第26話

 ここ最近、慎二には悩みの種となることがあった。

「にょ~ん。慎二、オッハヨー」

 それは転校生、雄別朝子の存在である。

「ねえねえ、知ってた。たんぽぽの根っこって食べられるんだって、にょ~ん。こんどさあ、鍋パーティーしようにょ~ん。たんぽぽの根っこをたっくさん入れて食べるの。きっとおいしいよう」

 なにかあるたびに、いや、なにもなくても彼女がやたらと絡んでくるのだ。

「どうして俺がタンポポ鍋を食べなきゃならないんだ。世の中には、それほど値段が高くなくても美味しい具材がいっぱいあるというのに」

 友達が多くない慎二は、例えば授業の合間の休み時間は一人で席についていることが多かった。赤川がやって来ることもあるが、基本的に彼は女子に囲まれているので出場機会は稀であり、慎二のほうから声をかけなければならない。最近は朝子が四六時中くっ付いているので、ヒマなしの状態であった。

「へえ、タンポポって食べられるんだね」

「そう、にょ~ん。葉っぱも食べられるんだよ。おいしいんだよ」

「ねえねえ、今度みんなで鍋パーティーしましょうよ。タンポポ鍋パーチー」

 慎二は人を引き付ける魅力や能力に欠けるきらいがあるが、どういうわけか朝子は人気があった。彼女自身は意識しなくても、人のほうから寄ってくるのである。

「じゃあ、来週にでもやろうか」

「校庭にいくらでも生えているから、採り放題だね」

「にょ~ん」

 女子たちは、本気でタンポポ鍋パーティーを企画しているようだ。慎二は呆れながらも、聞き耳だけは立てていた。

「それで、場所はどこにする?」

「わたしの家はダメだわ。妹と相部屋だし」

「マイ・ホームもムリ。お父さんが在宅で仕事してるから、騒いだら怒られそう」

「ねえ、あさっちの家は」

 女子たちの家は、それぞれの事情があってタンポポ鍋パーティーには適さないと、それぞれが及び腰となる。その裏には、騒ぐなら他人の家だとの魂胆があった。

「それなら慎二の家がいいのだ、にょ~ん」

 鍋パーティーは慎二の家で、と朝子が得意の猫ポーズで提案した。

「いや、それはない。てか、イヤ」

「男子の部屋は、ちょっとねえ。赤川君ならいいけど」

「さらに新条とかは、じっさいないわ~。覗かれたうえにキスされそう」

「きっと、朝礼台があるんだよ」

 キャハハハと笑いが起こる。すぐ横で聴かされている慎二は、バツが悪いを通りこして恥ずかしかった。女子たちはわざと大声で話していた。雪子がそばにいたなら絶対にからかったりはしないが、クラスカーストが下位である男子は存分にナメられていた。

 やるせない表情の慎二に朝子がなにか言おうとした時、授業開始のチャイムが鳴った。集まっていた女子たちが自席に戻ると同時に、教科担任が入ってきて全員が起立する。タイミングを逸してしまい、にょ~んな言葉がかけられることはなかった。

 退屈な数学の授業が終わってすぐに、慎二がトイレへ行った。用を足し終えて自分の席に戻ってくると、さっき朝子とタンポポの話題で盛り上がっていた女子たちがやってきて、彼の席を取り囲むように位置した。朝子はトイレにでも行ったのか、教室にその姿はなかった。

「新条、あんたさあ」

 いかにも勝気そうな顔立ちの女子が口火を切った。

「なんだよ」

 腕を組んで自分を見下ろしているいくつかの顔に威圧されながら、それでも卑屈にならないように気持ちだけは気張っていた。

「菖蒲ヶ原さんと付き合っているくせして、吹奏楽の助っ人で留守の隙に、あさっちに手を出そうとするなんて最低だと思わないの」

「そうそう。台の上で無理矢理奪った口で、あさっちをくどくなよ」

「新条って、二股かけるキャラじゃないんですけど。赤川君だったらわかるけど」

 一人が言い出すと、我も我もというように仲間たちが追従した。口数の多さでは定評がある女子たちだったので、その一角が騒がしくなる。

「ちょっと待てよ。いきなり、なんのことだ」

「とぼけるな、盗撮魔。あんた、あさっちにちょっかい出してるでしょ」

「はあ?そんなわけないだろう。それと盗撮なんてしたことないからな」

「あさっちは転校してきたばっかで、なんにもわからないのに手を出すって、サイテイじゃない」

「だから、手なんか出してねえよ」

「だったら、なんであさっちがあんたと話してるのさ。おかしいでしょ」

「おかしくねえよ。俺が女子と話しちゃダメなのか」

「ほら、話してたの認めた。やっぱり口説いてたんだ」

「話しただけだぞ。口説いたとか言うなよ」

 複数人で責めたてられると、たとえ身に覚えのないことでもムキになって反論してしまう。彼女たちの言い方は根拠がないくせに断定的であり、感情的に一方通行だ。反論する慎二の口調も野暮ったくなっていた。双方ともに声が大きくなり、なにごとが始まったのかとクラス中が注目していた。

「おいおい、どうした。あんまりいい空気じゃないなあ」

 そこに、イケメンスマイルを見せながら赤川が現れた。彼は顔がよくスポーツマンであり、女子にはめっぽうやさしくて、さらに生徒会長であり、つまり人気者である。女子たちにとっては仲のよい男子であり、慎二にとっては中学時代からの友人だ。

「新条は基本的に無害でいい奴なんだぞ。イジめんなよ」

 マングースの群れに囲まれた無毒蛇を救おうと、あるいは面白いことが起きそうだとの野次馬根性をもって入ってきた。 

「新条がさ、付き合っている彼女がいるくせに、ちがう女に手を出してんのよ」

「あさっちを口説いてんの。信じられないでしょ」

「え、そうなのか」

 驚いたような顔をする赤川だが、内心では笑っていた。朝子がやたらと絡んでくることを、慎二から聞いて知っていたからだ。

「俺は菖蒲ヶ原さん一筋だし、雄別さんとは席が隣同士なだけだ。話しかけてくるのは雄別さんからだし、俺からどうこうしたことなんてないぞ」

 慎二の言い分が事実であることを知っているので、女子たちから反論は出なかった。

「まあ、みんな友だちだってことだろう。俺は慎二の友だちだし、雄別さんが慎二の友だちなら、俺と雄別さんも友だちだということじゃないかな。なにが言いたいかっていうと、二組のみんなが友だちなんだ」

 イケメン野郎にありがちな、とにかく険悪になったその場の雰囲気を穏便に済まそうとする、みんな仲良し作戦である。

「まあ、赤川君がそういうなら」

 そう言われて、赤川が笑顔で頷く。

「赤川っちとは友だち以上になってもいいけど。そこの男はナシで。もう、ぜったいナシ」

「それは同意だわ」

 全否定された慎二は不機嫌だ。「うるせえ」

「オレの友だちは菖蒲ヶ原さん一筋らしいから、雄別さんとはなんでもないよ」

 慎二を取り囲んでいた女子たちは、なんとなくバツが悪くなって静かにしていた。

「にょ~ん。あれえ、なんかあったの」

 そこへ朝子が戻ってきた。慎二周辺の重力場に微妙な揺らぎがあるのを感じとり、?を頭上に浮かべていた。

「ねえ、あさっち。新条には彼女がいるんだよ」

 女子の中には、いつもいらぬことを告げる輩がいる。それは、したり顔で報告されるのが通例だ。

「うん、知ってるよ。菖蒲ヶ原雪子さんだ、にょ~ん。このまえ会ったよ。一緒にお昼を食べたんだ」

「え、そうなの」

「菖蒲ヶ原さんと知り合いだったんだあ」

「すっごく意外」

 いかなる動揺もしていない朝子の態度とは逆に、女子たちは少しばかりうろたえてしまう。

「あさっち、あのね、彼女がいる男に、あんまり近づかないほうがいいよ」

「そうそう。ややこしいことになるかもしれないし」

「彼女が菖蒲ヶ原さんだし」

 その彼女がいる男を前にして、女子たちが言い放った。最近の女子はほんとに礼儀がないと、慎二は呆れかえっていた。赤川の肩が小刻みに震えている。

「あたしは、そういうことは気にしないにょ~ん。楽しくお話しできれば、それでいいの。にゃにゃ~ん」

 猫属性なツインテールは、屈託のない笑顔でそう答えた。

「ひょっとして、新条が好きなの」

 いきなり核心を突いてきたのは、いらぬことをいうのが大好きな女子だ。たいして考えもせず、ほぼ衝動で言ってしまう。

「うん、大好きだよ」


 えーーーーーー。


 と驚嘆と感嘆と非難が混ざり合った声が、一部は悲鳴となって、教室の窓側を揺らした。

「ちょっとあさっち、こっちに来て」

 女子たちは朝子を慎二から離し、さまざまな、そしていろいろな事をぶちまけて、想いを変えるよう説得する。

 慎二は朝子に好きだと言われても、とくに感情が動くことはなかった。朝子は可愛いクラスメートであるが、性格と言葉遣いが特異であるので恋愛候補にはならない。なによりも、彼は雪子にベタ惚れなのである。ただ、無礼な女子たちへは少しばかり反撃してやりたいと思った。

「おーい、あんましグダグダいってると、雷様にへそのゴマ取られるぞ。ごっそりとな」と軽口を叩いて、余裕のある態度をとった。

「うるさい。新条のくせに生意気なのよ」

「そうそう。菖蒲ヶ原さんと付き合っているからっていい気になるな。別れろ」

「調子に乗るな、バカ」

 からかわられた女子たちは口を尖らせて言い返す。そんな彼女たちを朝子がなだめようとした時だった。

 ドド~ンと大きな地響きが起こった。

「うわあ」

「なんだっ」

 とくに窓側にいた生徒が驚いて、おもわず肩がすくんでいる。窓の外を見て、突然の自然現象にある者は目を見開き、またある者は頭を抱えていた。

「ヤッベー、雷だ」

 校庭に雷が落ちたのだ。

「新条が言った途端、雷が落ちたぞ。すげえ偶然だな。超能力かよ」

 誰も慎二が雷を落としたとは思っていなかったが、そうであれば面白い出来事だとの期待感である。

「なんなのこれ。気持ち悪いんですけど」

「新条って、なんか変じゃない。かかわったらヤバい奴系とか」

「そうそう。それずっと思ってた」

 女子たちが奇異なるモノを見つめていた。なんだか居心地が悪くて、慎二は顔を窓の外に向けた。雷は大きいのが一度きり落ちたのみで、それ以上は続かなかった。

 教室内がざわついているとチャイムが鳴った。生徒たちが席につくと、地理の教師がやって来た。日直が起立を促して礼となる。窓際の数人は、また雷が鳴り響くのではないかと、何度も空を見ていた。


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