6-5 国親と影の戦い

 まさにその影が、槍の如く雪子の命を奪おうとしたときだ。


「!」


 どこからともなく、白虎が影に飛びつき、その軌道を逸らせた。雪子は縁側にへたり込んでいる。男が辺りを見回すと、庭にひとりの陰陽師が駆け込んできた。


 白い装束に、長い黒髪。凛とした顔立ち。その手には札が握られ、じっと男を見据えている。


「国親様!」


 雪子がその名を呼ぶ。雪子の前には白虎が守るように立ちふさがり、男に唸り声を上げていた。男は静かに国親と呼ばれた陰陽師を見つめ、それから小さく溜息を吐く。


「まったく。散々世話をしながら、遠回りしてまで連れて来たのに。あの腑抜けの鬼ときたら、本当に役に立ちませんね……」


 肩を竦める男に、国親は静かに口を開いた。


「君が、信寧寺の心光だね? かの鬼から、君を止めるように頼まれたよ」


「心光……! では、やはり定光なのですね!? ああ、国親様。定光に一体何が。呪いをかけられているのなら、どうか我が子をお助け下さい、国親様!」


 取り乱す雪子に、国親は極めて冷静に答えた。


「雪子様、今はひとまずお下がりください。今、貴方のお子は邪なる霊に憑りつかれておりまする」


「ああ、そんな……!」


 悲嘆の声を漏らす雪子と、静かに札を構える国親を見据えて、男は──心光は静かに笑った。


「邪なる霊。酷い言われようですねぇ。わたくしをこうしたのは、お前たち、都の醜い人鬼どもと陰陽師だろうに……」


 まぁ、ともかく。


 心光の背後で、静かに影が蠢く。無数の触手は大蛇、あるいは蜘蛛の足のように形を変えながら、国親へ向いた。国親のほうもまた、じりと心光を動きを注視している。一触即発の空気を、肌で感じるほどの緊張感。雪子が狼狽えながらも物陰に隠れるのが早いか。


 心光の影が一斉に国親を切り裂かんと伸びる。国親もまた素早く印を切り、そのことごとくを弾き逸らせた。その隙に人の形をした札を、心光に数枚投げつける。まるで意思を持つかのように宙を進む札へ、心光が疎ましそうに視線をやった。


 次の瞬間、白虎が心光めがけて飛び掛かろうとする。心光はそれを大きく仰け反りながら後ろへ躱し、まるで踊るようにくるりと周ると、素早く手を振り影を放った。地面に深々と刺さる無数の影を駆け、それを避ける白虎のそばから、札が飛びついてくる。それもまた影が刺し貫き、切り裂く。


 白虎が足を狙って飛びついてくると、心光は影に持ち上げられるように宙をくるりと舞った。そして億劫そうに手を振り下ろすと、白虎の胴体が黒い影に切り裂かれる。ぎゃん、と悲鳴を上げたそれからは、白い霧状のものが飛び散り、一瞬心光の視界を奪った。


「ちっ、罠かっ」


 ひとつ舌打ちして、心光が霧を払おうと腕ごと影を振るう。しかし時遅く、いつのまにか駆け寄っていた国親が心光の右腕に札を叩きつけた。ぐるり、と枷をするように巻き付いたそれが、心光の腕から動きを奪う。


 しかし、心光はそれを見て笑った。


「片腕を奪ったぐらいで、止められると思うなよ陰陽師!」


 心光の足が、だんっと地面を踏みつける。刹那、影が棘のように地面から突き上げ、国親を襲った。


「くっ」


 国親は咄嗟に印を切ったものの、全ては防ぎきれなかった。白い着物の一部を影が切り裂き、鮮血が飛び散る。痛みに怯んだ国親の隙を見逃さず、とどめを刺そうと心光が彼に意識を集中した。


 その時だ。


「心光ーーっ!」


 叫び声と共に、屋根の上からひとつの影が心光へと飛び掛かった。不意打ちに対応しきれず、意識が逸れる。それを待っていたかのように、国親の札が心光の影を刺し貫いた。


「ぐあっ、あ!」


 影を封じられてしまえば、心光は無力な人間である。上から飛び掛かってきたものに呆気なく地べたへ仰向けに押さえつけられた。逃げようと暴れたところ、その首を片手で握られ、息が詰まる。


 それは鬼の手だ。鋭い爪を持ち、人の首など易々と折れるだろう、異形の手。心光が見上げれば、そこには月光を背にした蘇芳の姿があった。

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