第19話 響き渡る葬送

 今にもそのきばれようかという瞬間、一筋ひとすじの矢が私と稀瑠れあるとの間を通り抜けた。それは〈ドクロ蜘蛛ぐも〉の頭部に突き刺さり、ぼうっと白い光を放つ。そして、〈己を貫くための覇矢はや〉がそうであったように、その矢は〈ドクロ蜘蛛ぐも〉の体内へと溶け込んでいった。彼女はその巨体を硬直こうちょくさせ、困惑した様子で低くうなる。


[な、に……? からだ、が]


 次の瞬間、小さな人影が〈ドクロ蜘蛛〉の上に着地した。空色のそでが大きくひるがえる。それはまるで、青いつばさを持つ鳥が湖面こめんに降り立つかのようだった。

 

「ゆみま……!」

 

 る、と私が言い切る前に、弓丸は太刀たちを振るって〈ドクロ蜘蛛〉のきばを落とす。〈脚〉のうちの二本も振り向きざまにはらい、バスケットゴールに向かって跳んだ。リングにつかまってぶら下がり、くるりと一回転してボードの上に乗る。


 不意打ちにすぐれた遠距離攻撃と、太刀たちによる近接攻撃を時間差で組み合わせた見事な連撃。私が何か言うよりも早く、稀瑠が手足をバタつかせながら叫んだ。

 

「来るのが遅えんだよ、コスプレキッズ!」

「……この際忠告しておくが、あまり親しくない相手にそういう言い方はしない方がいい。それと、もう少し他人をうやまえ」


 弓丸はすずしい顔で受け流し、油断なく〈ドクロ蜘蛛〉を見すえながら答える。〈ドクロ蜘蛛〉は、弓丸の矢と太刀を受けて動きを止め、何も言葉を発することなく岩のように固まっていた。斬られた箇所かしょの断面からは、青みがかった体液が吹き出している。足元に広がっていた底なしの暗闇も消え、代わりに体育館のフロアが現れた。禍者として場を維持いじする力が弱まっているのだろうか。


 〈落とし矢〉が吸収されきると、弓丸のブレスレットにたまとなって戻っていった。〈ヤドリ蔦〉の時は状況が状況だったから最後までは見れなかったが、なるほどこうやって回収されていたらしい。ひとまず状況が落ち着いたことを確認すると、弓丸が私に向かって目を伏せた。

 

「藍果、すまない。遅くなった」

「……ううん。ありがとう、来てくれて」

 

 別に、責める気なんて全くない。理由があってのことだろうし、それに——弓丸はちゃんと私たちのことを助けてくれた。恐怖と緊張でこわばっていた体から、ふっと余分な力が取れて肩の辺りが楽になる。

 弓丸は〈ドクロ蜘蛛〉に視線を戻し、ここまでの事情を説明した。

 

「僕は、ここに落ちてくるとき天井のはりに上手く降りることができた。あの場所はかくみのになる支柱しちゅうがかなりあったから、あいだに入るタイミングをうかがっていたんだ。隠遁いんとんと糸の可視化のために、朧月夜おぼろづきよは使わせてもらった。大きい相手は戦いにくい……だから、より慎重になる必要があったんだ」

 

 そう言われて、私は天井をもう一度見た。確かに、梁や支柱がいくつもあって、そのうちの何本かは交差している。これなら隠れられる場所もありそうだ。

 

「だったらさぁ、もっと早く助けに来てくればよかったのに」


 しかし、 稀瑠れあるは不満そうに唇をとがらせてぶつくさと文句を言った。弓丸の説明に納得がいかないらしい。弓丸は弓丸で、 稀瑠れあるに視線を移すことなく淡々と答える。

 

「半分はわざとだ。途中までは人の姿をしていたし、それに……お前と律乃りつのの間には、けじめとしてわすべき会話があると思った。だから、終わるまで待っていたんだ」

「……なんかさ、弓丸くんてひょっとしてイジワル系?」

「なんとでも。それと、呼ぶなら芳帖ほうじょうで。……あぁ、それと藍果」

「なに?」

 

 もはやお約束となってしまったやり取りを終えて、弓丸は声のトーンを少し落とした。


「もう一つ、君に謝らなきゃいけないことがある。僕は、〈落とし矢〉を律乃に使った。他に方法が思いつかなかったんだ。だから、律乃は……」

「待って、弓丸」

 

 私は〈ドクロ蜘蛛ぐも〉を目で指し示した。何かがおかしい。弓丸の〈落とし矢〉を受けたはずなのに、この禍者かじゃはまだ人の姿に戻らない。〈落とし矢〉は全てのものを落とす矢だ。〈ドクロ蜘蛛〉としての力も、美命をうしなってしまった悲しみも、何人もの人を傷つけて喰らった罪の記憶も、綺麗きれいさっぱり消えてしまうはずなのに。


「なっ……!」


 岩のように固まっていた〈ドクロ蜘蛛〉がのそりと顔を起こした。ふくれた脚の先が強く壁に食い込み、細かな木の欠片かけらがこぼれ落ちる。牙と脚の断面からは、られたはずの部分が次々と再生していった。

 

「……っさせるか!」


 ボードの上に立っていた弓丸が、再び太刀を振りかぶって斬りかかる。〈ドクロ蜘蛛〉はその攻撃を避けるかと思いきや、迫り来る刀身に自ら腹部を打ちつけた。太刀が〈ドクロ蜘蛛〉の腹に深々と突き刺さるや否や、〈ドクロ蜘蛛〉は壁に掛けていた爪を全て離し、背面を下にして落下する。

 

「くっ……!」

「おいバカっ、離れろっ」

 

 稀瑠が焦ったように声をかける。ゲーム好きだからこそ、彼女はこの状況の悪さを瞬時に理解していたのかもしれない。太刀は〈ドクロ蜘蛛〉の腹に深々と突き刺さっていて、それゆえに今の弓丸の体を守る物は何もなかった。おそらく弓丸は、薙ぎ払うようにして刃を振り抜くつもりだったのだのだろう。それを分かっていて、〈ドクロ蜘蛛〉は自分の体を犠牲に弓丸の太刀を封じた。しかも落下していれば、太刀を引き抜くための足場を奪うことができる。その数秒間、ガラ空きになる薄い胴体は格好の的だ。

 〈脚〉が振り下ろされ、先端の鋭くとがった爪先が弓丸の体を狙った。


「うぐぅ……っ!」

「弓丸!」

 

 小さな体がフロアの端まで転がり、壁にぶつかって止まった。致命傷は免れたが、攻撃を避けきれずに弾き飛ばされてしまったらしい。太刀は抜けなかったようで、未だ〈ドクロ蜘蛛〉の腹に刺さったままだ。


——大きい相手は、戦いにくい。


 さっき弓丸から聞いた言葉の意味について、私は唇を噛み締めるほど理解した。弓丸は背中を丸め、血を吐きながら咳き込んでいる。いくら回復力が高いからといってすぐに治るわけではないし、痛みだって感じるのだ。

 〈ドクロ蜘蛛〉——律乃さんは、猫が瀕死のネズミをいたぶるときのように、ゆっくりと彼の近くへにじり寄っていった。

 自身が放った暴力に、苦しむさまを見下ろして。彼女は、冷たく弓丸を見つめながら、人間のように言葉を話す。


[いいことを教えてあげる。人としての私は、すでに死んでいるの。人を捨て、完全に〈ドクロ蜘蛛〉と一体化してしまえば、使える力はより強くなり、清めの矢ややいばを受けても克服できようになると聞いた……だから私は、全てをこの怪物に捧げることにしたの]

「す、すでに……死んで」


 声が震える。だったら、さっきまで曲がりなりにも人間の姿をして、私たちと話してた律乃さんは何だ。そんなの、まるで……幽霊と同じじゃないか。

 弓丸は、その幼い姿から想像もつかないような低い声音で、うなるように問いかける。


律乃りつの……それを、誰から聞いた」

[言うわけがないでしょ。あるじを売れば待つのは破滅だけだと、よくよく言い含められているわ。それだけじゃない、あの人は何の力もなかった私に、〈ドクロ蜘蛛〉を授けてくれた——唯一ゆいいつの、味方なんだから]

「律乃さん……」

 

 大事な我が子を失って、先生にも信じられないようなことを言われて。納得できる理由があるはずもなく、大切な人はもう戻らない。それなのに、当時の同級生たちはのうのうと今を生きている。復讐するにしたって、全てをやり遂げる前に捕まってしまうことは理解していたはずだ。憎くて、やるせなくて、悔しかったに違いない。


 そこに、おそらくは例のまがひめが付け込んだ。きっと律乃さんは、差し伸べられた手を迷うことなく取ったことだろう。そして、美命の死に関わった全員に復讐できる、絶好の機会が訪れたのだ。


[私だって、美命を殺した一人だもの。もう少し注意深くあの子のことを見ていれば、気づけたかもしれなかった。あの日の朝、美命の腕をつかんでいたら、あの子はきっと死なずに済んだ。ねぇ、折れた首を支えたとき、私がどんな気持ちだったか分かる?]

 

 体の奥底から絞り出すような声が、〈体育館〉の中に響く。拘束された私たちは、どんなに聞きたくなくても耳をふさぐことができない。


[あの子の首が、まだすわっていなかった頃のことを思い出していたわ]


 ぐ、と私は奥歯を強く噛み締めた。稀瑠は、もう何も言うことなく、押し黙ってフロアの端を見つめていた。


「律乃さん」


 小刻みに震える唇をそっと開いて、私は彼女に呼びかける。


「ごめんなさい、律乃さん。そんなことを言わせてしまってごめんなさい。美命を、助けられなくてごめんなさい」


 私は、何もしてあげられなかった。それどころか、美命を責める火に、そっと一本のまきべた。罪悪感があったかどうかは、罰を変えても罪を変えない。


[……謝ってもらって、後悔してもらって、それで美命が帰って来れたらいいのにね。残念だわ。本当に、残念]


 そう言って、律乃さんは弓丸に牙を近づける。滴った毒液が、なんとか身を起こそうとしていた弓丸の腕に垂れて、白く滑らかなその肌をいた。


「うあっ……ぐ……!」

[藍果ちゃんは、この子が大切みたいだから……先に、この子をゆっくり喰い殺してやるわ。この毒牙どくがを突き刺して、生きたまま中身をどろどろに溶かして、全てをすすりきったら骨一つ残さずに飲み込んであげる。一部始終を見届けられるだけ、私よりもマシだと思いなさい]

「待って、だめ……! その子はまだ、私なんかよりもずっと……!」


 確かに、弓丸は神様だ。回復力も運動能力も常人とは桁違いで、いつも矢面に立って戦ってくれる。冷静で、大人びていて、私はつい彼のことを頼ってしまう。八百年は生きているらしいし、これまでもたくさん修羅場をくぐってきたのだろう。


 けれど、私にとって、弓丸は守られるべき歳下の子どもだ。


 無理やり〈糸〉を振りほどこうとした瞬間、こめかみに刃物を差し込まれるような強い頭痛に襲われた。私は……私は、この感覚を知っている。

 これは、もう一人の自分に思考と体を乗っ取られる感覚だ。よりにもよってこんなときに……いや、〈こんなとき〉だからこそか。


あるじの名を答えよ」


 私は、律乃さんに向かってはっきりとそう言った。それは、禍者かじゃである彼女に対して、あるじへの裏切りを強制させる呪文。〈ヤドリづた〉のときは、全てが完全に崩壊する前に〈落とし矢〉を使ったことで、日向さんを助けることができた。けれど、完全に〈ドクロ蜘蛛〉と一体化し、人間としての命を失ってしまった彼女には〈落とし矢〉が効かない。同じ手は使えなかった。


 主君を売ったしもべに待つのは、破滅のみ。


 律乃さん——いや、〈ドクロ蜘蛛〉の牙が二本とも抜け落ちた。赤黒く盛り上がっていた八本の脚からも力が抜け、フロアの上に崩れ落ちる。それから、


[マガツヒメ]


 ——と。


 彼女がその名を口にした瞬間、


 渓谷けいこくを抜けて風が鳴くような、聞きなれない笛の音がこの空間に舞い降りた。

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