5-2 陰陽師

 村の長に頭を下げて、楽しそうに見送る子どもたちの声を背に、俺たちは都への旅を再開した。


 東に行く道はこれまでよりずっと広くなっている。道沿いには畑や民家が点々と並んでおり、次第に栄えている場所へ向かっているのだと感じた。


「この辺りになると、牛車や荷運び人が通るそうです。ここからあの村から北に進めばその先に大きな川があるようで、都へものや人が移動して行く道なのですよ」


「なるほど……」


 なら、ひと気のない山道よりは、心光も無茶をしにくいかもしれない。結局村では無害な僧でしかなかったのだから。


 そんなことを考えながら、俺たちは東へと歩みを進めていた。途中にはすれ違う者も多かったが、何事もなく過ごせていたと思う。


 太陽が中天にさしかかった頃、俺と心光は休憩のために木陰で休もうとしていた。道から少し外れたところに大きな木が立っており、そこには先客が数人休んでいるようだ。俺たちもその中に混ざろうとしたのだ。


 油断していた。俺の見た目は鬼から遠ざかっていたし、心光は幾人とすれ違っても襲いはしなかったから。


 だから、だ。


「——ッ!」


 木に近づいて、ほかの人々と言葉を交わせるほどの距離になった時。隣の心光からぞわりとするほどの殺気が立ったのを肌で感じ、俺は息を呑んだ。


 慌てて見れば、心光はじっと木のそばにいた者たちを凝視している。俺も彼らを見た時、その光景に驚いた。


 白い装束。彼らもまた、心光と俺を鋭い眼光で睨め付けている。その手には、白い札が握られていた。


 陰陽師——。


 どうしてなのか、理解する。彼らはあの時俺を祠に閉じ込めた奴らと同じ、陰陽師だと。


 あの時?


 疑問に思った瞬間、脳裏にその光景が浮かぶ。宵闇の中、倒れ伏した俺を憐れんだ目で見つめる陰陽師。奴が何事か唱えて、俺の身体はあの祠に押し込められた。その扉をゆっくり閉めながら、陰陽師は何事かを俺に言った。


『時がくれば、その穢れも癒されることでしょう』


 ——穢れ? 癒される? 何のことだ——。


 そんなことを考えてしまったから、俺は反応が遅れてしまった。


 陰陽師のひとりが、心光に向かって札を投げる。それは紙であるはずなのに、何か刃物のような鋭さで宙を切り裂いていく。


「心光!」


 俺は咄嗟に心光へ手を伸ばした。しかし、俺の手よりも早くその札を何かが弾き飛ばす。それはあの、黒い影だった。いつの間にやら心光の足元から伸びる影は獣のような巨大な姿をしており、獲物を見つけた蛇のようにその切っ先を揺らしていた。


 心光自身を見れば、彼の瞳は真っ赤に染まり、その表情はいつもの美しい妖艶さもどこへやら何か激情に駆られているようにも感じた。


「心光っ、だめだ! お前たちも、やめろっ!」


 俺は双方に声を張り上げたが、全くの無意味だった。次の瞬間には陰陽師たちは各々その得物と思わしき札などを手に取り、心光へと向かってきていた。


 そして、心光は。


「おまえたちか⁉︎ わたくしをこうしたのは!」


 と声を上げ、それから影が腕を伸ばすように陰陽師へと飛び掛かる。また殺される、と俺が顔をしかめた矢先、陰陽師たちは影に札や杖を叩きつけてその攻撃をしのいだ。


 陰陽師。彼らは式神や呪術を操り、自在に怪異を退けるのだという。彼らの持ち物は何か目に見えない力で守られているかのように、影を切り裂き防いだ。今まで心光が手にかけてきた者たちとは、明らかに違う。


 それを理解したのだろう。心光が飛んできた札を避けながら、ぐっと姿勢を落とす。俺は咄嗟に「心光、待てっ」と手を伸ばし、彼の腕を掴む。止めなくてはと思った。どちらがそうなるかはわからなかったが、とにかく、誰にも死んでほしくなどないのだ。


 殊更、心光に死んでほしくなどなかった。


「待てっ、心光、だめだ、一緒に逃げようっ、心光、っ、うわっ!」


 そう叫ぶ間にも、陰陽師が飛ばす札を影で弾きつつ、心光は俺を突き飛ばした。その力は彼の細腕からは想像もできないほど強く、俺はしたたか背中を地面に打ち付け、息が詰まった。


 ぐらぐらする頭のまま、どうにか心光を見る。彼は真っ赤な瞳を見開き、俺を見下ろして冷ややかに言った。


「鬼にもなりきれぬひと如きが、わたくしを止められるなどと思うな」


「……っ!」


 それは確かに心光の口から発せられたものだった。しかし、その奥から他の声が混じり合うように不快に響いている。意識が遠のいたせいか、と頭を振っていると、その間にも心光はまるで獣のように姿勢を落とし、陰陽師たちを睨みつける。


「あなたはそこで、じっとしていらっしゃいな」


 そう小さく囁くと、心光は地を蹴り、跳躍した。


「!?」


 その高さに、俺は目を疑った。ひと蹴りで木のてっぺんにも届くかというほどにも跳んだのだ。およそ人の飛び上がれる高さではない。あまりのことに陰陽師たちも心光を見上げてしまったらしい。その隙に影が地面を低く走り、誰かひとりが犠牲になる鈍い音を聞いた。


 俺がそちらに目をやると、陰陽師のうちふたりは地面の影にまた視線を戻し、ひとりは上空の心光に向かい小刀を投げるのが見えた。跳んでいるのなら避けられまいと思ったのだろう。だが、心光は空中で軽やかに、舞うように身を捻りそれをかわす。


 そして、飛び上がったと同じ勢いで、その陰陽師に向かって落ちた。


「がっ、あ」


 ひしゃげた声が一瞬だけ場に響く。俺のほうからはどうなっているのか見えにくかったが、恐らくまたひとり犠牲になったのだ。


 俺は、戦慄していた。


 陰陽師が相手でも。心光を止めることはできないのか。それなら、彼が望まぬ蛮行を犯すのを、一体誰が止められるというのか。


「く、くそっ、退け! 安倍様に連絡を飛ばせ!」


 ひとりがそう言って、今ひとりが札を東の空に投げる。しかし黒い影がそれを刺し貫いてしまった。


「どこへ行こうとなさるんです? みなさま……」


 心光がゆらり、と首を傾げて、彼らを見ていた。


「問いに答えて頂かなければ困りまする。どなたなのですか? わたくしを、こうしたのは……」


「……っ、な、なんの話だ、化け物めっ」


 その言葉に、心光の影がどくりと脈打つように動き、激しく蠢く。もはや家のごとき巨大な影は、彼らに向かって無数の腕で指をさすように動いた。


「化け物。良い響きでございます。陰陽師ともあろうかたが、わたくしを化け物と呼ぶなどと。それがわたくしをより昂らせると知っていて。ああ、ああ。まこと、陰陽師とはこの世の毒。許しがたい罪。仏に救われぬ憐れなひとたち……」


 心光はそう言って、高らかに笑うと、彼らににこりと笑んで言った。


「いいでしょう。わたくしにどう対処せねばならないかも知らぬ、下級の陰陽師が何かを知っているはずもございません。わたくしの問いに答えてくれるのならば、せめて浄土に送って差し上げましょう。その為にまず、仏の慈悲を身に受けられるよう、手足を頂いてよろしいでしょうか……?」


 心光の影が、その末端が、彼らに向かって蠢き始める。陰陽師たちは震えながら札を構えていた。


 そして心光は、叫んだ。


「そう、あの日わたくしたちに、そうしたように!」

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