第6話
本日西暦1988年、若しくは神武天皇即位紀元または皇紀2648年は2月13日。この世界におけるヴァレンタイン・デイの起源となったとされる元号の名前の会社がヴァレンタインの贈り物としてのチョコを宣伝としてヴァレンタインチョコを始めてから50年となる明日、僕たちは新横浜市から表にも裏にも根を広げる上條財閥のお歴々と会合をすることとなってしまったのだけど...それはまだ見ぬ鬼畜である。つまり、今日は自由なのだ!
本日は土曜日、どうせイオもステラも暇たれこいていると言うことで僕たちは久しぶりに(と言っても、僕は半月ぶりくらいなのだけど)横須賀に行くことにしている。と言っても、今回は特に何があると言うわけでもない。純然たる郊外旅行、みたいな感じなだけだけどね。
割と向かうまでに時間がかかるのは前回に体感済みなので、今回は結構朝早いうちから向かう事にする。最寄りの横濱駅(前世の横浜駅とは場所が違う)前回も通った鎌倉で今回はいったん降りて、大仏だったりを見に行くことにした。
まだ7時なのであまり観光は出来なさそうだとも思ったのだけど案外そうではないらしく、海の方に向かって下っていくと遠くに大仏が見えた...ような、気がした。
ゆっくり歩いて(と言うか、ステラの体力がなさ過ぎてちょくちょく止まったせい)40分近く、大仏様を見る。拝観料は一人5銭で前世でいうところの1500円ほどとやや強気な設定だけど、それでもお金を出して観ることにした。俗物め。
大仏様は前世のように露天と言うわけではなくて、ちゃんと建物の中に納まっていた。1945年の終戦からダンケルクの終戦条約を結ぶまでの間に津波が来て、その後に建てられたとか何とか。かの有名な石原莞爾さんが所持していた3000円を修復のために寄付したとかって言う説もあって、その為か結構堂々と津波対策と対上陸部隊への攻撃として某箱根の紫の巨人の世界に出てくるような地下埋没式の40㎜連装機関砲があるらしい砲座が大量にあった。そこの舗装だけ不気味なほどに色が変わってるから分かりやすいんだよね。...と言うか、そんなものよく普段で整備できるな。
前世とは全く終戦からの流れが異なる大日本帝国の武士時代を象徴するこの鎌倉は結構外国人の観光スポットとして人気だ。そりゃあ前世とは違って、渋谷とかに人がいないわけではないけど、少なくとも外国人...おっと、大日本帝国の神州外から来た人もいるから外人か。彼ら彼女らにとってはこの場所が結構神聖なものに移るのかもしれないね。
え?僕は何でここに来ているのかって?そりゃあ勿論前世できたことが無かったからですが?鎌倉のお土産屋さんの竜の刀のキーホルダー、欲しかったんだよね。まぁついでに、刃を鈍らせたポントウ5円も購入したけど。うう、ポントウ高い。でも銃刀法がないのは嬉しいね。当然先端潰した刀剣類が規制かからないだけで、許可がない普通の刀剣やら銃砲等はバリバリ規制対象だけどさ。戦後のいつぞやかに昭和天皇が国内を巡っているときに極左の人が昭和天皇を暗殺しようとして失敗したらしい天皇遭難未遂事件なんてあったらしいし。怖いね。
鎌倉でステラが大量にお小遣いを出費したので(20円もの大金を半分近く溶かしていた)、僕たちは急いで横須賀に向かうことにした。因みに、ステラが「今回勝った刀は研いで軍刀みたいなのにする!」と意気込んでいたのでイオはステラの趣味に巻き込まれることになるんだろう。...いつもだけど、可哀想に。と言うか、軍刀なら先週に届いた恩賜の軍刀がある筈なんだけどね。まぁ、きっと自分の配下だと思い込んでいるらしいイオにあげたいんだとは思うんだけどさ。全く、ステラを主と慕っているらしいイオ共々に互いに健気なことで。
ステラの大荷物は僕がちょっと持ってあげることにして、そのまま列車に乗り込んだ。本来の役目を果たせていない鈍器に過ぎない軍刀は鎌倉名物なので、微笑ましい目で見られていたけどステラはそれには気付かなかったらしい。...気付いた僕は少し恥ずかしかったけどね!
横須賀と一口に言っても何個か横須賀の駅はあって、一般に横須賀と言えば横須賀鎮守府前駅がそれにあたる。僕が前回降りたのもここで、そこから先には横須賀軍港前駅と横須賀公園前駅がある。今日はその中の横須賀公園前駅に用があるので、往復で10銭もの金を掛けて動くことになっていた。
『お次は~ぁ、終点、横須賀ぁ~公園前。終点、横須賀ぁ~公園前でぇございます。お出口は、右側でぇございます。本日も、横濱横須賀線ご利用、ありがとうございました~』
退役した海上国護自衛隊第二海軍区所属操舵士の天下り先として有名な横浜横須賀線の終点駅である横須賀公園前駅。横須賀三浦海岸線に繋がるターミナル駅としての側面も持ちながら、三浦海岸の先端にある三浦海岸公園と同じ様に記念艦を飾っていると言う意外な一面をも持っている場所だ。
ここにある記念艦と言うのは、今世において前世の三笠と似たような戦果を見せた伝説的な初めての国内生産戦艦にして後の単位にもなった戦艦、上野だ。あ、読み方はうえのじゃなくてこうずけね。昔の国の名前からとっています。
日露戦争当時では主砲として40口径12インチ連装砲を5基10門搭載、副砲として40口径15㎝単装速射砲を12門と76㎜速射砲18門などと、当時は戦艦にもふっつーについていた魚雷発射管は水中の物が18インチで単装のものを片舷8基、水上の物が18インチで連装のものを片舷10基と最大56本を射出可能な当時としては破格どころかあり得ない数を付けた、大戦期の重雷装艦にも本数だけでは勝る雷装戦艦としての一面もある。砲弾受けたらどうするつもりだったんだろうね。
因みに、入るだけなら中学生まで無料、それ以上の学生が3銭、大人が6銭で60歳以上の老人が5銭となっている。まぁ、今回はちょっと特別なものとなっていたから金額は変動するんだけど。
そう、前世でも有名だった海軍カレーを提供してくれるのだ。現在は大日本帝国に海軍は無く、またその軍属も(表向きだけは)いないとされているけど、上野だけは数少ない海軍としての軍籍のまま残り続けている戦艦だから職員は特別に海軍所属を名乗れるのだとか。僕も名乗ってみよっかなーなんて思ったり。...流石に海軍大将は名誉の階級だとしても重すぎるんで勘弁してください。
海軍カレーとは言うけど、実のところは普通のカレーのようなものなのだとか。ちょっとじゃがいもが小さいとか、牛肉が入っているとか...よくは分からないけど、楽しみなことには変わりない。浮足立ちそうになるのをステラより子供っぽいと思われたら終わりだと言う自己暗示で諫めて、僕たちは上野の中を見始めることにした。
入口にもなっている前方の方から上野に乗り込むと、開館が10時だったと言うのもあってかそこそこ人がいた。まぁそこそこいたと言っても100人いるかどうかくらいなんだけどね。最初に見えるのは当然主砲やらの艦体前方の甲板上構造物で、関東大震災前後の1924年にいったん退役した後、1935年の特務艦(実際の所は現実における特務艦としてではなく外交官用の召艦)としての再就役と共にほぼすべての武装を一新。本来あったはずの英国製40口径305㎜連装砲ではなく佐世保製45口径93式305㎜三連装砲を装備して、副砲の40口径15㎝単装速射砲は45口径14㎝連装両用砲に変更、76㎜速射砲も45口径76㎜速射砲に変更され、魚雷発射管はその全てが撤去された。装甲も機関も一新されてしまい、終戦時には横須賀鎮守府にほど近かったことから空襲でボッコボコにされた大破着底状態でほぼ撃沈されていたものだったようで。
そこから津波を被ったりしてそのまま朽ちていくと思われたのだけど、とある皇族の分家の侍従だかなんだかって人が私有している5万円もの超大金(大体今の10万円に当たる、要は前世の三十億円!)をつぎ込んで1950年に復興作業が始まって。1955年5月27日に日露戦争の戦勝記念から50年と言うことで、この上野が記念艦としてオープンされたのだとか。
そんな歴史を見ているけれど、現在の上野は内部機関や装甲の材質などを変更して今もなお一応軍役には耐えられるほどのレベルを持っていながら、前世のドレッドノートのように一気に戦艦の時代を変えたものとして当時と殆ど変わらない姿を今もなお晒し続けている。ただ、軍役に耐えられるようにと言うことで当然変わったものもあったらしい。増設された対空レーダーであったり、対潜ソナーであったり、60口径40㎜連装対空機関砲だったり。不思議だなー。
そんな事を考えているときに、ふと誰かの声が聞こえた気がして僕は機関室の扉を開けた。何かイオに言われていたような気もするけどよく覚えてないや。まぁでも、お説教は覚悟しておこうかなー。
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