第129話
わなわなと震えるプレヌを、ヴェッティーナはうるおいのある瞳で見つめた。
アップルグリーンの目を見開いて。
蜂蜜色の後れ毛が小刻みに動く。
昼間ロジェのそばにいた娘だということはとっくに認知している。
いかにも純真そうな子、と胸中で箸休めのように呟く。
彼に迫る危機を察知したとたんに警戒心をあらわにして。まるで天敵を前にしたハリネズミだ。
「……させない」
「いくら以前の恋人だったとしても。あの人を傷つけることだけは、ぜったいさせませんから!」
威勢のよい啖呵をきって、小ネズミが去ったあと。
ヴェッティーナが指を鳴らすと、ガードマンの一人が物陰から姿を現した。
最も信頼している、言ってみればマネージャーのような者だ。
「あの娘、消しますか」
「いいえ」
艶を消した淡白な声音で即答する。
「純真な野ネズミちゃんだもの。そっとしておいてあげて」
「――御意に」
恭順の意を示した後、彼は恐れながらと、進言する。
「今回はやらせでしたが、実際、あなたの貧救院建設を売名行為だと非難する輩は少なくありません。舞台人にとって評判は命です。今回の試みは、一度、考え直された方がよろしいかと――」
歌姫の口元はまだ、揺らがない。
「別にかまわないわ」
「建設準備を続けて。なんと言われても、止める理由なんかない」
「……かしこまりました」
胸に手を当てると、ガードマンは暗がりの中姿を消す。
一人になったヴェッティーナの脳裏に、今しがたの会話の一単語のみが翻る。
「……評判」
彼女がたゆまず求め続けて来たもの。
それが舞台人としての評判。
否、今自分が背負っているのは名声と名を変えるほどに広大になり、この方にのしかかっている。
名声というものは基本的に、一度失ったらゲームオーバーだ。
かつて到達した位置には二度と登れない。
だが恋は、どうだろう。
歌姫ではない、どこにでもいるありふれた女性として、一度の過ちを正したいという想いは。
受け入れられないものかしら。
いつの間にかその思考が語りかけてきたのは、人気歌手としての生活の中の中に息つく間が置きざりにされていけばいくほど、この頭に占める割合が増えて行った、彼のこと。
――わたしはもう、許されることはないのかしら。
「――ねぇ、ロジェ」
朗々と高音で締めくくる舞台上のアリアとは対照的なフェードアウトで、歌姫はモノローグを終える。
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