケーキ×1と記載されている。

「しっかし毎年わざわざケーキまで予約して、用意周到過ぎんだろ」

「包、ここのお店のケーキ好きだからね。来年からはもう予約出来なくなっちゃったけど……」

「俺が予約すりゃ良い話じゃん」

「あはは、それじゃ意味ないでしょ」

 確かに自分で自分の誕生日ケーキを予約するなんてアホらしい。でも健斗に切ない思いをさせる位ならその程度如何という事は無いしケーキがあるだけで特別感が出るのは事実だ。

 買い物袋を片手に辿り着いた洋菓子店の自動ドアを潜り抜けると其処は涼しく快適だった。一番に目に飛び込むショーケースの中は鮮やかな夏のフルーツをふんだんに使用したケーキやタルトが陳列されていて、それらが目的ではないのに何処かワクワクとしてしまう。

「いらっしゃいませ」

「あ、ケーキ予約してた雨宮です」

「お待ちしておりました、4号のショートケーキをワンホールですね。少々お待ち帰り下さい」

「はい」

 ショーケースの向こう側に居る店員に予約表を渡すとすぐに控えとの照合が済み、裏へと入って行った店員が今度は箱を持ってすぐに現れる。

「お待たせしました。代金は先にお支払い頂いておりますのでこのままお持ち下さい」

「どうも」

「ありがとうございました」

 買い物袋を持つ手とは逆の手で、店員に差し出されたケーキの入った箱の持ち手を掴んで焼き菓子コーナーを横目に出入口に向かう。先を歩く健斗では自動ドアはやはり反応せず立ち止まったのを見兼ねて開いた自動ドアを抜けて追い越す。それに慌てて付いて来た健斗が少しだけ面白い。

「毎年こんな事してたんだな、お前」

「包が喜んでくれるなら何だってするよ」

「甘やかしすぎだっつーの」

「けど満更でもないでしょ?」

 分かり切った様な顔で健斗が微笑み掛けて来る。この顔にはどうにも弱い。それに健斗に甘やかされて満更じゃないのも事実だ。

 住んでいるマンションからこの洋菓子店は本当に近い。徒歩で五分と言った所だろう。健斗と喋っている内にあっという間にマンションの入り口に辿り着き集合ポストの前まで行くと、人が居ないのを確認してから健斗に荷物を渡してダイヤル錠を外し中身を確認する。大したものは入っていないと思ったが不意に目に留まったのは見慣れない一枚の招待状。

「何だこれ。八月のお誕生日の方限定、ステラの占いの館三十分無料ご招待券……」

「珍しい物入ってるね」

「ああ。でも占いなんて興味ねぇしな……」

「この人さ、朝のワイドショーの占いコーナーやってる有名占い師じゃないかな。ステラの今日の占い~とか書いてあった気がする」

 背後から招待状を覗き込み、そう言えばといった表情で健斗が答える。占いコーナーなんて自分の星座が一位の時しか信じない位には興味が無いがテレビ番組の占いコーナーを任される程の占い師と言う点だけは気になった。

「まぁ行くだけ行ってみるか、タダらしいし……駅近くのビル内って随分良いとこに構えてんな」

「占いに幽霊は邪魔そうだから俺はお留守番してるよ」

「ん。まぁ明日にでも行ってみるわ。占いの館とか初めて行く」

「俺も行った事無いよ。女の子達が恋愛運占って貰いに行くイメージ強いし」

 取り合えず招待状を鞄の中に詰め込み荷物を引き受けた健斗と共にエレベーターに乗って自宅へと向かう。質素なエレベーターには監視カメラは無い為、道中人と擦れ違わない限り不自然に思われる事も無いだろう。

 それでも万が一に備えて急ぎ足で自宅の扉の前まで進み鍵を開けて周囲を警戒しつつ健斗と共に中に入った。鍵を確りと閉め空調が効いた涼しい家の中に安堵の溜息が出る。

 靴を脱いでキッチンに向かうとまずは健斗がケーキの箱を冷蔵庫に仕舞い飲料や肉、野菜を詰め込んでから既に冷えたミネラルウォーターを一本取り出して渡してくれる。さんきゅ、と短く礼を述べてキャップを捻りそのまま口を付けて飲み込み喉を潤した。

「もう夕方だし俺はこのまま晩御飯の支度するけど、包はどうする?」

「疲れたからちょっと涼んどく」

「猛暑日だったみたいだしね~それじゃ水分確りとって休んでて」

「おう、悪ぃな」

 キッチンから出てリビングに移るとソファーに倒れ込んでエアコンの風を浴びる。あー、と唸りながら外気温と灼熱の太陽で火照った身体を涼しい風が撫でて行く心地良さに目を細めた。ソファーに転がったまま鞄から先程の招待状を取り出して改めてじっくりと内容を確認する。

「駅前のファッションビルの八階、占いの館ステラ……占い師ステラが占星術であなたの運命にアドバイスを致します、か」

 ふうん、とポストカードサイズの招待状を両面ぼんやりと眺めて果たして何を占って貰うか考える。仕事はまぁまぁ順調、恋愛運は今更必要ない、そうなると無難に健康運辺りだろうか。さっき健斗も言っていたがきっと女性客で賑わっているのだろうと思うと少しだけ気が重い。

 だが行くと言った手前、前言撤回は男として許し難いので物は試しだと気持ちを切り替えて再び招待状を鞄に仕舞った。

 ポケットからスマートフォンを取り出してSNSのアプリを開くと同級生のカップルが婚姻届けを出して来たという報告と写真を上げていて、賑わうコメント欄に対し俺も素直に『おめでとう、お幸せに』とコメントを送った。そう遠くない内に式を挙げるのだろうか、羨ましいな……なんて感傷に浸りそうになる。

 ごちゃごちゃと考えている内にキッチンからは野菜を刻む小気味良い音が響く。健斗の指示するままにあれよあれよと籠に詰め込んで会計したが何を作るかまでは聞かされていない。次第にほんのりと甘辛い匂いが漂って来て腹が鳴った。

「あはは、包お腹空いた?今日の晩御飯はすきやきだよ」

「うん、腹減った」

「じゃあ少し早いけど晩御飯にしちゃおうか」

「俺も用意する」

 鞄を置き、ソファーから立ち上がり手元のミネラルウォーターを飲み干すとキッチンに向かい空のペットボトルをゴミ箱に分別して捨てる。食器棚から器と箸、冷蔵庫の中の卵をひとつ取り出してダイニングテーブルに並べた。

 健斗がカセットコンロをキッチンの上の棚から出してテーブルにセットし、続けてすきやきの入った浅い鍋をカセットコンロの上に乗せる。すぐに火を付けて煮立たせるとより良い匂いが立ち込め空腹に刺激を与えた。

 綺麗にカットされた長ネギ、白菜、それに白滝と木綿豆腐。主役の牛肉も次第に煮えて色付いて行く。量こそ以前と違って一人分だがボリュームで言えば充分にある。

 椅子に座って卵を器に割って入れ、箸でぐるぐると溶いているとキッチンに戻った健斗が白米を盛った茶碗と麦茶の入ったグラスを手に再び現れる。全てをテーブルの上に置き準備が出来ると両手を合わせた。

「いただきます」

「どうぞ召し上がれ」

 健斗も向かい側の椅子に座りそう言って微笑み掛けて来る。ぐつぐつと煮える鍋から白菜と火が通った牛肉を箸で掴んで溶き卵の中に入れそれ絡め、息を吹きかけてから頬張ると甘辛い割り下が良く染み込んだ肉は蕩けそうな程に美味くて思わず笑みが零れた。

「うっま」

「それは良かった」

 すきやきと白米を交互に食べ、胃が徐々に満たされて行くと満足感に包まれる。食事を共有する事はもう出来なくても、幽霊になっても、健斗が傍に居てくれる事が幸せなのだと――この日までは信じて疑わなかった。

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