2日前

04(1)

「今日のリハーサルは体育館だった?」

「うん。1時から衣装着て通す。あとはいつもの空き教室で練習してると思う。マコも見に来る?」

「背景の進み次第かな。行けたら行きたい」


 ブレーキでスピードを緩めて、1年生の指定場所に自転車を止める。

 前回の学級委員の会議資料では、今日文化祭のパンフレットが配布されることになっていた。リハーサルを見に行く予定だったけれど、翼君がその時間離れられないなら、急に呼ばれる場合に備えて私は校舎の方にいた方がいいかもしれない。


「ハルくんおはよう」

「おはよー」


 自転車に鍵をかけていると明るい声が聞こえてそちらを向く。ここにいるということは同じ1年生。クラスが違う知らない女子だった。

 その子が向こうへ行った後、「友だち?」とハルに尋ねる。


「昨日購買で並んでたら後ろにいた子。名前は知らないけど」


 ハルはこの学校で結構有名人だ。昇降口へと向かう間にも同級生や先輩にも声をかけられる。

 入学してしばらくは教室までハルを見に来る人がいた。それで、ハルの学校生活を守ろうと中学校がばらばらだったはずのクラスメイトの結束が固まった。1年1組は別名「親衛隊」とも呼ばれている。


 私たちの前を男子3人が歩いていて、そのうちのひとり何かを落とした。本人は気付いてないようで、そのまま昇降口の階段を上る。

 かけ足で落とし物に近寄れば自転車の鍵だった。


「鍵落としましたよ」


 背中に声をかけると3人ともふりかえる。私を見て、露骨ろこつにがっかりした顔をした。


「ありがとう」


 その反応を疑問に思うものの、差し出された手に鍵を渡す。3人は前を向いて歩き出して、私はそのままハルがマイペースに歩いて来るのを待とうとした。


「ハルちゃんに拾ってほしかったのに」

「はずれー」

「拾ってもらっておいてクズ」


 聞こえてきた会話に顔がかっと熱くなる。感謝してほしくて拾ったわけじゃない。それでも、自分自身を無下にされたようで胸が詰まった。


「マコはたくさん得積んでそう」

「どうだろう」


 今追いついたハルには男子の声は聞こえなかったらしい。私も何事もなかったように笑い返して靴を履き替える。

 別に今にはじまったことじゃない。いちいち傷付いていたらやってられない。ハルと幼なじみでいられない。

 けれどやっぱり階段を上る足が重かった。






 お花畑の背景が完成して、みんなで拍手する。

 今教室にいるのは私と大道具係の半分の人たち。もう半分はリハーサルで当日の動きを確認しているはずだ。

 ペンキを片付けるのは十分人手が足りていて、手持ちぶさたになった私は教室のごみを出しに行くことにした。


 明日から文化祭がはじまる。1日目のステージ発表は主に授業や部活での発表で、クラスの企画や有志は2日目の一般公開日になる。今日は前日準備で、1日文化祭の準備にあてられる。どの教室でも追い込みで忙しそうにしている。

 校内放送も通常より多く流れる。今回は3年生の誰かが生徒会室に呼び出された。


「ゴミ捨ててからでもいいかなー」


 そんな声が階段の後ろから聞こえた。両手にごみ袋をさげた女子の先輩は、文化祭の会議で壇上にいた生徒会の役員だ。企画の計画表を手渡したぐらいの接点だけれど、「劇おもしろそう」と言ってもらったのを覚えている。


「あの、ついでに捨ててきましょうか?」

「いいの!? 助かる! ありがとう」


 先輩がぱっと顔を輝かせる。おせっかいかと躊躇したけれど、思い切って声をかけてよかったと思うぐらい喜んでくれた。

 先輩は早歩きで廊下へと曲がり、私は右手にひとつ、左手にふたつずつごみ袋を持って階段を下りる。


「真琴ちゃん」


 今度は自分が名前を呼ばれた。後ろをふり返っても誰もいない。上を見上げると階段の手すりから和樹君が顔をのぞかせていた。下りてきて私の横で立ち止まる。


「持つよ」

「見た目ほど重くないから大丈夫」

「じゃあ休憩につきあって」


 そこまで言ってもらって断る方が失礼な気がして、お願いしますとひとつ預ける。


「もうひとつ」


 にこっと開いた左手も差し出され、頭も下げながら「ありがとう」と渡した。

 私は誰かに何かを頼むのが苦手だ。誰かの手をわずらわせるぐらいなら自分でやってしまおうとする。心がそわそわするのは慣れないことをしたせいだ。


「和樹君には大荷物のところ見られてばかり」

「でも、今日も半分は自分のじゃないだろう」

「え?」

「真琴ちゃんが2年生の人と話してるの見かけた」


(見かけて、来てくれたんだ)


「前に私のことを褒めてくれたけれど、和樹君だって優しいよ」

「そうかな? 自分が言うより、言われる方が照れんね」


 言葉そのままにはにかむ表情を見て、心がふわりと浮き立つ。

 1階の校舎をつなぐ渡り廊下の近くにごみ捨て場がある。他のクラスもごみが出るようで、そこには袋の山ができていた。


「1組の劇は順調?」

「大道具はもう少し。衣装はほぼ完成で、今日のリハーサルは衣装着て通すって言ってた」


 ゴミ袋を置いてから腕時計を見る。もうリハーサルの持ち時間も終わる頃だろうか。体育館を使えるのは最初で最後なので、順調に時間を使えていたらいいけれど。


「4組のおばけやしきはどう?」

「こっちも衣装完成した。おばけに迫力がなくて、演劇部の演技指導がはじまってる。うちのクラスの文化部は色々と強い

「うちのクラスの演劇部の子も役者たちをびしびし鍛えてくれたみたい。和樹君も脅かす方?」

「通路の穴から手を出す役」


 和樹君は前に腕を伸ばし、グー、パーと手のひらを動かす。黒い壁から手が出るのを想像して、つい笑ってしまった。


「いきなり出てくるとまあまあ怖いから!」

「当日見に行くね」

「――マコ」


 声のした方、黒髪のボブと裾が広がった黄色のドレスが目に映る。

 まるで絵本から出てきたような美少女が、ダンボールをふたつ重ねて抱え、体育館の渡り廊下の方からコンクリートの部分を横切って歩いてくる。紺色のスリッパが衣装とミスマッチで浮いていた。


「友だち?」


 ぽかんとする私に和樹君が尋ねる。あんな美少女、友だちじゃなくても忘れられないと思う。

 知らない、と返そうとして口をつぐむ。学校で私をそう呼ぶのは寧々と――。


「劇を見られなかった衣装係に見せに行くところ。びっくりした?」

「びっくりした」


 ハルは首を傾げてさらりと黒髪を揺らす。ウィッグだと忘れそうになるほど、あまりにも似合っている頭をぼんやり見つめながら自分から覇気のない声が出る。衣装はもちろん、髪色と髪型が違うと違う人みたい。それから、今は会いたくなかったと思ってしまう。


「翼がマコのこと探してた」

「翼君も衣装係のところ?」

「ううん。見せに行くのは白雪姫だけ。来てってお願いされたから」

「あとで翼君探す」


 返事もそこそこに隣をちらりと見る。


「お話し中にごめんね」


 ハルがにこりと笑いかけると、和樹君は「全然」とはにかんだ。


(まただ)


「マコ見かけたから驚かせたかったんだ。じゃあね」


 よいしょ。ハルがダンボールを抱え直して横を通り過ぎようとしたとき、私の隣から声がかかった。


「荷物持とうか?」

「でも、被服室だよ?」


 被服室は3棟で教室からは遠ざかる。でも、和樹君なら。


「大丈夫」


 和樹君が自分から離れるのを、ハルの箱を持ってあげるのを、私はただ見ていた。

「真琴ちゃん、またね」去り際に声をかけてくれた和樹君に曖昧に笑い返す。

 遠くなるふたつの背中。さっきはダンボールに隠れてわからなかったけれど、ドレスは腰から上が青い生地だった。


 ガラスの棺の中は今みたいな感じかも。ぼんやりした頭で思う。周りはくっきり見えるのに、ここだけ息苦しくて、自分の声はきっと外には届かない。

 さっきまでの楽しい気持ちが嘘みたいだ。

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