第35話
自宅へ帰る前に、慎二は繁華街やショッピングモール・以前歩いたデートコースなどを見て回った。アンドロイドではないほうの雪子を探すためである。
しかし、どこへ行っても彼女の姿どころか気配すらなかった。しばらくあちこちをさ迷っていると、夕暮れ時が薄闇に変わり始めてきた。夜からの捜索を考え、いったん帰宅することにする。
「ただいま、って誰もいないか」
慎二の両親は、母親である弘江の実家へと行って留守だった。
「なにを食べようか」
あまり食欲がない慎二であったが、夜の街で雪子を探さなければならないので、カップ麺と菓子パンでも食べようと思っていた。
「豆だな」
「ああ、豆パンか」
居間に入ってキッチンへ行こうとした慎二へ声がかかった。反射的に応対してから、ギョッとした。
「だ、誰だ」
その家で言葉を発することができる生命体は、慎二のほかにはオウムのピーちゃんしかいない。必然的に慎二の目線は、その鳥の住みかとなっているケージへと向かう。
「うわあー」
それを見た時、驚きのあまり尻もちをつくようにソファーに腰かけた
「だ、だれだ」
鳥かごの中に人がいた。
「てか、はだかー」
しかも、全裸であった。
頭の左右にわずかばかりの毛髪を残した小柄な老人が、ケージの中に入っていた。オウムのケージは窮屈ながら成人男性でも入れてしまうくらい大きさがあるので、小柄な老人であれば余裕がある。
「な、なんでじいさんが鳥かごの中にいるんだよ。ピーちゃんはどこいった」
「わしがピーちゃんじゃ、ボケが」
「ピーちゃん? えっ」
裸の年寄りが腰に手を当てて立っていた。できることなら直視したくない閲覧注意な光景であるので、慎二はたまたまソファーに置いてあったタオルを投げ入れた。
「お、すまんのう」
じいさんも隠すものが欲しかったのか、さっそく腰に巻いた。湯上りのような格好だが、全裸よりはだいぶマシになる。そのスタイルが気に入ったのか上機嫌で腰をふり、ふんふんと鼻で歌いながらエサ入れにあったヒマワリの種をつまんでいた。
「あ、あのう、おじいさんは、ひょっとしてピーちゃんなのか。それとも泥棒か空き巣的な犯罪者なのか」
ピーちゃんが年寄りに変身した、または家宅侵入した窃盗犯がケージの中に自ら入った、あるいは誰かに捕まって監禁された、とも考えられた。
「お主はアホか。世の中に鳥かごでくつろぐ盗人がおるか」
しかも裸である。そんな好色家が自分の家に現れるとも思えず、慎二はある可能性を探る。
「ここに女子高生が来なかったか。すごく地味な顔で、ときどき顔を変えたりするんだ」
生き物を変身させる能力があるのは、変身サイキックの雄別夕子しかいない。彼女がやってきて、ピーちゃんをじいさんに変えたのだと考えた。
「そんな面倒くせえ女は知らんなあ」
半裸のじいさんが、鼻をほじりながらケージから出てきた。この家には誰も侵入していないと言う。
「だったら、どうやって、その姿になったんだよ」
「なんだか知らねえけど、気づいたらこの体になってたぞ。だけんどよう、腰は痛えし、脇は臭えし、ションベンは近いしでロクなことがねえ。どうせ人間になるんだったら、前のちっさい子共のほうがよかったなあ」
しみじみと語る老人は、ケージの前に腰を下ろして胡坐をかいた。
とりあえず、慎二が母親のスエット上下をあてがった。サイズはやや大きかったが、はしたない姿でいるよりはだいぶマシになった。服が着られてうれしいのか、小さな禿げ頭が幼児のように喜んでいた。
「変身したんだ。間違いない」
ピーちゃんがじいさんになったことを、慎二はすんなりと受け入れた。見知らぬ誰かが家に入って鳥のケージに収まるとは考えられないし、幼女になったことを言っていた。不可思議な出来事が頻発している。彼にとっての超常現象は、もはや日常なのだ。
「おい、腹へったぞ。なんか食わせてくれや。稗とか粟でええからな、どんぶりでくれ」
じいさんがヒエとアワを所望した。質素なメニューだが、新条家に小鳥用のエサはなかった。ヒマワリの種を大袋ごと与えると、皺だらけの手をつっ込んでパリパリと食べ始めた。
「もう、次から次へとなんなんだよ。たぶん雄別さんの変身サイキックだと思うけど、うう~ん、違うのかな。やっぱり菖蒲ヶ原さんが・・・」
ピーちゃんをじいさんへ変身させた原因を雄別夕子の変身サイキックであるとしたいが、そうではない可能性も十分にあり得る。雪子がアンドロイドになり、さらにもう一人の雪子がどこかに存在していることと関連があるのか、慎二は悩んでいた。
「おい、主よ。美人の彼女はどうした。台の上でぶちゅーした、あの勝気な女じゃ。いい匂いがしてなあ、また頬ずりしてもらいてえなあ」
雪子が頬ずりするのは天使な幼女であって、頭が禿げたじじいではない、と慎二は思っていたが口には出さなかった。
じいさんがキッチンへ行き、勝手に冷蔵庫を開けて日本酒を飲み始めた。
「お、これはいいなあ。キンタマがあったかくなってきたぞ。ぐへへ」
椅子にだらしなく腰かけて、赤ら顔で酒瓶をラッパ飲みしていた。慎二がやめさせようとするが、「なんだこのヤロウ」と、安酒場の酔っ払いじじいそのもので手が付けられなかった。
「ちっ、しかたないな」
一人で酔っぱらう分には実害がないので、そのまま放っておくことにした。慎二は夕食のカップ麺をすすりながら、あれこれと考えた。
「さっぱりわからん」
だが、不思議な出来事がどういう具合で関連しているのか、いかなる方程式を解けばいいのか、混乱するばかりだ。強い不安に苛まれてしまい、自分では意識していないのにもかかわらずケイタイに触れていた。
「誰かと思えば、慎二先輩ですか。僕のいやらしい声を聴きたいのなら、♯を押した後に三万円を振り込んでください。口座名義はオレオレです」
「朧、冗談が言いたくて電話してるんじゃないぞ。大変なことが起こったんだ。まじめにきいてくれないか」
「いま僕は、マジメに聞きたい心境じゃないんです。もう一人の菖蒲ヶ原さんを探して、いま帰ってきたところなんです。端的にいって、お疲れなのですよ」
慎二の切迫した声とは対照的に、朧の声は脱力と倦怠を感じさせた。
「それは悪かったな。そして聞いて驚け、ずっこけろ。すっげーことになったぞ」
オウムのピーちゃんが小汚いじいさんになったことを、唾を飛ばして説明した。
「それはまた、難儀なことになりましたね。そのおじいさんはどうしているんですか。パタパタやってますか」
「ヒエとアワがないから、台所でヒマワリの種を食ってる。ついでに酒飲んで酔っぱらっちゃってグダまいてるよ」
「さすがの菖蒲ヶ原さんでも、それを見たら私の天使ちゃんとは言わないでしょうね」
「じいさんは頬ずりしたいらしいけど、たぶん、ぶっ飛ばされるだろうな」
「ドSの本気は怖そうです」
慎二は一瞬、酔っぱらったじいさんが雪子に蹴飛ばされている光景を想像してしまい、苦笑いだ。
「それよりも、どうしてこうなってしまったのかだ。前にもやられたから雄別夕子さんの仕業だと考えるのが妥当なんだが、なんだかそう思えないんだよなあ」
慎二の直感が、原因は自分と極めて親しい者であると告げている。
「長期休み中の雄別夕子さんではないでしょう。菖蒲ヶ原さんが関与しているのだと考えたほうが自然ですね」
「やっぱりそう思うか」
「無意識的に、だと思いますけど」
自分の考えが間違っていないことを確認できた慎二だが、楽観できる状況ではないことを知っている。
「朧、どうしたらいいんだ」
「謎現象が広がりすぎて、僕の頭もついていけないです」
「菖蒲ヶ原さんがキーマンだよな」
「超常現象は慎二先輩の人間関係に集中しているみたいだから、この場合も菖蒲ヶ原さんの嫉妬じゃないかと」
だがその誤解は解消されたはずだと、慎二は反論する。
「前にも言いましたけど、頭では理解していても、心の奥底というか、無意識のレベルでは消化しきれていないんです。むしろ、どんよりとわだかまって、へんに熟成しちゃってるとか。菖蒲ヶ原さんって、ああ見えても、本心では嫉妬深くて執念深くて、目立つことに喜びを見出す人なんじゃないかな」
大声で否定しようとしたが、慎二はその言葉をかみ砕き、ゴクリとのみ込んだ。学校で雪子がしていた行動は、朧の言っていることを裏付けている。自分がそうであってほしい菖蒲ヶ原雪子と、本当の彼女には相当の乖離があるかもしれないと胃が痛くなっていた。
「今日はもう遅いから、明日学校に行ってから話すよ。突然電話して悪かったな」
「そうしてもらえるとありがたいです」
じいさんになったピーちゃんを一目見てもらいたかったが、それは後日にということになった。最後に、どうしても知恵を借りたいことがあった。
「なあ、朧。このじいさんを、何て呼べばいいんだろうな」
「じいさんなんだから、ピーちゃんジジイでいいんじゃないですか」
素っ気ない返答を受けとった慎二は、礼を言って通話を切った。
一升瓶を飲み干したピーちゃんジジイは、さんざんに酔っぱらって寝てしまう。ソファーや椅子ではなくて、ちゃんとケージへ戻って、鳥みたいな姿勢で目をつむっっていた。
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