第三十話 一閃
剣と剣が交差する。激しい金属音が響き渡った。
「振り絞って出した言葉が遠吠えとは、よほど犬根性が染みついているようだな」
キリキリと、鍔迫り合いの中でヴェルメルトが吐き捨てる。
「言ってなよ、吠え面かくのはあんたの方だ!」
アナも負けじと押し込む。互いにはじき、同時に後退る。
「……チィ」
少しの焦りと苛立ちを見せる。
「余裕、なさそうだね!」
アナが挑発する。煽りにまんまと乗り、ヴェルメルトの気迫が上がる。
「そんなに死にたいのなら、殺してやろう」
そう告げると、その場から姿を消した。いや、
凄まじいスピードでアナの眼前に迫っていた。
「うっわ!!」
寸でのところでアナが上体を後ろに反らして回避する。キャスケットのつばを少し掠めて剣が空を薙いだ。
「あっぶな……って!!」
そのまま剣が振り下ろされる。これも間一髪で回避。勢い余って転がり、身体を跳ね上げて体勢を立て直す。
「結局逃げてばかりではないか」
鼻で笑い飛ばす。アナは気にすることは無く、剣を向ける。
「景気良さそうでよかったよ」
悪態をついてから、フーッと一つ大きく息を吐く。
集中。
すべての雑念をシャットアウトさせ、目に映る黒鎧の騎士のみを感じる。刃を研ぐように、擦り合わせるように、ゆっくりと神経を尖らせていく。
風の精霊術に適性があったのは、アナにとって嬉しい誤算であった。魔力を互いに擦り合わせて、切れ味を持たせるようにイメージを広げる風は、必然的に集中の強化にも繋がっていた。
相手の弱点は、見えない。情報が少なく、アナの劣勢は変わることは無い。
(アタシが、あいつに勝てるモノ……)
力では勝てない、リーチもあちらが長い、連撃…少し、分があるだろうか。持ちうる全ての可能性を頭の中で計算する。そうして、
(スピード、これなら……)
目をカッと開く。
(道が開けないのなら、開かせる……!)
暴風が吹き抜ける。アナが居た場所には、もう人影はなかった。目を見張る、いや、目で追うことが出来ないほどに速く走る。トップスピードで、眼前の敵へと駆けていく。
「一辺倒に!!」
アナの姿を捉え、剣を振り抜く。命中、することなく、剣は空を切りつける。
「……!!」
騎士はあまりの速さに動揺する。が、すぐに取り直し、もう一度剣撃を放つ。しかしそれも捉えることが出来ない。
(まだ、まだ早く……!!)
心の中で唱えながらも、目は敵を見据えている。
(止まれば捕まる、捕まれば終わりだ)
アナは自身の身体がどういう状況かを、よく理解している。そも、もう止まってしまえば次に動くことは出来ないだろう。
(止まるな、走り続けろ!!)
早く、速く、只管に走る。
たとえ骨が軋もうとも、たとえ肉が裂けようとも、止まることなく動き続け、相手を翻弄していく。
もうこれ以上無理だと、身体が悲鳴を上げている。アナにとってそんなことはどうでもよかった。止まってしまえば、失いたくないモノを失ってしまう。止まってしまえばあの騎士に勝てない。
恐怖心と執念だけが、今の彼女を突き動かしていた。
(スピードが、上がっている……)
アナの動きが変化していることを、ヴェルメルトは見逃していなかった。
集中により、アナの身体能力は飛躍的に向上している。そのことを瞬時に察知すると共に、即座に対応した。
「……!?」
ヴェルメルトがアナ目掛けて剣を振り抜く。その剣筋は確かにアナの姿を捉えていた。が、その先にすり抜けていき、床へと叩きつけられる。まるでそこに在るかのように、アナの存在が複数に感じられるほど、空間を支配していた。
「猪口才な……」
一つ一つ、残像を斬りつける。あまりに速いその剣撃は一瞬にして全てを消し去っていった。しかし、その中にアナの姿はなく、気配はまた翻弄していく。
(面倒だ……それなら)
騎士は目を閉じる。音と風を感じ取り、アナの行動に予測を立てる。静粛とした水面のように、ただピタリと動くことなく、アナの先を予測する。
(そこ!!)
感じ取った先に剣筋を飛ばす。床を抉り、激しく土煙が舞う。アナには、当たっていない。
「……なっ!?」
間一髪、剣の目と鼻の先でアナは身体を横に反らして避けている。そうして、止まることなく動き続ける。
(こいつ、まさか……)
ヴェルメルトは、アナの動きから何かを感じ取っていた。
――――
「……これは」
魔王が声をもらす。
「アナちゃんは!?それに、この戦い方……」
ムルームが慌てた様子でアルデバランへと問いかける。
「落ち着け、見抜けんお前ではなかろう。これは、アナの武技だ」
「でも、これって……」
ダンがムルームの言葉を遮るように、魔王へと言葉を投げる。
「あの武技はシャンメリーの所で見たが、生で見るとやはり速いものだな」
そうだな、と返事。
「あれが、アナの全力だ」
「しかし、あれでは本末転倒だ。身体の基盤は、直近の修行で我が拵えたとはいえども、やはりまだ未熟……あれでは壊れてしまうぞ!!」
「それがアナの戦い方、あの武技の本質なのだ。本当は、私もあの戦い方を受容したくはないのだが……今回は、事が事だ、仕方あるまいよ」
苦虫を噛み潰したように戦況を見守る。
「だけど、もうアナちゃんは、ほとんど意識が……」
泣きじゃくりながら訴えるムルームを見て、フィーネは気づいたかのようにアナの存在を目で追い、そうして確認した。
「まさか……あんた!!!」
魔王へと掴みかかる。
「こうなるって、わかってて!!!」
アナの意識は殆ど無に等しかった。ただ眼前の敵を倒すために、極度の集中状態に入り込むことで、一心に動いていた。そう、彼女は身体だけでなく、既に精神も臨界に達していた。
「これは、賭けだ。私はアナに賭けている」
信じている、と言うかのように、フィーネに諭す。
「賭けって、何よ……」
フィーネの手を放し、居住まいを正して戦況を見つめる。
「アナの武技が終わりを迎える前に、決着がつく方に賭けている」
「武技の、終わりですって……?」
ああ、と返事をする。
「シャンメリーが以前に下した診断結果は、半分当たっている。神経を研ぎ澄ませることで、一時的に肉体のリミッターを外し、超人的な力を得る。まさにドーピングのようなものである」
周りの者は、黙って聞く。
「しかし、それは半分だけ当たっている。そうして、もう半分こそが彼女の武技の本質であるところなのだ」
「それが何だって言うのよ」
フィーネが問う、少し言い淀み、しかし口を開く。
「彼女の身体能力向上には、際限がない」
唐突な言葉に皆、驚きを隠せない。
「これに関しては、スターチスから説明した方が良いだろう」
かしこまりました、とどこからともなく救護部隊大隊長が姿を見せる。
「アナの武技による肉体的浪費を、私は三度修復しました。初めはバジリスクとの戦闘、次にダンジョンでの攻防、最後にダンとの手合せ。その三度とも、全くレベルの違う破壊が起きていた」
「そんなの、毎回同じようになるわけないじゃない……」
そうではなく、と前置きを入れる。
「本来、武技と言うのは同程度の作用を引き起こすものです。それは反動においても同じことが言える。しかし、アナのそれは、全く異なっていた」
どういうこと、とフィーネが問う。
「明確に言うなら、バジリスクの頃よりも、ダンとの戦闘のものの方が、明らかに限界を超えた先のダメージ量が多かった」
皆、驚愕する。
「シャンメリー研究部隊長から提供してもらった映像データと照合し、また此度の戦いを見ていて、私は確信を持ちました。アナは戦いを経て、明らかに限界を超えてからの活動時間が延びている」
「それで、なぜ際限がないことに繋がるのだ」
ダンが口を挟む。
「注がれる水で例えると良いでしょう。限界は器の容量、水は力の奔流です。集中を高めていくことで、その器は満たされていく。そしてやがて器の容量を超えたとしても、溢れ出るだけで力の奔流を受け止める事自体は出来る……つまり」
「注ぐことを止めなければ、常に力の奔流が彼女から溢れ出ている状態が続いている、ということです」
なるほど、とダンは納得する。
「アナが注ぎ続ければ、際限がないということか……」
「お前の想像する通り、便利なものではない。というよりも、此処に居る皆、あの武技から感じ取っているだろう」
「限界超越、と言えば聞こえは良いが、その実態は身を粉にするだけのこと。ダメージの先送りでしかない。だから、私は……」
魔王が拳を握りしめる。
「アナが、勝つ方に賭けたのだ」
――――
(なるほど……)
ヴェルメルトもまた、アナの武技の本質に気づいていた。
(しかし、全神経を私に注いだところで)
剣を振るう。空を切って床を破壊する。
(これほどまでに、反応速度すら上がるものなのか……?)
気づきながらも、その実態に疑念を持っていた。
「やはり、勇者だからか……これも、また運命」
(こいつが天から与えられたもの……)
『天与の膂力』
と、でも言うべきだろうか。アナの身体能力向上を、ヴェルメルトはそうであると仮定して対処する。そうでなければ、説明がつかない。
(であれば、当然、リスクもある。いや、これ自体がリスクか)
アナの方を目で追う。縦横無尽に駆け巡る彼女の意識が、既にほとんどないことをヴェルメルトも悟っていた。
「さっさと、沈め!!!」
いっとう強く剣撃が放たれる。会心の其れを、待っていたと言わんばかりに躱してヴェルメルトへと特攻を仕掛ける。ヴェルメルトもまた、引かずにもう一度剣を振りかざす。
巻き上がった土煙の中を、アナの陰が颯爽と駆けて騎士を目指す。ヴェルメルトの剣筋は確かにアナの事を捉えていた。
「これで、最後だ!!!」
激しく打ちつけられた一撃で、床も鞘も崩壊する。此処が地下でなければ、地盤を破壊して大きなクレーターが出来ていただろうほどの、化け物じみた一撃。
人ひとり潰すことなど、造作もないほどの其れは、大きく騎士の眼前を眩ませる。
程なく、一つの陰が飛び出す。
「っ!?」
それは、小さなキャスケットだった。
「どこに……!!」
途端、背後に気配がする。アナは、そこに居た。
土煙の中で最後の一撃を躱し、飛び上がって背後へと回り込み、すでに剣を振り抜く直前であった。其れは、確かに首を捉えていた。
「危なかった、あと少しだった」
「……!!」
一言告げる。そうして雄叫びを上げ、力いっぱいに振り抜いた。
一閃。首の、ゴトリと落ちる音がした。
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