第24話
僕は、大屋敷に備えられた診察室の隅で、文字通り小さくなっていた。腰板の壁に背中をくっつけ、両膝を抱えて丸まり自己嫌悪に耐える。
両膝に顔を埋めている僕には見えないけれど、僕の正面では診察台に寝かされた名取が医療処置を受けている。町の総合病院で働いている真識出身の外科医、達樹(たつき)さんが駆けつけてくれたからだ。
僕からのSOSに応えて、すぐに車を飛ばして来てくれた真利亜さん。名取の様子を見るなり、達樹さんに電話をした。
「達樹、今日休みやろ? 今すぐ大屋敷に来てぇな。指示書、書いてほしいねん」
『はあ? 俺さっき当直終わったばっかやで。用事あるんやったら、せめて二、三時間寝てからやなぁ――』
「やかましい! はよ来い!」
御国言葉である関西弁で交わされた二人のやり取りは、真利亜さんの一喝で強制終了された。申し訳ない事に、達樹さんは当直明けだったようだ。
僕らが大屋敷に到着して間もなく、眠そうに目をこすりながら現れた達樹さん。けれどちゃんと診察をして、指示書を書くだけでなく処置までしてくれている。
僕は何をやっていたんだろう。自分から名取の不調を指摘して、体調不良の原因も把握しておきながら、ダイエットを中止させずに、あまつさえ長時間自転車を漕がせて坂道まで登らせるなんて。
療術師の末裔が聞いて呆れる。こんなだから、いまだに独りで仕事を任せてもらえないんだ。
引き戸が開かれる音がして、シュルシュルと擦れた足音が診察室に入って来た。族長だ。
族長のすり足が、僕の左横で停止する。
「友達は連れて来るなと言ったはずじゃが」
もごもごとした静かな声が、自己嫌悪に陥っている僕に追い打ちをかけた。
「すみません」と膝に顔を埋めたまま謝る。
「族長。この子、帰り道で貧血起こしたんです。勘弁したってください」
真利亜さんの、僕を擁護する言葉が聞こえた。
いいんです。僕が悪いんです。叱られて当然なんです。
族長が、細いため息をつく。
「治療代は取れそうにないの」
「僕の給料から引いといて下さい」
やはり顔を上げられず、同じ姿勢で受け答えした。
族長はしばらく僕の横で黙って立っていたけど、やがて何も言わず、またシュルシュルと音を立てて僕から遠ざかる。
診察室の扉が閉まる音がするなり、真利亜さんが「あはは」と笑った。
「そんな落ち込まんでええて! 連れてきたらあかん言うても、絶対やないんやし。緊急事態やで。
顔を上げると、日本人形の如く見事な黒髪ストレートの美女が、丸椅子の上で器用に胡坐をかいて僕に微笑みかけていた。真利亜さんは、どんな時でも溌剌としている。小学校一年だった僕の心を笑顔一つで攫った人なだけのことはある。
けれど今日は、真利亜さんの笑顔を見ても、心は和まなかった。
そうじゃないんです真利亜さん。僕は、自分が情けなくて仕方ないんです。斎藤さんの検査が上手くいって、天狗になっていたのかもしれません。鼻っ柱を、手刀で木っ端みじんにされた気分です。
と、言いたかったけれど、何だか長々喋る気力もなくて
「僕、調子に乗ってました。恥ずかしいです」
とだけ呟いた。
真利亜さんが「ぅふぅん?」と犬が甘えているみたいな声を上げる。これは真利亜さん特有の疑問語だ。
「青少年が何悩んでんのか、うちはよう分らんけどなぁ。達樹なんか生まれた時からずっと調子に乗りっぱなしやで。花粉飛ばした後の筑紫んぼみたいななりしよってからに、こいつの方がよっぽど恥ずかしいと思わんか?」
「やあどうも! 食べれる草やで☆」
指をさされ、酷い例えで引き合いに出された達樹さんが、名取の腕に注射を打ちながら舌を出しておどける。
達樹さんはお調子者だけど、調子に乗っているわけじゃない。他人を大切にして、ちゃんと気遣いができる人だ。処置中にふざけるのはどうかと思うけど。
達樹さんはカラカラ笑いながら、眠っている名取にタオルケットを被せる。
「まあええやんか。悩めるんは若い証拠やで。今のうちにぎょーさん悩んだらええねん」
背の高い筑紫みたいなオジサンがそう言って、アルカイックに微笑んだ。達樹さんの後方の窓ガラス越しに輝く夕陽が、よりムードをかもしだしている。
しかし達樹さんが格好つけられたのは、束の間だった。
「天性のちゃらんぽらんが、何『良い事言うたった』みたいな顔しとんねん。わざと夕陽背負うのもやめんかい。暑苦しいてかなわんわ」
真利亜さんから厳しいツッコミが入り、達樹さんは「バレタか☆」とテヘペロ顔に戻ってしまう。年季が入った幼馴染である二人の会話はいつも、上方の夫婦漫才みたいだ。夫婦ではないんだけれど。
「治療はこれで終わったで、愁(しゅう)。腕と膝の擦り傷は洗っといたさかいな。静脈注射も打ったったし、もう大丈夫や。そのうち目ぇ覚めるやろ」
言いながら達樹さんは、めくり上げていたシャツの袖口を戻す。
「点滴はしたらんのん?」
真利亜さんが首を傾げた。
達樹さんは、「いらんいらん」と手を振る。
「水分取れてたらじゅうぶんや。どうせ今頃族長が、貧血に効くもんを何ぞ浅葱に作らせてるやろ。そんでええやん」
僕は目を瞬いた。
そうか。族長が。後でちゃんと、お礼言わなきゃな。
真利亜さんが椅子から降りて、「なんやぁこの子、イソギンチャクみたいな頭で可愛いなあ」と名取の寝顔を覗きこんでクスクス笑いはじめる。
その隣で、達樹さんは大欠伸をした。
「ほな俺ちょっと寝て来るさかい。何かあったら起こしてや」
首や肩を鳴らしながら、診察室を出ていく。
真利亜さんが「おおきにな~」と笑顔で手を振り、達樹さんを見送った。
僕は診察台の上でこんこんと眠る名取を見つめ、途方に暮れていた。
結局、連れて来ちゃったなあ。さて、これからどうしよう?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます