第16話

「今日は土曜日だから学校は休みだな」

「そうだな」

 ふくよか雪子がこしらえた朝食を食べながら、高校生たちは朝のブリーフィングを行っていた。土曜日の休日なので、学校で岡島をつかまえて白状させることができない。作戦の練り直しが必要となる。

「なんだよ、このハムエッグ。黄身が生焼けじゃないか。気持ち悪くて食べられないって」

「うるさわいね、ブッサイク男。文句があるなら食べなければいいでしょ」

 極劣化赤川が、さもイヤそうに目玉焼きを箸の先で突っついていた。

「赤川は半熟が苦手なんだよ。俺は好物だけど」

「もちろん、そうでしょう。だから絶妙のトロトロ加減にしてあげたのよ。感謝を日本銀行券の譲渡であらわしてもいいのよ」

「ハダカミダラ星人でなくて、今度は現金かよ」

「ハダカミダラ星人の感謝の踊りを見せてあげましょうか」

 重量感がある女体が、プルンと揺れた。

「元通りの菖蒲ヶ原さんに戻ったら、ぜひともお願いするよ」

「あら残念。せっかくナイスバデーになったのに」

 テンポよく言葉を投げ合う二人を、ブサイク男子が見ていた。

「おまえら朝から仲がいいな。その調子で子作りでもしろよ。子豚を五十匹ぐらい産んで、肉屋に卸して金もうけだ。へへへ」

「赤川、その顔になってから性格が悪くなったよな。なんていうか、以前のスマートさと爽やかさがない」

「知るか。オレは世知辛い世の中を、どんな卑怯な手を使っても生き抜くんだ」

「顔は十分卑怯よ」

 卑怯な男子が、じゅるじゅると音を立てて半熟の黄身を啜っている。ふくよか雪子が殺虫剤のスプレー缶に手を伸ばすが、慎二が止めさせた。

「お、さっそく情報がきたな」

 極劣化赤川がケイタイを手にした。画面をタップしながら、ときおり気持ちの悪い笑みを浮かべている。

「よっしゃあ。ケツ野郎の番号をゲットだぜ」

 怪訝な目で見つめるふくよか雪子と慎二へ向かって、ケイタイの画面を見せた。

「あいつの居場所がわからないから、こっちから呼び出してやろうと思ったんだ。知り合いの女子がケイタイの番号を知っていたから教えてもらったんだよ」

「呼び出すって、岡島をか」

「そうだ」

「俺はやつと友だちでもないから無理だぞ」

「オレもだよ」

「じゃあ、どうするんだ。いきなり電話をかけたりメールしても、相手にされないどころか不審がられるだろう」

「チャットアプリを使って呼びだしてみたらいいんじゃないの。文字だったら誘いにのってくるかもよ」

 ふくよか雪子の提案に、男子二人はうかない表情だ。

「だから、友だちじゃねえから登録してないって」

「じゃあ、友達登録しなさいよ」

「ケツ野郎を登録したくなんかねえよ」

「だったら呼び出せないじゃないの」

 フンと鼻を鳴らした。

「だから、菖蒲ヶ原さんの出番だってことだ」

 ここでブサイク顔がニヤリとする。いやらしいまでの上目使いだ。

「どういうことだよ、赤川」

「そうよ。なにか企んでいるのだったら洗いざらい教えなさいよ」

 ニヤニヤした四角い顔が大きく頷いて説明を始める。

「やつは可愛い女の子に目がない。一年三百六十五日女の尻をつけ回す野郎だからな。そこで校内でもっとも高難易度女子である菖蒲ヶ原さんが呼び出せば、光速でやってくるだろう。そこをふん捕まえてオレたちの姿を元通りにさせるんだ」

「はは~ん」と慎二が頷いた。

「この作戦で重要なのは、SNSやチャットではなくて、菖蒲ヶ原さん自身の声で呼び出すってことだ。文字ではインパクトに欠けるし、本人じゃないと怪しむかもしれないからな」

「いやいや、そこは当然怪しむだろう。自分が変身させた女からお呼びがかかるんだから」

 作戦自体に大きな矛盾があると、慎二は心配している。

「いいえ、そうはならないわ。なるほどね、ブッサイクなわりに頭はいいかも」 

「ええっと、よくわからないよ。どういうことなんだ」

「ねえ忘れたの。サイキックの発動は常に無意識的・衝動的でしょ。こちらがそうなんだから、岡島って男子も意識していない可能性がある。それどころかサイキックの発動も、その結果も知らない、ってことがあり得るわ」

「そこのところは、なんともいえないんじゃないか。知っているということもあるかもよ」

 確証がない以上、あらゆる可能性があると慎二は考えている。

「これはオレの感だが、たぶんやつはオレと菖蒲ヶ原さんの姿を変えたことを知らないんじゃないかな。ついでに能力のことも」

「それは私が言ったでしょう。人の手柄をとらないでよね」

 ひらめきを横取りされまいと、ふくよか雪子がにらんで威嚇すると、ブサイク赤川も負けじと出っ歯を突き出した。にらみ合いは慎二の手が両者の間をチョップするまで続いた。

「とにかく、菖蒲ヶ原さんが電話をかければわかることだ。あいつが素直に喜べば知らないということだし、逃げるようであれば恣意的に何かした、ということだろう」

「そんなとこでしょうね」

 最終的に意見が一致した。次は行動を起こせとばかりに、極劣化赤川がケイタイを突き出した。

「わかったわ。私が誘い出せばいいのね、そのケツ野郎を」

 ふくよか雪子が自分のケイタイを取り出した。父親にねだった最新バージョンである。「おおー、いいもん持ってんじゃんか」と、新しもの好きな男子が食いつく。

「ちょっとう、触らないでよ。新製品なのにブッサイクがうつっちゃうでしょ」

 ケイタイに触ろうとした手をフォークで突き刺そうとしたので、慌てて引っ込めた。

「この女、マジで刺そうとしたぞ。凶暴すぎるだろう」

「菖蒲ヶ原さんは、雪風東で一番のドS」と信二が言ったところで、ふくよか雪子の声が響いた。

「あ、岡島君、突然でごめんなさい。菖蒲ヶ原雪子です。昨日声をかけてくれたとき、本当は嬉しかったのだけど、周りに人がいたのでちょっと逃げちゃいました。てへ」

 ボリューム感のある上体をプルンプルンと揺らして、男たちに笑みを見せながらピースサインを送る。

「今日ね、これから映画でもどうかなって思って。そう、そう、え、ほんと。うん、そこ知ってる。うんうん、じゃあ十時に。ありがとう、すごい楽しみ~」

 ふだんの雪子にあるまじき男たらしテクニックを発揮した。

「ふう、ざっとこんなもんよ。男なんてチョロいわね」と言って、今度は親指を立てて腰を振った。王者の風格を、その質量をもって十二分にあらわしていた。

「どうだったんだよ。ケツ野郎は喜んでいたか」

 皿に残ったベーコンの脂分を舐めとりながら、極劣化赤川が訊いた。慎二が信じられない顔で友人を見ている。

「死ぬほど喜んでいたわ。まあ、菖蒲ヶ原雪子とデートなんだから当然ね」

「じつは豚まん女だと知ったら、ケツ野郎は驚くだろうな」

 ひひひひ、と下品な顔から下劣な笑いが漏れていた。

「つうことは、やっぱ自分がやったことに気づいてねえな。ぐっへっへ」

 ふくよか雪子と極劣化赤川の推察が正しいということになった。

「どうやら無意識の衝動で二人を変身させてしまったようだな。赤川の場合は、ぶつかったときにイラっとして、こいつブサイクになれって思ったんじゃないかな」

「私はどうしてなのよ。ナンパしてくるんだから、もとの雪子さんのほうが好みなんでしょう。それとも豊満ボデーがタイプとか」

「さすがに、デブ専ではないと思うけど」

 そう言ってしまってから、しまった、と慎二が後悔する。鬼の目でふくよか雪子が睨んでいたからだ。

「それはだなあ、菖蒲ヶ原雪子に声をかけた時に無視されたからだっつうの。自分のものにならねえ女は豚にでもなってしまえ、ってことだ」

「豚豚うるさいわね。ていうか、慎二の皿までなめるのはやめなさいよ。あなたが豚じゃないの」

 極劣化赤川は、自分の分だけでは飽き足らず友人の皿まで食い尽くすと、満足そうに背もたれに寄りかかった。唇の周りが卵の黄身で黄色く汚れている。慎二とふくよか雪子が前に迫り出して、ひそひそと話す。

「赤川の見かけと中身が一致してきた感じがする。きっと、岡島の無意識がそう望んでいるんだ」

「心まで変身しちゃうわけなの」

「たぶん。目の前にいる赤川は以前の爽やかさの欠けらもない。まるで安酒場の酔っ払いオヤジだ」

「でも、いかがわしい本集めが趣味だったんでしょう。あんがいと、これが本当の姿なのかもよ」

「それは中学の時の話で、いまは立派に更生して校内一のモテメンだよ」

「どうだか」

 二人が自分のことでヒソヒソ話していることなど気にもせず、極劣化赤川は紙パックの牛乳に、そのまま口をつけてガブガブと飲んだ。卓上にある食べ物を食い散らかし、満足すると鼻をほじり、その指を舐めたりしている。

「私はどうなの。ひょっとして変わったかしら。ちょっと性格がきつくなったかも」

 目の前でふんぞり返っている男みたいになってはいなかと、ふくよか雪子は心配していた。

「菖蒲ヶ原さんは、いまのところ大丈夫だよ。しっかりした女の子だし、ドS具合も変わりないから」

「なんか引っかかる言い方だけど、まあいいわ」

 朝食を兼ねたブリーフィングが終わった。ピーちゃんが黄色い冠毛を逆立てて騒いでいる。エサをあげていないことを思い出した慎二が、無農薬ヒマワリの種をあげようとケージの扉を開けた。

「あ、ピーちゃん」

 ヒマワリの種には目もくれず、オームがとび出した。バタバタバタバタと捕食鳥類のような羽音を響かせながら居間の天井付近を飛行し、ふくよか雪子の肩に留まった。居心地がいいのか、こめかみのあたりを触れるように甘噛みしている。

「菖蒲ヶ原さん、ごめんな。そいつ、ムダに人懐っこいから」

「いいのよ。なんだかここが好きみたいだから」

 動物になつかれて悪い気のする人は少ない。肩に留まって大人しくしているオームを好きにさせていた。

「私デートの時間だから、そろそろ出かけたいのよね」

「そうだな。俺もついていくから」

「あ、オレも行く」

「私が彼を連れてくるから、あなたたち、ちゃんと捕まえてよ」

 目的は恋する高校生のボーイズ・ミーツ・ガールではなく、サイキックボーイの捕獲である。当然、二人の男子が同行し、力づくで処置しなければならない。

「それで、どうやるんだ。岡島は菖蒲ヶ原さんが来ると思ってるんだぞ。デブ女が現れたって無反応だ。とくに、あいつは女の好みがハイレベルだから」

「それはなんとかするわ。ていうか、どうとでもなるでしょう。姿が変わったとはいえ菖蒲ヶ原雪子なのよ。容易いというか、朝飯前というか、とにかくチョロいわ。はんっ」

 立ち上がってそう宣言したふくよか雪子は自信満々の態度である。肩に留まっていたピーちゃんが{エロいぞ}と口走った。極劣化赤川がミッションの最終段階を説明する。

「とにかく、狭くて暗い裏路地へ誘い込め。そうしたらオレと慎二がやつを捕まえて」

「拷問をするのね。ゴアやグロがいっぱいなのはワクワクするわ。ロメロやイーライもビックリな動画をつくりましょう」

 目を輝かせている太った女子に、極劣化赤川はドン引きである。

「いや、なにいってんだ。そこまではやらねえよ。オレたちの体を元に戻させて解放だ」

「なにさ、つまらない。有り金ぐらい奪い取りなさいよ」

「強盗じゃねえぞ。体を元に戻すように言って、やつがそうしたら終わりだ」

「なによ、それでも男なの。肩甲骨の一つぐらい外してやりなさいよ。トンカチで関節を叩いてやりなさい」

「おまえ、どんだけドSなんだよ。恐ろしい女だな」

 朝食と作戦会議が終わり、いよいよ出発となった。ふくよか雪子は制服のまま、右肩にピーちゃんをのせて出かけようとする。

「おい、そのピッチピチな制服のままで行くのかよ。しかも鳥まで」

「家に帰ってないからこれしかないの。それにサイズが違うから着る服がないわ」

 咳を一つしただけでボタンが弾け飛びそうだが、ギリギリの線で粘っていた。

「うちの高校の制服って、けっこう伸縮自在だよな」

「ケチって、安い素材でも使ってんだろう」 

 慎二がふくよか雪子の高性能制服に感心し、極劣化赤川は否定的な見解だ。

「失礼なこと言わないでよ。ふつうクラスはともかく、特進クラスの制服は特注品なのよ。見た目は同じだけれども、オーダーメイドだから素材が高級なの」

 たしかに高級な生地でなければあの荷重には耐えられないと、二人は納得する。

「さあ、行くわよ。レッツ雪子さん、キーーン」

 玄関を出るなり、ふくよか雪子が走り出した。肩にいるオームが前傾姿勢となって、空気抵抗を最小にしている。その肉量のわりには加速力が抜群であった。

 慎二も走り出した。極劣化赤川も続くが、すぐに止まってしまう。ハアハアと黄色い息を吐き出しながら、小さくなっていく二人の同級生を見ていた。

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