墓守は死んだ
ウェアウルフの顔に動揺が浮かんだ。
失言したと思ったのだろう。しかしその瞳には隠し切れない好奇心が浮かんでいた。
口ごもる姿は先程の、乗車賃を催促した時と良く似ている。
アイビーは軽く頭を掻いた。
「墓守の一族は、僕以外みんな死にました」
隠すようなことでも、隠したい事でもない。わざわざ自分から吹聴するような話でもないから、これまでその事実を誰かに知られることもなかっただけだ。
「それは、一体どうして……や、病ですか? それとも、何者かに襲われたとか」
「いやあ。それはまあ、こんな世の中ですからね」
アイビーのこれは、当然彼の言葉に対する肯定ではない。
果たしてそれは正しく伝わったらしかった。
「よりによって、なぜ墓守が……」
ウェアウルフの動揺は、何も特別な物ではないだろう。この世界、どこへ行こうと誰に語ろうと、彼と同じく皆天を仰ぐ筈だ。
墓守とは、そういう存在だった。
貴賎を問わず乞われれば誰かの墓を拵え、管理してきた彼等、墓守の一族は、この世界で最も高いと言われる山の上に、小さな村を構えて暮らしていた。
生きている間に依頼されることもあった。死した後に依頼されることも当然あった。どこぞの国の王様の墳墓を作る事も、何の変哲もない平民の墓地をデザインする事も、疫病にかかった奴隷達を纏めて土の下に投げ入れることもあった。
そしてそれら全てが等しく誇りであり、墓守にとっては常のこと。
この世とあの世を区別せず、誰も特別視することなく、ただ、今生きる人間の事を想って死者を弔う。だからこそ世界中で重宝された。世界中で敬われた。
誇りある仕事で、誇り高い一族だった。
そう、自ら死を選んだあの時までは。
「こんな世の中ですから」
先程の言葉を繰り返す。
「義務感とか、責任感とか、そういうのが無くなって、人間らしい生活を守る意味が無くなって……まあ、そういうのに気が付くのがきっと、他の人達より早かったんじゃないかな。だってお墓は、生きている人達の、これから先も生きていく人達のためのものだから」
背中からシャベルを下ろして、膝の上に乗せる。
蔦の装飾のついた柄は持ち辛い。父や隣人達にとっては、どうだったのだろう。
アイビーはまだ墓守として働いたことが無かった。だからアイビーはきっと墓守ではない。これから先、そうなる事ももう、ない。
「あなたの言っていた使命というのは多分、墓守の仕事の事を指すんでしょうけど。だから、僕はきっとこの先、そうすることはないと思います」
「では、あなたは何故旅をしているのですか? こんな、先の無い世界の、何を見て回ろうというのですか? 何を成そうというのですか?」
そう問われれば答えには窮する。別に何を見ようとも、何かを成そうとも思っていない。何をしたって残らないのだから、仕方の無いことだ。
しかし目的だけははっきりとしていた。
「僕は、死のうとしています」
「後を追おう……と?」
「はい」
では何故その場で、一族が皆死んだ半年前にそうしなかったのか。
その問いに対する答えも、はっきりしている。
「みんな、同じ死に方をしました」
テーブルの上のミストルを、こめかみに向ける。
「みんなこれでズドンです。いや、パン、だったかな」
「これとは何よ。これとは」
「ごめんごめん。言葉の綾ってやつ」
ウェアウルフは何も言わずにわなわなと震えていた。恐れているようにも、怒りを堪えているようにも見える。狼によく似たその顔は、先程からずっと困惑と動揺を示している。
「僕は墓守のなんたるかをまるで知らないので、これくらいしか真似できません」
「あ、あなたは! あなたは、一族の仇と旅をしているというのですか!」
牙の隙間から唾が飛ぶほどの剣幕だった。
強靭な右腕に叩かれたテーブルが、銃声に負けない程に激しく鳴いた。それが断末魔だった。木片が舞って、悪臭を放っていた皿も、空になった葡萄酒の瓶も、まだ満たされていたグラスも、瞬きの後にごみになる。
ふわりと宙を泳いだシーツが床の葡萄酒を飲み干すまでたっぷりと残響が降り注いだ。
惨憺たる有様を見て、アイビーは少しだけ椅子を引いた。
「心外ね。あなた、包丁で人が刺し殺されたら、包丁職人が悪いって言い出すタイプでしょ」
「喋るのが悪いんじゃないかな。その包丁が『やってやったぜ』なんて言い出したら僕だって包丁が悪いって思うもの」
「ふん。どれだけ喋ろうが性格が悪かろうが、その包丁が空を飛んで人に刺さらない限りは使った側の責任だわ。あくまで道具は使われるもの。墓守達は殺されたんじゃないの、自決したの」
彼女は欠片ほども悪びれなかった。それが
それを間違いだとは思わない。責めることもない。
正しい言い分だと思うし、それに何より。
「そもそも私に殺傷力は無いもの」
「魔法の銃、なんですって」
何でもないことのように言いながら、アイビーは
「待っ──!?」
撃鉄が倒れる。しかして弾は、吐き出されない。
「わ」
いつもの事だった。恐怖はもちろん、失望すら抱かない最早呼吸にも近い無感動の境地。
アイビーが驚いたのは、目の前に自身の顔よりも大きな掌と、殺意の具現のような鋭さを湛えた爪があったからだ。
「やあ、驚いた。ウェアウルフというのは本当に強い人類種なんだ」
「し、失礼を」
「いいえ。僕が死ぬのを止めようとしてくれただけでしょ? それにしても全く見えなかった。あなたに殺されるのは、痛くも苦しくもなさそうでいいですね」
「……冗談はよしてください」
「冗談。ああ。そうですね、冗談です。僕はミストルで死ぬと決めているんでした」
少しだけ憧憬にも似た感情を抱いたのは事実だったが。
あっけらかんと言い放つアイビーを恨めしそうに睨めつけながら、ウェアウルフは長い顔をふるふると振った。
「それもそうですが、何よりわたくしを驚かせた事ですよ。弾が入っていないのでしょう? 悪戯が過ぎます」
「まさか。僕は本気でしたよ。いつだって本気で、死にたいと思ってる」
何か言葉を重ねようとする彼の眼前に、たっぷり六発、弾の込められたシリンダーを見せ、再度こめかみを撃ってみせる。何度も。何度も。
「手品の類では無いですよ」
信じられないといった様子のウェアウルフに銃を渡す。
「ミストルが言うには、まだその時では無いんだそうです。僕はまだ子供で、死に方も生き方も分かっていないから、死ねないんですって」
「私は『魔女』の作った魔法の銃。自決用のリボルバー、ミストル。それ以外の仕事は御免なの」
「だから、僕は旅をしています。死に方っていうのを学ぶ為に」
ウェアウルフはただ何も言わずにミストルとアイビーの間で視線を彷徨わせていた。
話が信じられないのか、或いは常識外過ぎて、理解ができないのか。
「それで、アナタは?」
「……はい?」
「アイビーと私の事は話したわ。今度はアナタの番ってものでしょう。ね、アイビー」
「ん? うん」
話し過ぎて枯れた喉を潤しながら、アイビーは背後に目をやった。
食堂車、そこにあったラミアの死骸を想う。先程の、爪の鋭さと勢いを想う。今しがた、言葉を交わしていた事実を想う。
「なんで殺したんですか?」
「なんでアイビーの事は殺さないの?」
ウェアウルフはすぐには問に答えずに、備え付けられたバーカウンターから葡萄酒の瓶を取り上げて、そのまま口をつけた。
口端から垂れる赤色を見て、自分の内側の事を想う。
ああいうものが、この身にも詰まっているのだろうか。
「お腹がね、空いていたからですよ」
それから、と続けて。
「お腹がね、空いていないからですよ」
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