魔王、勇者を拾う。

井底之吾

邂逅、あるいはプロローグ

 一つ、息を吐く。

 白く、空へと立ち昇っていく。

「随分冷えるな……」

 大の大人であればくるぶしまで沈んでしまうほどに積もった雪を、一歩一歩踏みしめて進みながら、男はそう呟いた。


「一日では、やはり足りんな」

 もうとっぷりと陽が沈んで、街灯が強く道を照らし天と地の明暗がはっきりと分かれているような時分、およそ人ではないだろう巨体を持った男は、情報収集のために人里まで足を運んでいた。男は、魔族であった。

 大きな身体を覆うほどのローブを身に纏っている。顔を赤い布で覆い、見るからに重々しい雰囲気を漂わせている者だったが、すれ違う者たちが振り返ることもないのは、寒さのせいではなく認識阻害の魔法のためだろう。


「……次は春頃になるだろうか」

 世界が神によって二分されて以降、人と魔族の交流は次第に減少していた。元より対立していたこともあり、人間界と魔界に分かれてからは、人間は好んで魔界に訪れず、逆もまた然りとなっている。

 しかし、男はこうして偶に、魔界に近い街へと、越境して訪れることがあった。この冬にもいくつか人間界の近況を知れたことには、満足していた。そうして、この暗がりに紛れて魔界へと帰る途中であった。


 ふと、彼の耳に小さな声が聞こえてきた。蚊の鳴くような、掠れた声だ。


「なんだ……?」

 明らかに弱っているだろう声に、男は耳を傾ける。どうやら先にある裏路地の方から聞こえてきているようだった。足早に近づく。

「この先か」

 裏路地へと入っていく。少し、雪が薄い。踏まれた様子がある。ゆっくりと奥へ進んでいくと、小さな人陰が落ちているのを見た。ぼろきれが被せられたような、いや、これは服なのだろうか、その下に少女が居た。


「……っ!?」

 男は駆け寄り少女の身体を持ち上げる。打撲の痕や、斬り付けられたような幾つもの傷、血でくすみ、全裸にひん剥かれ、満身創痍の様相だった。

「誰が、このようなことを……」

 憤怒と憐憫の混ざる感情が表出する。しかし、その気持ちをぐっと抑え込み、手早く応急処置の魔法を少女へとかける。


 数秒後に、ピクリ、と少女の身体が微かに動いた。それを男は感じ取ると大きな手で少女の身体を支えながら、其方へと意識を向けた。

「童、聞こえるか。聞こえているなら返事をしろ」

 男の問いかけに身体を少し動かしたあと、霞んだ目を開く。


「……あん、た……だれ……?」

 聞き取ることも難しいほどに小さな声が少女の口から零れ出す。男は其れを聞き逃すことなく、返事をする。

「意識あったか、何よりだ。私は北国の魔王、アルデバラン・ヴァーミリオン。訳あってこの街を訪れた折、お前を見つけたところだ。もう喋らずとも良い……一先ず我が城まで運び治療をするが、それで良いか」

 男は、魔王であった。ただの名乗りに過ぎないが、少女にとって其れは大きな意味を持っていた。

「魔王……?」

 ぽそりと、男が告げた一言に反応する。そうして間を置かず、憎らしくも疎ましいというほどの大きな感情を魔王へと向けた。

「……お前が、お前がッ!!」

 身体を無理やり起こして、拳を魔王の顔面へと振り抜こうとする。

「お前さえ、居なければ……!!」

 悲痛な叫びを纏った拳を、魔王は躱して拘束の魔法をかける。少女の身体はピタリと止まるが、振り切ろうとして力を籠めると、やがて魔法が弾けた。


「……ッ!?」

「ぐっ、あっ!!」

 勢い余って魔王の手元から落ち、叩きつけられた身体に鈍痛が響き渡る。少女はもがき苦しんだ様子を見せたものの、勢いを殺すことなくまた殴り掛かった。

「あああああ!!!!!!」

 魔王も応戦する。先程より強く拘束の魔法をかけ、少女の動きを固く止めると、乗せた勢いが少女の身体へとぶつかり、やがて気絶した。


「……落ち着いたか」

 そう言うと、その大きな腕で少女の身体を抱きかかえる。剥き出しの肌を冷やさないために、次元を開いて拡張収納の中から布を取り出し少女を包むと、足元に魔方陣を展開した。

「一刻も早く治療せねば……」

 痕跡消失の魔法と、瞬間移動の魔法を同時展開する。ふと、少女の目から涙が零れているのを、魔王は見逃さなかった。

「お父、さん……お母さ、ん……」

 小さく零したその言葉。魔王は怒りと哀しみを必死に抑える。青と黄に淡く光る魔方陣が互いに交差し、そうして魔王はその場から姿を消した。淡い光が消えた後には、何も残ってはいなかった。


「やはりこの程度が限界か」

 間を置かず、街から十数㎞ほど離れた小高い植林地に魔王が現れる。少女に揺れが伝わらぬよう、大切に抱えている姿があった。

「文句も言う暇もない。先を急ごう……」

 誰に言うでもなく、言い訳をこぼし、また魔法を展開する。そうして姿を消すとまた、十数㎞ほど先に出る。これを幾度も繰り返し、そうして城に向かっていく。


「すまない、私がもう少し早く気づいていれば……」

 移動の間、魔王は彼女へと謝っていた。ただ自責の念でなく、それは罪悪感からくる謝罪だった。強く、温めるように少女を抱く。かすかに聞こえてくる息だけが、彼女に命があることの証明となっていた。



 これが魔王と勇者の、始まりであった。

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