第22話

「ちくしょう、やっぱりだったか……」

 あたしは一年生の教室が並ぶ廊下を、ずるずる足を引きずるように歩いていた。目的地は、自分のクラスだ。それで、あたしがどこから帰ってきたっていうと、女子トイレだ。

 一時間目の途中で「あ」と気付いて、授業が終わってすぐにトイレに駆けこみ確認すると、月のものが来ていた。

 この下腹と腰回りの重苦しい感じ。昨日のアイスクリームドカ食いによる痛みじゃないなとは思っていたけどさ。

 二カ月ぶりの生理だわ。一回すっ飛ばした分、キツイみたい。憂鬱だなあ。あたし出血量多いし。しかも今日の四時間目は体育ときたもんだ。

 今朝、谷原クンと言い合った後、運の悪い事に電車で席が空いてなくて、立ちっぱなしだった。そこからは当然、徒歩だったし。谷原クンに不調を悟られずによく頑張ったよ、あたし。

 ああしかし、嫌んなっちゃうなあ。教室が遥か彼方にある。一組って、トイレから一番遠いんだよなあ。まるでエベレストの頂上を目指してる気分だわ。

 次の授業なんだっけ? 移動じゃないわよね? 移動だったら最悪。

 ふらふら廊下を歩いていると、男子用の夏服を着た菩薩が一体、正面から歩いて来た。谷原クンだ。谷原クンじゃなかったら、ホントに制服を来た菩薩だろうから、拝まなきゃ。

「名取さん、どうした? ゾンビみたいな歩き方して」

 あたしの前で立ち止まるなり、眉をひそめた谷原クン。見た目は菩薩っぽくても、たまに悪魔の如く容赦ない発言をすることが分ったよ。しかも絶対、悪意はないのよね、これ。

 罪深い人だなあ。

「ゾンビーノ名取と呼んでくれい」

 あたしは力なく笑って、谷原クンの悪魔の一言を冗談に変えてから、朝の所業を謝った。

「今朝は怒鳴ってごめんね。ちょっとイライラしてて。でも大丈夫。ダイエットはバッチリできるから」

 だから一緒に自転車を漕いでくだせえ。と谷原クンに頭を下げてお願いする。

「悪いけど僕の自転車は一人乗りなんで」

 誠に遺憾ながら、冷静に返された。

 一緒に漕いでくれって、そういう意味じゃないでしょうが。がっでむ。

 腹痛と苛々のダブルパンチに、クマンバチの羽音みたいな唸り声で耐えていると、谷原クンがあたしの顔を覗きこんできた。

 あたしの目に飛び込んできたのは、ほんの少し真ん中に寄せられた、なだらかな眉。それから、その下にある奥二重の、若干下がり気味になっている目尻。それらがあたしを心配しているように……見えなくもないけど多分あたしの勘違いなんだろうな。

 だって谷原クン、見た目と違ってちょっと冷たいところがあるし。正直あたしは谷原クンにとって邪魔な人でしかないんだし。お友達なんて上辺だけなんだから――ってダメだわ。ホルモンバランスが崩れているせいか、思考までマイナス方向に雪崩れてっちゃう。

 しっかりするんだ自分。ああでも、なんだか泣きそう。マジで泣きたくなってきた。

 チョチョ切れそうな涙をせき止める為には、やっぱりクマンバチの羽音そっくりに唸るしかない。

 あたしは、「あのさ」と話しかけて来る谷原クンに対し、「ううう、なんざんしょ」と歯を噛みしめながら応答した。

「無理しない方がいいよ。特に今日みたいな日は」

「うう、今日みたいな日、って、うう、どんな日?」

「どんな日って……名取さん、朝から明らかに調子悪いでしょうが」

「えっ」

 うそ。この人ったら、あたしの不調を見抜いてたの? 

 お邪魔虫としか思われてないんだろうと考えていただけに、実は気にかけてくれていたと知れて嬉しい。けど今は、谷原クンの前で生理による絶不調を認めるわけにはいかんのですよ。

 あたしは『痛い』で埋め尽くされているショボイ脳みそで必死に、生理痛に代わる腹痛理由を考えた。

「そんなことないよぉ。あたしは至極健康体でございますよぉ。健康過ぎてちょっと朝ご飯食べ過ぎただけだからぁ、全部出しちゃえば楽になるんだよぉ。だから放課後までには元気になってるからさぁ」

 ホントはお腹が痛くて朝ご飯なんて食べられなかったけど。

 即席で考えた嘘はバレバレだったみたいで、谷原クンは苦虫を噛みつぶしたような顔を作った。

「下して楽になるもんじゃないはずですが。……生理痛なら保健室で寝かせてもらえるんじゃないの?」

 谷原クン、あなたってどうしてそう鋭いかな。しかも、後半少し声量を落としてくれるという気遣いぶり。これまであたしを散々邪険にして、挙句の果てにゾンビ呼ばわりしてきた人と同一人物とは思えない。

 あれだね。谷原クンは、人付き合いに関しては実に大雑把だけど、体調に関する事となるとすごく繊細なんだね。これも新しい発見だわ。

 忘れないうちにメモしなきゃ。メモ帳メモ帳……確か、スカートのポケットに入れてあるはず。ああでも腹がいたい。もう無理。保健室行こう。ていうか、一回座ろう。

「大丈夫? 名取さん」

 廊下の真ん中で座りこんだあたしに、谷原クンが寄り添ってくれた。

 ああこの展開はもしや、おんぶとかお姫様だっこですかい? このあたしも、とうとうヒロインポジションに――

「ごめん、誰か車いす持ってきてー」

「担がんのかーい!」

 叫んだあたしは、廊下をひっぱたいた。

 ヒーロー役の間延びした救援要請と、合理的過ぎる選択が悲しかったのだ。

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