◇◇月城一颯◇◇ 夜走

「月城さん、相当酔っちゃいましたよね? 早いって! めっちゃ経済的な人だなー」

 酔ってる? わたしお酒強いもん。

「ぜーんぜん。あとねー育てられた叔父さん、わたしにすこーしは愛情があると思ってたのに、ぜんっぜんだったんだよ。夕凪ちゃんはご両親も心配してくれるし。お兄ちゃんも心配してる。夕凪ちゃんがいなくなったって電話もらったら、五秒で荷物持って部屋から飛び出してきたんだよ」

「……ガラス張りだから見えてるんじゃないですか。めちゃくちゃ見てるじゃないですか」

「違う。見てない」

「いや」

「でもほんとすごいんだから! 車の運転も焦りまくってて。お兄さんにあんなに思われてる夕凪ちゃんが羨ましい。……寒いね」

 わたしは砂浜に転がっている日本酒のワンカップを拾って開け、一気にあおる。これはぽかぽかする。


「……月城さん、叔父さんに育てられた、って、その……ご両親は?」

「亡くなったの。中二の時、事故で」

「そ……それで叔父さんって人に育てられたの? その人に愛情かけてもらえなかったってこと?」

「少しは愛情があると思ってたのに、ぜんぜんだったんだよね。いろんな事実を知ってから考えたんだけど、〝記憶喪失のわたしとうつ病の妹〟なんてドン引きしそうな姉妹を引き取ったのはーー」

「き! 記憶喪失にうつ病―?」

「わたしのぉー中学での成績がめちゃよかったからじゃないのかなー」

「そうなんだ。中学からそんなに勉強してたの、偉いですよね」

「だってK大に入りたかったから……」

「K大って! お兄の大学……。お兄は中学からもう、その大学に入るって決まってましたよ?」

「違う」


「いや……。月城さん壮絶すぎ。え、ちょっと待って! 中学の成績がよかった、って覚えてるのは、何? 記憶喪失は治ったの?」

「そう。最近。夕凪ちゃんのお兄さんのおかげで」

「そうなんだ。よかった、それだけでも。でもさっき婚約者が決まってるとか言ってませんでした?」

「それはね、その叔父さんの息子なの。優しくてイケメンですごくすごくいい人なんだけど、経営者に向いてないらしくてさ。まあ向いてないよね。村上くんと真逆だもん」

「優しくてイケメンですごくいい人が村上くんと真逆……どうとればいいの」

 そこで夕凪ちゃんはなぜか大笑いした。

「違うよ。その部分は一緒。真逆なのは……統率力とか、そういう系統」

「うわ! 月城さん、素直―! それ、結構な褒め言葉ですよ? 気づいてるかなーこの人」

「でー! 息子はー、次の経営者だけどー、そのサポート役に白羽の矢が立ったんじゃないかなー、わたしが」

「やめた方がいいですよ、そんな人と結婚するの。親が白羽の矢を立てるなんて、相当モテない男でしょ? 自力で結婚できないってことでしょ? お兄の方がいいって! お兄が好きなんですよね?」

「違う」

「酔いすぎ、月城さん」


「面倒見てた時期が長いせいか、弟みたいに思えちゃってさ。努力しても努力してもぜんっぜん恋愛感情が湧かないの。だけど恩もあるし、何より本人に情がある。結婚はしないといけなーー」

「いくら恩があったっておかしいですって、そんなの。恋愛は努力してするものじゃ、なああーい!」

「二葉を……妹を救わないと。わたしよりずっと辛い思いしてるんだよ。入退院の繰り返しで、その費用も払ってもらってるし。受けさせたい治療プログラムもあるんだ」


「だからって、月城さん……」

「二葉のうつ病、わたしのせいなの。家族旅行で、なんかの理由でパパにサービスエリアに入ってもらって、二葉に後部座席の左右を交代してもらったの。そのせいで二葉は、事故した時に、助手席のお母さんの死の瞬間を目(ま)の当たりにしちゃったんだよね。わたしが無理に代わってって頼まなかったら、うつ病になんかならなかったよ。その記憶はずっとあったの」

「重い……。月城さん、重すぎる」

 頭が朦朧としてきた。体がぐらぐら揺れている。どうしてだろう。わたし、お酒強いはずなのに。


「月城さんっ。月城さんってば。あー寝ちゃったよ、この人」

 側頭部に誰かの肩がある。手で誘導されて、優しくもたれ掛けさせてくれている。

 え……もしかして夕凪ちゃん? わたしが慰めるはずなのに。村上くんは夕凪ちゃんをわたしに託して、車で待っていてくれているのに。なんでこんなに眠気が……。

 すぐ隣でガサゴソと動いている。

「あー、お兄? 月城さん寝ちゃったよ。迎えにきて」

「え……寝てないよ。……でね、夕凪ちゃんには家族がいる……。仕事中でも五秒で飛び出していくお兄ちゃんがいる。……羨ましい」

「そうね。ここまで壮絶な人が実際に存在するのを見ちゃうと、自分の悩みがなんだった、って感じにはなります……よね」

「少しは……役……よかっ……」

「あたし、月城って名前、どうにも引っかかってたんですよ。最初にお兄の部屋で聞いた時から」

「…………」

「あれからめっちゃ考えて考えて、それで、思い出したんですよね」


 自分で見切りをつけて別れた後に、他のことをそこまで考えられるなら、夕凪ちゃんは大丈夫だ。

「お兄が確か中二? 中一? くらいの時さ、ラグビーで骨折して手術したことあるんですよ。その時、麻酔が切れて目を覚ます直前くらいに〝つきしろ〟って呟いた。あたし、結構ブラコンなんだよね。はっきり覚えてるもん」

 夕凪ちゃんの言葉が、頭の中でちゃんとした意味を形成しない。意味がよくわからない。

 隣でわたしを支えていた、たぶん夕凪ちゃんが大きく動いた。

「あっ、お兄、こっちこっち! どうしよう。月城さん、寝ちゃったよ」

「何度目だよ、このパターン」

 わたしは揺られながら、潮の匂いと波の音が響く花畑の中を移動していった。



「うー、頭、痛っ……今何時? やばい。会社……」

 ベッドの下のコンセントから伸びる充電器に繋いだスマホを確認する。よかった。まだ充分会社に間に合う時間だ。

 あれっ、昨日って……。

 わたしは普通に自分のベッドで寝ていた。

 ラインに、見たことのないマークのアカウントから連絡が入っている。

「え、何?」

『夕凪と二人で月城の部屋まで運んだんだよ。鍵は元通り、鞄に入れといたから。また日本酒飲んだんだってな。もう月城は日本酒飲むなよ。危なすぎ。でも昨日はありがとうな』

「村上くんのアカウントだ……」

『やっほー! 夕凪だよ! もう月城さんのおかげですっかり元気になったよ。ありがとう』


 どうやってロックのかかっているわたしのスマホを解錠したんだろう。

 ……何度か叩き起こされて、顔面間近にスマホを突きつけられたのを覚えている。顔認証だ。

「恥ずかしすぎるじゃなーい!」

 わたしは両手を振りかざして布団を叩きながら、顔面から枕に突っ込んだ。

 ベッドに寝かせて、ついでにスマホまでちゃんと充電してくれている。

 夕凪ちゃんがわたしを運べるわけはないから、わたしを背負ったのは村上くんだ。もう顔から火が出そうだ。

 恐る恐る部屋の中を見渡してみて、どうにか少しだけ動悸がおさまる。ピカピカに整理整頓されているわけでもないけど、人様に見られてそこまで引かれるような惨状ではない。

 新しく越してきたここは、かなり広いタイプのワンルームで、わたしと二葉、ベッドが二つと小さなローテーブルがある。ものもなくてそこまで散らかりようもないけど。


 前の部屋よりずいぶん広くなったのに、借り上げ社宅は安い。

 今は入院中の二葉のベッドじゃなく、ちゃんとわたしのベッドに寝かせられていた。わたしのベッドの上部のちょっとした棚には、村上くんが実家から持ち帰ってくれたらしい家族写真が飾られている。後日そっと渡された写真は、あの時の割れた写真たてじゃなく、新しい白塗りの枠に入っていた。

 普段のエネルギッシュなイメージからは想像しにくいけど、昔と変わらずに優しい。だからあんなに部下に慕われるのだ。

「再会したくなかった」

 わたしは朝からちょっと泣いた。

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