野良猫の社会性
「人生には空しく虚ろたる瞬間が、皆に等しく確かに存在する」
「その瞬間を埋める手法は人それぞれだ。人の温もりを求める者もいれば、こうして空白を文字とする者もいる。空白を埋めるのに手っ取り早いのは何かを生み出すか誤魔化す行為であるが、それのどちらがよいかを今論ずる気はさらさらない」
机の隅に置かれた白湯に口をつけて一息をついたあと、小さな書斎で彼の独演はなお続く。
「ともあれ、何かを生み出す行為は素晴らしい。大したものを出力しておらずとも、それが例え何かの二番煎じであったとしても『何かこの世に無いものをこの手で作り出している』という充足感は他には変え難いのだから。だがしかしこの手の快楽にも大抵人は慣れてくる。慣れてしまえば、刺激をさらに増やすほかない。だから作る数を増やし、割く時間を増加させ、そのうちに空白を埋めるはずの手段が変容していく。実に面妖だと、そうは思うわけだ」
「言い訳は以上でよろしいですか、丹宮先生?」
先生と呼ばれた男は左眉だけを上げて不快感を示したあと、すぐに元の仏頂面に戻って溜息を吐いた。
「きちんと聞いていただけたかな、
「ええ聞きました、一言一句逃さず。
要するに『筆が進まない』、ということでよかったです?」
「これは手厳しい。愛しの作家様がやる気を失っているのならば、色気のひとつでも使って軌道に乗せるのが編集者というものだろうに」
「本気で言っているのなら時代錯誤ですし、冗談であるのなら趣味が悪いと思いますけど」
「どちらで取ってもらえば、その手に持った書類の威力はましになるだろうか」
「受けてみれば分かると思いますけど?」
「では、先程の言は聞かなかったことにしてくれ」彼が肩を竦めたのを見て私は頭を搔く。
「そもそも私が来たのはおしゃべりのためじゃないんですよ」
話しているうち、私の語気が加速度的に増してゆく。
「まずもって連絡が付かない、様子を見に来たら丹宮さんは微動だにしてないし、進捗を聞いても答えない、覗き込んでみたら三分の一が白紙、明後日が締切ですよ、分かってます?」
「珍しい」
丹宮才苗は口だけが動いている。この男は必要以上の動きを、なんというか、拒否しているような挙動をする。
「普段よりも興奮しているようだが、何か普段とは違う問題が?」
その言葉に私は左手に抱えていた紙の束を机に叩き付ける。先程置かれたペンが床へと転がり込むように逃げ込んだ。
「帰れないんですよ私が!
「今のを
好き放題文句をぶち撒けて肩で息をする私に彼は尋ねた。ペンが拾い上げてほしそうに視界の隅で静止している。
「貴方を手に掛けた上で責任を取ることも厭いません」まだ少し荒い息を収めて、私は頭を搔きながらぼやくように吐き捨てた。
「相分かった」こんなくだらない諍いの中であっても止まらない秒針の音だけが降り積もる書斎にぽつり座る彼が、再びその肩を竦める。
「この話は聞かなかったことにしておこう」
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