第4話(3)

 美嶋から「僕と遊びに行かない?」と提案されてから数日後の休日。

 こよりは普段から通学で利用する駅の改札口前にあるバーガーショップにいた。

 スマホの電源を入れると十時二十分と現時刻が表示される。


「待ち合わせまであと十分」


 こよりはガラス張りになったカウンター席から改札口を眺める。

 この駅の改札口はここ一つしかなく、電車の利用客は必ずここを通らなければいけない。


「……あ。どうかしら?」


 ホームの方から電車が停車した音が聞こえる。

 しばらくすると、電車から降りてきた利用客が一斉に改札口から出てきた。

 こよりはその場で前のめりになって美嶋の姿を探すが、今回の一団の中に美嶋の姿はなかった。


(この電車ではなかったみたい……)


 こよりは肩を落とすと、手元のカップに入ったオレンジジュースを口にした。

 オレンジジュースの爽やかな酸味と冷たさが口いっぱいに広がり、こよりは我に返る。


(私ったら、年甲斐もなくはしゃいで……)


 美嶋との外出にこよりは自分でもらしくないと思えるほどテンションが上がっていた。

 ガラスに反射する自分の姿はまるでその表れであるかのよう。

 肩周りが露出するオフショルダーの上着にフリルのミニスカートに身を包み、前髪には花の飾りがついたヘアピンを留めていた。

 こよりとして過ごして六か月、これほど着飾ったのは初めてのことだった。


「今更だけれど、これはやり過ぎだったかしら?」

「そんなことはないと思うぞ」

「そうよ。お友達と遊びに行くんだから、これくらいのオシャレは普通よ」


 両隣の席からそう声をかけるのは、何故かこよりと同様に偉く気合の入った服装に身を包んだ一歩と知世だった。

 こよりは何とも言えない表情を浮かべながら、交互に二人を見やる。


「……お父さん、お母さん。こんなことを言いたくはないのですが、できれば今すぐ帰ってくれませんか?」

「こよりったらひどいわ。私たちもこよりの新しいお友だちに会いたいのに。ねえ、一歩さん?」

「そりゃそうだろう!こよりの友だちだ。ぜひ挨拶をしないと」

「しなくていいです!恥ずかし過ぎてもう友達を続けられなくなります!」

「「ええ……」」


 一歩と知世は「仕方ないな……」と納得した様子を見せる。

 そうして、一歩は席から立ち上がる。

 しかし、知世が一向に立ち上がる様子を見せない。


「……お母さん?」

「あら、どうしましょう。お尻から根っこが生えて動けなくなってしまったわ」

「お母さん!?」

「そうそう。俺もお尻から根っこが……」


 一度は立ち上がったはずの一歩だが、何事もなかったかのように席に座り直している。


「お父さんは一回立ちましたよね!?流石にそれは無理がありますよ!?」

「何のことだ?」

「私もこよりが何を言っているのかよく分からないわ」

「ええ?嘘ですよね!?本気でこのまま居座る気ですか!?」

「……これどういう状況?」


 一歩と知世の予想外の行動にてんてこ舞いなこよりの後ろから声がかかる。

 その声に振り向くと、そこには美嶋の姿があった。

 タンクトップの上にオーバーサイズの上着、そして下はジーパンと普段のセーラー服とは打って変わってボーイッシュな衣服に身を包んでいた。


「あ、優。おはよう……」

「おはよう。えっと、そちらの二人はもしかして――」

「どうも、こよりの父です!」

「こよりの母の知世です。こよりがいつもお世話になってます」


 一歩と知世は目をキラキラさせて、一斉に美嶋のもとへと詰め寄る。

 美嶋もまさかの展開に困惑を隠しきれていなかった。


「え、えっと、美嶋優です。こよりさんの親友をして――」

「あら、親友!?一歩さん、親友ですって!?」

「これはめでたいぞ!今日はお祝いだ!帰りにお赤飯を買っていこう!」

「ええ。そうしましょう!」

「お父さん、お母さん、店の中ですから静かに!お願いですから、こんなところで万歳しないでください!」


 喜びのあまり感極まり、人目も構わず両手を上げ始める一歩と知世をこよりは頭から湯気が出そうになほど赤面しながら、二人を止めることとなった。


 *


 しばらくして、こよりと美嶋の二人は駅のホームにいた。


「……ごめんなさい。すごく恥ずかしいところを見せてしまったわ」

「別に恥ずかしくがらなくてもいいんじゃないかな?」

「改札で別れる時に大声で私たちを見送るような家族よ?周りからの注目すごかったでしょう?私はとてつもなく恥ずかしかったわ……」


 こよりの脳裏に改札の前で両手を大きく振って二人を見送ろうとする一歩と知世の姿が蘇る。

 顔の辺りがカーッと熱くなって、こよりは両手で顔を覆った。

 すると、美嶋はこよりの隣でケラケラと笑う。


「良いじゃん。愛されてる証拠だよ」

「二人は私に対しての愛が大きすぎると思うの。この前の誕生日なんて、高級レストランでスポンジが三段の巨大ケーキを予約してたのよ!一体いくらしたのだか……」

「愛が大きいことは良いことだと思うけど?」

「大き過ぎるのも困り物よ?」

「……そっか。贅沢な悩みだね」

「え?」


(あ……優の家族は……)


 こよりは美嶋の両親のことを思い出してハッとする。

 親の期待を裏切り失望させた不出来な娘を両親がどのように接するかは想像に難くない。

 こよりが視線を向けた時には美嶋の顔に暗い影が落ち、その瞳に反射する光はどこか曇っていた。

 

「ごめんなさい!私ったら、優の前でなんてことを」

「謝らないでよ。気にしてないからさ」


 そう言って、優はニコリと笑みを浮かべる。

 けれど、それはただ貼り付けただけの作りものの笑顔だった。


「……優」


 ごめんなさい以外の言葉が見つからない。

 気付けば、こよりと美嶋を取り巻く空気は酷く息苦しいものになっていた。


(やってしまったわ。せっかくの優とのお出かけなのに……)


 こよりは申し訳なさで美嶋の顔を見ることができずにいた。

 そして、少しでも美嶋の冷めてしまった心を温めるためにできることを考えに考えた。

 結果、こよりは美嶋の腕に抱き着く。


「こより?」

「私は優のことが好きよ。もちろん親友としてだけれど」

「……」

「優が本当に欲しいものとは違うし、その代わりになるかも分からない。けれど、私が優のことを大切に思っている気持ちは本物よ。言ってもらえればいつでもこの気持ちを伝えてあげるわ。だから、そんな寂しい顔をしないで」


 そう言い終えると、電車の接近を知らせる放送がホームに鳴り響いた。


「……ありがとう。こより」


 こよりが顔を上げると、美嶋の微笑みが目に飛び込んでくる。

 それは曇天の切れ間からわずかに顔を出す太陽の下で咲く一輪の花のよう。

 美嶋の幼くも純粋な心だけを映し出したその笑顔を直視した途端、こよりの顔の周辺が突然燃え上がるように熱くなる。


「……っ」


 すると、こよりにつられてか美嶋の顔もみるみる赤くなっていく。

 段々とお互い気まずくなっていき、最後には二人一緒に顔を逸らした。


「私たち、親友よね?」

「……そうだね。僕たちは親友だね」


 こよりと美嶋はゆっくりを振り返る。

 お互い顔は真っ赤なままだった。


「こよりの顔、真っ赤だよ」

「あなただって。きっと私よりも真っ赤だわ」

「それはどうかな?僕はこよりの方が赤いと思うね」


 気まずさは少し薄れた。

 二人の会話はどこかぎこちなかった。

 けれど、そのぎこちなさが可笑しさに変わって、いつの間にか二人の顔には笑みが滲んでいた。

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