19話

水希はそのままダイニングテーブルで眠っていた。そこに一人の人影がやってきた。その人影は、何も言わずに水希に毛布を掛けるとそのまま立ち去って行った。暫くして水希が目を覚ますと肩に毛布がかけられていることに気が付いた。

「誰…?」このシェアハウスの鍵を所持している誰かが毛布を掛けたのだろう。それこそ、このシェアハウスの住民の誰かであるはずだ。それが誰なのか、礼を言わなければならない。そう考えた水希は毛布を折りたたむと左手に持ち、部屋の電気が消えていたので電気を点けた。

水希が電気のついたリビングを見渡すと、ソファーの上に青年が横たわっていた。更に近付いてみてみるとそれは藤咲であった。藤咲がこのような所で眠っていること自体、恐らくなかなかないことだろう。起こすのも悪かったため、静かに夕食の準備をしながら藤咲が起きるのを待つことにした。


もし藤咲がこの毛布を掛けてくれたのだとしたら、何か藤咲が好きなものを作ってあげたい。水希はそう考えたがよく考えたら藤咲の好きなものなんて微塵も知らなかった。そもそも好きな食べ物の話をするような関係に未だなれていないのだった。そもそも、食事をしたのだってあの歓迎会のみだ。あれ以来食事を一緒にしたことすらなかった。そもそも人と食事をすることや食事自体に興味ないのかもしれない。水希は悩んだが、悩んだ末に冷蔵庫に入っていた材料でハンバーグを作ることにした。


暫くして、野菜を切りひと段落しダイニングテーブルでメモを再度確認していると藤咲がむくっと起き上がりソファーから立ち上がった。藤咲はそのままリビングから自室へ立ち去ろうとした。

「待って」

水希は藤咲を引き留めた。藤咲は驚いた様子でその場で固まり、水希の方をじっと見た。水希は片手に毛布を持ち藤咲のもとに駆け寄ると「この毛布、ありがとう」と礼を言い藤咲に渡した。よく見たら青と白のチェック柄でかわいらしい毛布であった。藤咲は黙って受け取ると、そのまま階段を昇って行った。

「ハンバーグ、今日の夕飯に焼くからよかったら食べてね」水希は大きな声で立ち去っていく藤咲に届くようにハンバーグを作ることを告げた。藤咲がハンバーグを食べに来てくれるかはわからない。それでも水希は心の中に一縷の望みを抱いて藤咲のことを待ってみることにした。


暫くして、夕飯の準備ができると一応二人の部屋に声をかけに行った。水希は先に食べ進めながら今日も二人が階段を下りてくるのを待つことにした。暫くしてもだれも降りてくる気配はなかった。水希は二人を待つのをあきらめ、食べ終えると皿洗いを始めた。いつもと同様二人の分にはそれぞれ付箋で名前を書いて冷蔵庫に入れて置き、いつでも食べられるようにしておく。もし二人が食べなかった場合は次の日の朝に自分で食べるからよいのだ。というか、ここ数日は少し少なめに作って結果的に両方とも手を付けられていないことが多いので、朝昼と同じものを食べることが多かった。

片付けが終わり、水希はノート片手に自室に戻った。水希は暫く自室でまた昼間のことを考えようかと思ったが、考えてもらちが明かない気がしたので、ノートを一度閉じて今日は早めに就寝することにした。この建物の主がいないので、念入りに施錠を行い、電気やガスの確認を行った。



シェアハウスのみんなが寝静まったころ、藤咲はこっそりと部屋から抜け出した。そして、足音を立てないように階段を下りて、リビングに向かった。ベッドでボーっとしていて腹が鳴ったとき、ふと今日の夕方の水希の言葉を思い出したのだった。水希がせっかく料理を自分のために作ったのであれば食べてやろう、そんな気持ちだった。

冷蔵庫を開けてみると、ラップでふたをされた夕飯が並んでいた。夕飯は二人分並んでいて、それぞれ藤咲の名前と宮野の名前が書かれていた。つまり、水希は二人分用意したようだった。藤咲がラップを剥がしてごみ箱に捨てようとすると、ゴミ箱には似たようなラップが大量に捨てられていた。しかし料理が捨てられている雰囲気はなかったので、二人分常に作っては食べていたのだろう。水希が自分たちを待っていたことが分かった。


ハンバーグを薄暗いリビングで食べながらふと思い出した。そういえば、昔母親がこうやって引きこもりがちな自分のために、自分の食事を作って冷蔵庫に入れていつでも食べられるようにしてくれたっけ、と。

なんとなく懐かしかった。今でこそ母親とは連絡は取れないが幼いころ母親がしてくれたことは記憶にはっきりと残っているのだった。もう今となっては母親と会うことはもう一生叶わないだろう。父親から逃げるために母親とも完全に連絡を絶ち、何も言わずに逃げ出してきたのだから。

そう思うと、ハンバーグを咀嚼するたびに涙があふれた。今頃父親のことが無ければ母親と小さなアパートの一室で何も考えずに幸せな時間を過ごすことが出来たのだろうか。考えても意味がないことを分かっていても考えれば考えるほど涙があふれた。

そんな記憶ごとハンバーグを嚥下して、ついに皿の上はすべて空になった。こんなに沢山の固形物を口にしたのはいつぶりだろう。ここ最近は病人でもないのに気が進まず、ほとんど何も口にしていなかった。なんとなく憂鬱で漠然とした喪失感のせいで、摂取する気になれなかったというのが正しい表現かもしれないけれど。

流石に皿をそのままにしておくわけにはいかないので、洗っておくことにした。皿洗いは母親の手伝いで幼いころよくやらせてもらっていたし、この家は食洗器もあるので食洗器を使ったって良い。よく夏目は食洗器を使っていたような気がするし。藤咲もよく夏目の様子を注視していたので、ある程度の食洗器の使用方法は把握していた。まあ、完全ではないが簡単な内容であれば食洗器の内側や外側に書いてある。その文章さえ読めばどうにかなりそうだった。


藤咲は、食洗器に書いてある通りに食器を入れ、スイッチを押すと食洗器が起動したのを確認してキッチンから立ち去った。藤咲はラップの上に貼ってあった紙を回収して裏返しにした。適当にそこら辺においてあったボールペンを拝借して、夕食のお礼と美味しかったこと、それと食洗器に器を入れてタイマーをかけておいたことを明記した。

書き終わるとそのメモを手にして、水希の部屋のドアの下の少しの隙間から彼女の室内にメモ書きが入り込むように、こっそりとメモを室内の方へと入れた。一瞬水希の部屋が自分や夏目の部屋のように少し散らかっている可能性を懸念したが、水希は引っ越してきたばかりだし、綺麗好きの印象があったので散らかっていることはないだろうと考え、明日の朝に読んでくれることに賭けたのだった。

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