第11話
「・・・」
これほどまでに緊迫した夕食は経験したことないと、慎二はしみじみと思っていた。彼はいま、菖蒲ヶ原家の大きな食卓で、非常に気まずい雰囲気のまま箸を持っている。
菖蒲ヶ原家の家主である菖蒲ヶ原誠人が、デンと中央に構えていた。彼の右側に雪子が、その隣に慎二が座っている。家主は当然のように不機嫌だ。
「今日の献立はなんだ。お子様ランチか」
筋肉質とはいえ、揚げ物主体のメニューは気に入らない様子だ。
「慎二が好きなものだから、水戸さんに頼んで作ってもらったのよ」
「どうして、うちのことにその男の趣向が反映されるんだ。家族でもないのに」
「すみません」
すかさず慎二が遺憾の意を告げる。誠人の言い分は、もっとものことだと納得していた。
「私の彼氏があいさつに来たんだから、菖蒲ヶ原家として気をつかうのは当然じゃないの」
「あいさつって、おまえはなんの挨拶をしにきたんだ」
「えっ」
慎二の目が点になる。誠人の視線は槍の先より鋭かった。
「まあ、あのう、菖蒲ヶ原さんにお世話となっているので、あのあのう、あいさつしようと思いまして。深い意味はないですよ。か、軽い意味のアイサツなんです。すみません」
誠人はさも不機嫌そうにエビフライを口に突っ込みながら、言葉に詰まる男子高校生を凝視していた。さらに、高級ウイスキーをグラスに注ぎもせずラッパ飲みした。半分ほど空けると、すでに目が据わっていた。
「私のことに、お父さんは口出ししないでよ」
「私はおまえの父親なんだぞ。そういうわけにはいかない。娘がどこの馬の骨ともわからん男に弄られるのを、黙って見てるわけにはいかないんだ」
「慎二は馬の骨じゃないし、私をイジっているとか、そんなことできるわけないないじゃないの。童貞なのに」
「なにーっ、貴様はドウテイか」
「す、すみません。じつはそうなんです」
未経験者であることが罪深いことに感じて、慎二はすかさず謝罪した。さほど腹が減っているわけでもないが、気を紛らわすために箸を出した。
「前はもっと素直でものわかりが良かったのに、どうしてしまったんだ。さては、きさまが原因か。雪子をたぶらかして不良に仕立てたんだな」
とんかつを食べようとしていた慎二は、いきなり冤罪を突き付けられて焦る。
「い、いや、違います。とんでもないです」
「私のダーリンを悪く言わないで。お父さんだってハゲてるじゃないの」
「だ、ダーリンってなんだ。昭和時代か。こいつがダーリンって顔か。それに私は禿げてないぞ。どこから禿げなんてでてくるんだ」
誠人は前頭部と頭頂部が若干薄くなっていて、そのことをなによりも気にしていた。
「きさまー、謝れ。私に正式に謝罪しろー」
父親はなぜか娘にではなく、彼氏に怒りをぶつけ謝罪を要求した。
「はいーぃ?」
もはや、衣がサクサクでお肉がジューシーなとんかつを食べている場合ではなかった。
「あの、あの、ハゲているのは、そんなに悪いことではないです。誰もがハゲますし、俺の父親も最近ハゲ始めましたが、けっこうハゲてます」
なにを言っているのか本人にもわからず、意図せずして誠人の逆鱗に触れていた。
「きさまー、禿禿うるさいんだーっ。禿をバカにするのかー。許さんぞ」
父親が立ち上がり、エビフライをつかんで慎二へと投げつけた。
「うわっ、なにするんですか。食べ物を投げたらダメですって。あ、衣が目に入った」
「お父さん、なんてことするのよ。娘の彼氏に手を出すな、ハゲ」
「私は禿げじゃないぞ、エイドリアーン」
席を立った誠人が娘を通りこして、慎二につかみかかった。ものすごい力で首を締め上げる。
「く、くるしい、です。息ができないかも、しれません」
「お父さん、止めて。慎二が死んじゃう」
大きな食卓の前で三人が絡み合っている。この家の家政婦である水戸は、それぞれの喚き声を聞きながら、素知らぬ顔でゆったりとお茶を啜っていた。
「きさまが雪子をてごめにしたから、娘が傷ものになったんだ」
「俺はそんなことしてませんって。妄想もほどがありますよ、げほっ」
「私が傷ものにされてもいいじゃないの。だって、女の子だもの」
「なにー、きさまー、やっぱり娘をてごめにしたのかーっ」
「してません、してません、なんにもしてません。なんかしてるんだったら首を絞められてもしょうがないけど、ゲホゲホ、なにもしてないのに苦しいことされるのは心外です。せめて、なにかさせてください」
「イヤらしいことさせろって、慎二、やっぱりヘンタイだったのね。サイテイよ。男としてハゲ以下じゃないの。なかよし公園の滑り台から落ちて死になさい。豆腐のカドに頭をぶつけて死になさい」
「そうだ、きさまなんぞが雪子のダーリンとかありえん。死ねー」
「うわー」
父娘でつかみかかられて、さらに首を絞められて、慎二は困難な状況に陥っていた。
「ちょっと、やめて、やめなさいって。なんで菖蒲ヶ原さんまで一緒になってるんだよ」
「そうよ、お父さんが悪いの。ハゲてるからイヤらしいの」
「私は禿げてないぞ。しかもイヤらしいのは、この男だ」
「そうよ、慎二が悪い」
「もう、わけわからんっす」
父娘と男子が一塊になってもみ合っていると、周囲の空間が歪みだした。
「ああ、やばっ。俺のサイキックが発動しそう」
慎二がそういった途端、三人は菖蒲ヶ原家の食堂から消えた。唐突に静寂が訪れて、家政婦がキョトンとしていた。次の瞬間、場面はとんでもなく遠くへと移動していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます