03(2)

 布は余りを使うことができた。後は大道具係に任せて、次は職員室へ。

 カラーコピーの前には先客がいた。


「真琴ちゃんもポスターの印刷?」

「うん。4組のポスター怖いね!」


 教室の机の上に血みどろの手がのびる。文字もわざとかすれさせておどろおどろしい雰囲気だ。


「ポスターも写真の手も美術部の力作。1組は逆にファンシーだ。あれ、小人が小さい人じゃない」

「こっちは漫研の力作だよ」


 コピー機を代わって、その流れで生徒会に一緒に判子をもらいに行った。


「和樹君はどこに貼る?」

「昇降口と……体育館の渡り廊下にもポスター貼ってあったな」

「人通り多いからいいね。そこにも貼っておこう」

「近道しよう」


 校舎をつなぐ渡り廊下から、花壇が多い中庭を通り抜けて、体育館と校舎をつなぐ渡り廊下へ。和樹君の言うとおり、そこの掲示板には文化祭のポスターがたくさん貼ってあった。クラスの企画に紛れて部活の企画のポスターもあった。


「野球部のストラックアウトは豪華景品だって。和樹君なら高得点狙えそう?」

「もう全然ボール触ってないから自信ない」

「翼君、和樹君と野球したかったって残念そうだったね」

「入学して1週間ぐらい毎日説得された」


 視聴覚室で話した日と同じように、和樹君は苦笑いを浮かべる。


「ここの野球部って甲子園も行くぐらい強豪だろう。そんなところでも続けるほど俺はうまくなくて。でもそう言ったら翼は練習すればいいじゃんって、野球好きならやろうって言いそうだから。遊びたいからってことにした」


 持っていない人の葛藤を、持っている人にわかってもらうのは難しい。

 周りが、そして自分自身が比べたとき、相手のせいにして憎んで離れるのは簡単だ。それでも、その人のことが好きだったら、劣等感を自分の中でくすぶらせるしかなくて。

 話を聞きながら喉にかたまりがつかえるような感覚がする。自分も和樹君の気持ちに覚えがあった。


「かっこ悪い話しちゃった。翼には秘密で」

「自分でかっこ悪いと思うところを人に言うのって勇気ある思う」

「真琴ちゃんって優しいな」


 面と向かって言われ、だんだん顔が熱くなった。こんなふうに男の子に真正面からほめられるなんて初めてだった。それは私じゃなくて、ハルの役割だったから。


 掲示板に刺さっていた画鋲でポスターを貼っている間に雨の音が聞こえてきた。朝からいつ降り出してもおかしくない鉛空だったのが、耐えきれなくなったように降り出した。


「結構降ってきた」

「明日も天気悪いみたい」


 空を仰いでいると、視界の隅で栗色を見た気がした。校舎の渡り廊下の方を見ても、そこには誰もいなかった。


「どうかした?」


 動きを止めた私に和樹君が尋ねる。


「ううん。ラスト1枚貼りに行こう」


 昇降口にもポスターを貼って仕事を終えた。教室に戻るのに階段を上がる。外から光が入らなくて昼間なのに薄暗い。


「翼見ないけど、あいつ学級委員の仕事してる?」


 企画の詳細は文化祭当日まで秘密。『白雪姫』の劇をするのは知っていても、翼君がお妃さま役をすることまでは教えていない。


「翼君は別の役割があって。4組のもうひとりの学級委員も別の仕事してるの?」

「さっきのポスター書いた人。準備の方をあっちに任せて、俺は雑用」

「私も雑用係って感じ」

「学級委員って思った以上に大変だった」

「ね」


(でも、嫌なことばかりじゃない)


 がんばろうと声を掛け合い、階段を上りきったところで私は右に、和樹君は左へと別れた。


 教室の後ろのドアから入ると、大道具係が教室の半分を占めるような大きな布にペンキを塗っていた。この花畑の背景は、棺の中で眠る白雪姫が王子さまのキスで目覚めるラストシーンで使われる。

 寧々も布にのって、鉛筆の下書きの上を刷毛はけで塗っていた。


「きれい」

「この背景が一番ペンキの色使う」


 布の周りに沢山のペンキの缶が並んでいる。カラフルな背景になりそう。


「ハルくんに会った?」

「ううん」

「マコのこと探してた」


 寧々に伝言を残してないなら、急ぎのことではないんだろう。後でメッセージを送ればいいか。


「後で聞いてみる。私も塗るから色教えて」

「下書きに塗る色もえんぴつで薄く書いてる」

「わかった」


 私にも刷毛をもらい、スリッパを脱いで、床に膝をついて塗りはじめる。赤色のペンキをはみださないように、ムラができないようにと緊張したのは最初だけで、だんだんと楽しくなってくる。


「他に舞台発表するクラスは何するか、マコ知ってる?」

「えっと、ダンスが2クラスと、劇は1年5組の『走れメロス』と3年生の『ロミオとジュリエット』。明日パンフレット配られるよ」

「『ロミオとジュリエット』は歌も入るみたい」


 後ろにうたちゃんが立っていた。「背景いい感じ」と私と寧々の間にしゃがむ。

「主役の人たち演劇部だっけ?」と寧々が聞く。


「しかも演劇部の中でも主役はってる先輩たち。でも、ハルくんも負けてないと思うの!」


 丸眼鏡の奥の瞳を輝かせながら詩ちゃんが力説する。この学校は運動部も文化部も強く、演劇部も全国大会の常連らしい。詩ちゃんも演劇部で、今回白雪姫の台本を書いて、劇の指導もしてくれている。


「さっき劇見せてもらったけど、みんないい感じだった」

「でしょー。練習がはじまった頃はみんな固かったり照れたりしてたけど。翼君が本気で女王様してるから、みんなも今では役になりきってる」

「翼君さすが」


 そういえば、と翼君がハルをほめていたことを思い出した。


「翼君からハルは最初から演技上手だったって聞いた」

「ハル君は最初から姫だったよ。全然初心者に見えない。かわいくてふわふわしてるイメージだったけど、度胸もあるのかな。やっぱ演劇部入ってくれないかな。マネージャーさん説得してくれない?」

「マネージャーでも説得は難しいかなあ」

「残念。劇の練習戻るよ」

「がんばれー」

「いってらっしゃーい」


 詩ちゃんを見送って、絵の続きにとりかかる。


 昔は女子みたいといじめられたハルを男子から守ってきた。今はもうハルをいじめる人がいなくても、ハルに一目惚れした人、熱烈なファンからガードすることもあり、高校でもハルのマネージャー、保護者的立場になっている。飼い主という役割も最近追加された。


 ハルは詩ちゃんを通して演劇部の勧誘を受けていて、人前に立つのは苦手だからと断っている。今回白雪姫をうまく演じたらますます勧誘が強くなりそうだ。


 でも、ハルが舞台に立つ姿も見たい気がする。グラウンドでラジオ体操していても校舎の窓から注目される。スポットライトを浴びれば誰よりもその視線を集めるはずだ。




 放課後を告げるチャイムが鳴った。スマホを出してメッセージアプリを開く。文章を考えていると、まさにハルからメッセージが来た。


[放課後劇の練習してく]


 了解、と送ってから、夜の予定を聞く。今週は昼休みも放課後もハルは劇の練習で、話すのは朝の通学の時間ぐらいだった。予定がないとすぐに返事が来たので、今夜ハルの家に行く約束をした。

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