1 夜降鳥の尻尾

 冒険者の街、ラミア。

 その一角にある宿屋「夜降鳥の尻尾ディルンテイル」は、朝から賑わいを見せていた。

 古めかしさはありつつも広々とした一階には食堂スペースが確保されており、宿泊者や街の住人が提供された朝食を楽しんでいる。専属の料理人が調理するような本格的なものではなく、メニューは決して多くはないが、夜には酒が出されることもあって食事時は常に客がいる印象だ。


「おはよ。今日も一人なの?」

 確か最近新しくされたばかりのドアを開けたディークに、受付のカウンターから早速声が掛かる。

「おはよう、リーネさん」

 宿の主人カンデスの娘、リーネ。彼女は幼い頃から、両親と共にこの宿を切り盛りしている。

 毎日のようにここに通っているディークとはもう二年近い付き合いだ。彼女の手が空いているときには、こうして向こうから声をかけてくれることも多い。


「この後集合、って感じにも見えないし。パーティメンバー、まだ見つかってないのね」

「強いて言うなら、たまに怪しいのが声掛けてくるくらいかな。他は全然だよ」

 肩をすくめるディークを見て、リーネは「はぁ……」と気だるげに溜息を吐く。

「受け身じゃ駄目っていつも言ってるのに……それで? 朝、食べてくの?」

「うん、いただきます」

 ディークが答えると、いつも通り注文も聞かずに奥の厨房へ消えていくリーネ。

 本人曰く、馴染みの客が頼むものは分かってるからわざわざ聞かなくていい、とのこと。そもそも朝食メニューの選択肢がほぼないからこそ為せる業に思えるが、一応それなりには種類のある夕食メニューでもばっちり毎回的中させてくるので、そういう特殊能力でもあるのかと疑いたくなるほどだ。


 二人用のテーブルが空いていたのでそこに座り、すっかり慣れ親しんだパンとスープが運ばれてくるのを待つ。


 待ち時間の暇つぶしがてら周囲に意識を向けてみたところ、近くの別のテーブルには見慣れない冒険者三人組がおり、リーネの母親――ティナが注文を取っているところだった。多分、最近ラミアに立ち寄ったばかりの冒険者パーティなのだろう。

 注文を取り終えたティナが店の奥へ消えると、彼らは何やら打ち合わせを始めたようだ。漏れ聞こえてきた内容から察するに、最近ラミア近辺の森で目撃情報が多数ある新種の魔物を討伐しに行くらしい。中堅レベルでやっと相手ができる程度には強力な魔物と噂されているはずだが、彼らが身に着けている装備はそのほとんどが希少な素材を使用したもの。かなり実績を積んでいる手練れの冒険者なのだろう。

 少々気になるのは、オーバーサイズのマントを羽織った小柄な少女がずっと下を向いて黙っていることくらいか。まあ、単に物静かなだけかもしれないが。


 彼らの様子を何となく眺めながら、ディークは先程リーネに言われた言葉を反芻する。

(……受け身、ってわけでもないんだけど)

 ディークは冒険者になって二年もの間、一度も特定のパーティに所属した経験がない。もっと言えば、そもそも他の冒険者と組んで仕事をしたことすらない。その事実は、ディークが冒険者として生きていく上での当面の課題だった。

 尤も、冒険者協会に所属してさえいればソロでも依頼は自由に受けられる。勿論パーティを組んだ方が仕事の幅は広がるが、逆に自由度が高く、仲間とのトラブルなんかと無縁でいられるソロでの活動も悪くない選択肢と言えるだろう。実際、長年パーティを組まずに活動しているベテラン冒険者も一定数いたりする。

 だが、ディークの場合、いつまでもソロでやっていくわけにはいかない特別な事情があるのだ。その事情はリーネにも話していて、毎度小言を言いつつも気にかけてくれている。


「あんまり他のお客さんをジロジロ見ないの」

 呆れたような声に顔を上げると、向かいの椅子に腰かけているリーネと目が合った。いつの間にかテーブルには朝食の載ったトレイが二つ置かれている。

「やっぱり羨ましい? ああいうの」

「まあ、そんなところだよ」

「ふぅん?」と、リーネはあまり納得していない表情でパンを口にした。

 丁度客の入りも落ち着いた頃合いだ。接客と調理を両親に任せて休憩に入ったのだろう。

 これもまた、いつも通り。こうしてリーネと一緒に食事をとるようになったのはディークが冒険者になった後の話だが、感覚的にはもっと前から毎日顔を合わせている気がするくらいには、ディークの中で日常と化した光景だ。


「で、今日の予定は? 簡単な依頼だったら今日もそこのボードに用意してあるけど……正直、どれもこれも代わり映えしないやつばっかりよ。ラミア支部、最近は特にケチになってきてるの」

 リーネは不満げにそう言いながら、受付の横にある大小様々な紙が貼られたボードをチラッと見る。

 そこに貼られているのは、リーネが冒険者ギルドから譲り受けてきた依頼の数々。


 通常、各地の支部に出向かなければギルドの正式な依頼を受けることはできない。ただ、ギルド職員の資格を持っている者は例外的に支部と冒険者の仲介役になることが可能で、冒険者が集う街ではここのように「依頼ボード」を設置している店を見かけることがある。

 ただ、事前の手続きが面倒な上、ギルドからの委託料も大して出ないため、退職した元職員が趣味で経営する店なんかに置かれている場合が大半だ。中には冒険者の来店を促す戦略としてこの制度を取り入れている店主もいるのだろうが、そのためだけにわざわざ資格を取得するメリットはディークの知る限りあまりない。


「あはは……まあ、ギルドも商売だからね。それに僕としては、まともな依頼が受けられるだけで十分助かってる」

 助かっているどころか、少々助けられ過ぎていると言ってもいい。

 一年半前、宿屋の店員であるリーネが職員資格を取ったのは、他ならぬディークのためだ。

「そ、だったらいいけど……もっとマシなのが欲しかったら言ってよね。他の支部に行って交渉してみるから」

「いや、流石にそこまでしてもらうのは悪いよ」

「別にいいの。そんなに遠いわけでもないし」

 涼しい顔で言うリーネに、ディークは苦笑しつつも「ありがとう」と返す。

 他の支部とは恐らく、ラミアから一番近い距離にあるヴルクレッタ支部のことだ。ヴルクレッタまでの移動手段としては大型の魔導馬車が一番速いが、当日のうちに支部に立ち寄るのであれば早朝の便で出発しなければまず間に合わない。その上で、交渉や手続きの時間を踏まえると確実に向こうで一泊することになる。

 そして仮に交渉が上手くいったとして、依頼の受け渡しは資格を持っている者同士が直接行うのが鉄則。リーネが定期的にヴルクレッタまで足を運ぶ必要が出てくる。リーネ自身だけでなく、その両親にまで苦労を掛けてしまうのは避けられないだろう。

 それでも「遠くない」なんて言ってくれているのだから、リーネには本当に頭が上がらない。


 リーネは溜息交じりに「どういたしまして」と言いながら、照れ隠しなのか二、三口分ほど残っていたパンを一気に頬張った――と、詰め込み過ぎたのかとても息苦しそうに咀嚼している。

 そのちょっと幼くも見える様子に思わず口元が緩んでしまったらしく、こちらを見たリーネに怪訝な顔をされてしまった。


 腰まで伸びた長髪に対して背は低めと、一見すると少女のような容姿をしているリーネ。だが実際には、ディークより二つ年上だったりする。

 初対面の時こそ勘違いしてしまったが、長い付き合いとなった今では彼女に対して「大人」に感じる部分の方が圧倒的に多い。だからこそ、偶に子供っぽさが垣間見えるとついおかしくなってしまうのだ。失礼だとは思うが悪気はないので許してほしい。


 口いっぱいに詰めていたものをやっと飲み込めたらしいリーネは、気を取り直して話を続ける。

「まあ、ラミア支部だって冒険者は足りてないって聞いてるし、暫くすればまた羽振りの良い依頼もこっちに流れてくるようになると思うわ。乗り換えるにしても一時的ってこと。だからほんとに気にしなくて大丈夫」

「そっか、それなら安心できるかな。取り敢えずは今来てる依頼でなんとかするけど、いざとなったら頼らせてもらうよ」

「りょーかい。いつでも任せて」

 満足そうに頷いたリーネは、食べ終えた食器を重ねて厨房に向かった。


 テーブルに唯一残された自分のスープを口にしながら、ディークはいつの間にか人が減っていた店内を見渡した。

 ディークが席に着いたときに注文を受けていた三人組の冒険者がたった今会計を終えたところのようで、先程も打ち合わせをしていた二人が出口の脇の広いスペースで何か話し込んでいる。そして、その傍に佇むマントの少女は相変わらず一言も発さない。

 ディークがついこの三人組に目を向けてしまうのは、見ない顔の彼らを怪しんでいるからではない。近接戦向きの装備を固めたリーダーらしき女、同じく近接戦を前提としつつ身軽さにも配慮された防具を身に纏う男、魔法職と思われるマントの少女。人数としてはやや少ないものの物珍しさはない、ごく普通の冒険者パーティといった印象だ。

 であれば、何がこんなにもディークの意識を引き寄せているのか。

 自分でも分からないまま、うっかり変質者と勘違いされない程度に観察を続けていると――


(――ッ!)

 無言の少女が不意にこちらを見たような気がした・・・・・・・・・

 しかし目が合った感覚はない。ディークの目はその一瞬、間違いなく少女を捉えていたにも関わらず。


 突然の奇妙な感覚にディークが戸惑っているうちに、話を終えたらしい二人が宿を出ていく。それに気づいたマントの少女も一歩遅れて二人に着いて行ってしまった。

 その後ろ姿を見つめていると、頭に何かがコツンと当たった。

「……できれば角はやめてほしいな」

「懲りずに人間観察なんてしてるからこうなるの。ちょっとは反省して」


 リーネはそんなことを言いながら、ディークの頭を襲った凶器である空のトレイをテーブルに置く。見慣れたトレイの四つ角は最低限の丸みを帯びてはいるが、当たるとまあまあ痛い。

 このままでは説教タイムが始まってしまいかねないと悟ったディークは、早々に話題を切り替えることにした。


「そういえば、今度の買い出しなんだけど、予定より一日遅らせてもらってもいいかな?」

 基本的にこの宿の食材調達担当はカンデスだが、リーネが買い出しに行く日もたまにある。その時は決まってディークが荷物持ちをしているのだ。

 その代わりにここでの日々の食事代は無料タダだったりする。流石に不定期の買い出しの対価としては大きすぎるため、ディークとしては普通に支払うつもりだったのだが、リーネに強引に押し切られた。

「えっと、多分大丈夫だと思うけど。何か急な予定でも入ったの?」

「うん、師匠にそろそろ顔見せろって言われててね。朝早くに出る予定だから、朝食もここには寄らずに途中で買って行くことになると思う」

 それを聞いた途端、リーネは何かを察したらしく苦い顔をする。

「あー、そういうこと……ディークも大変よね、あの変人から定期的に呼び出されるなんて。私なら絶対お断り」

 そこまで拒絶しなくてもと思ったが、だからといって否定もしづらいところだ。

 幼い頃からあの人を知っているディークでも未だ着いていけない場面が多々ある。噂だけを耳にして実際に関わることのない一般人が畏怖、あるいは敬遠してしまうというのは大いに頷ける。

 もっとも、本人は畏れられている自覚なんて微塵もないのだろうが。


「悪い人ってわけではないんだけどね」

「そこそこ悪い人でしょ、そんな擁護されてる時点で」

 ジトっとした目がディークに突き刺さる。全くもってその通りだ。

 流石に悪人とまでは言わないにしても、今回の呼び出しの連絡が昨日届くくらいに気まぐれで人を振り回すタイプの人間なのは、紛れもない事実なのだから。

 目を逸らしたディークをじっと見つめるリーネだったが、すぐに追及を諦めたのか小さく息を吐いた。

「……ま、あの人のことなんて私には関係ないんだけど」

「それはそれで手厳しいな」

 自由気ままな分、メンタルの強靭さもバケモノ級なあの人のことだから気にしないだろうとは思うが。


「とにかく、一日くらい遅くなっても全然問題ないから。お父さんたちにも私からちゃんと伝えておくし。ディークは安心して行って来ていいわ」

「ああ、そうしてもらえると助かるよ」

 基本的にディークがこの宿を出入りするのは朝夕の食事の時くらいだ。リーネに言われているのもあってなるべく客が減り始める時間帯に来るようにはしているが、それでもカンデスやティナと話せる機会はあまりない。別の時間に改めて来てもいいが、リーネに伝えてもらった方が早いし確実だろう。


 リーネはディークの言葉に頷くと、空になったカップをトレイに載せて立ち上がった。

「それじゃ、私は仕事に戻るから。今日も頑張って」

「うん。行ってくる」

 軽く手を振ってから厨房に消えるリーネを見送りつつ、ディークも席を後にした。

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