終わりの国のアリス

リョウカイリ1004

終りの国のアリス

   プロローグ

 全く···人類という種族はいつ観測しても愚かだなと思ってしまう。なぜこんな下等種族が食物連鎖の頂点とまでもてはやされているのだろうな

 なぁ、君もそう思うだろ?−−−−−くん

 なぜそう思うのか?君もわかりきったことを聞くね。理由というほどのものを持ち合わせているわけでもないが···強いて言うなら理由は単純明快。この種族は間違えるんだ

 一度の間違いでそれが治るのならそれでいい。だが人類はそれを2度も3度も繰り返す。そしてその回数が両の手には余るほどの数を超えた時ようやく人は重すぎる腰を上げてそれを直すのだ。

 ああ、それは私も例外ではない。

 はぁ、全く愚かで仕方ない。何故こんな種族が数千の暦を超えられてきたのかが理解できない。こんな種族、普通なら1000も経たないうちに死に絶えそうなものなのだがね

 だが···そんな理解できない事象にも一つ明確に確からしいことがある。

 それは・・・そんな愚かさがこの種族をここまで運んできたのもまた事実であるということだけだ。


  【1】

 白い部屋。一塊のホコリも僅かな床の汚れさえも感じさせない床も壁も天井すらも白い部屋。誰も使っていないと表現するには部屋が清潔に保たれすぎている。だが、殺風景と形容するのも少しニュアンスが異なる。そんな部屋の中央に「それ」はあった。

 大の大人をいとも容易く収納可能な縦長の楕円形を模した物体。現在進行形でカチ、カチ、カチと一定の間を置きながらそれは音を発している。

 音が一度なるごとに備え付けられている薄く透明な液晶に映し出されている数字が一つずつ少なくなっていく。

 なんの意味があるのかは知っているものにしか理解できない。だが、確実になにかしらの意味を持ちながら、それは駆動していた。

 一つ、また一つと数字はその数を減らし続け、やがてすべての数字が0を刻んだその刹那、痺れを切らしたかのようにそれは本来与えられていた命令を実行し始めた。

【規定冷凍時間を通過、カプセル内の生命体「個体名アリス」の生存を確認。指定プロトコル起動。生命維持装置を停止し、「個体名アリス」の解凍及び蘇生を開始いたします】

 それが無感情にそう言葉を発した瞬間、内部で変化が生じた。つい先ほどそれが「個体名アリス」と呼んだ存在に対して起こった変化であった。

 つい数秒前まで長らく「個体名アリス」と呼ばれる存在は氷漬けにされていた。皮膚の真上には薄く張り付いた氷がアリスの全身に覆い被さり、肌からはとっくに血の気が引き、まるで死人のように青白い状態で凍結されている。そのため本当に生きているのか怪しさを感じさせていた。

 だが、それが命令を実行し始めた時、アリスの全身に張り付いていた薄氷は見れば尋常ではない速度で溶け出していた。皮膚の深部にまで根を深く張り、ほぼ体と同化していたと言っても過言ではなかった薄氷が、ただ何らかの命令を実行し始めただけでまるで爬虫類の脱皮かのようにポロポロと剥がれていっているのだ。

 全身の薄氷が全て落ち切ろうとしていた頃にはアリスの体にはすでに別の変化が起こり始めていた。アリスの肌の色が白く染まり出してきていた。 

 だがその白は先ほどまでの青が混在した白ではなく紅が混入した白。薄氷が張っていた際には耳を澄ませても聞こえることはなかった彼女の鼓動が毎秒ごとに音量を上げていき文字通り彼女に血の気が出てきた。そして彼女は彼女がかつて持っていた本来の美しさを取り戻していく。

 やがて完全に解凍が完了した。それと同時にそれの上部が動き出した。そして内部から冷たさを帯びた白い煙が漏れ出ていき内部と外部が隔絶された密閉状態から徐々に外部と内部の境界線を消し去りそれぞれの空間が合わさりあっていく。

 ようやく全命令を実行し終わった。さっきまでの動きぶりはどこに行ってしまったのかと言いたくなるほどにそれはピタリと動かなくなった。

 しかしこの空間の中でそれの運動エネルギーを引き継いだかのように動き出した存在がいた。そう、アリスだった。

 脳細胞の隅々にまで血液が行き渡り切ったからか、はたまた外部の空気に当てられたからか。明確な理由はわからないが、アリスはようやくその眠り姫の如く長い間閉ざしていた意識を覚醒させた。

 アリスはゆっくりと目を開き仰向けの状態で首を動かし左右を確認する。しかしアリスはまだそれの内部にいるため視界には白いという情報しか映らない。そのため、アリスは仰向けの状態から抜け出そうと上半身を横にひねらせ、手をついて上半身を起こした。そして自身の右手を握っては開くという動作を数回繰り返した後にゆっくりと立ち上がる。

 アリスが立ち上がったことにより、先程までカプセルの中にいたために輪郭を掴むことができず、不明瞭であったアリスの外見があらわになる。

 彼女の体躯はまだ10歳になったばかりの女の子と同じかそれよりも小さいと思わせるほどの低身長。それでいて手足は少し力を込めて握ってしまっただけで壊れ、崩れてしまいそうなほどに細く、華奢というには言葉では足りなすぎると感じるほどに小柄な少女であった。更に彼女の髪はシルクを思わせるように白い腰まで伸びたロングヘアで肌も向こう側が透けて見えると思わせ、他の色彩を感じさせないほどに白いというアルビノ体質。彼女の全身は純白という言葉がよく似合うほどに白に包まれていた。

 そんな彼女が立ち上がり高くなった目線で辺りを見渡す。

 彼女の目に映るのは相変わらずの白い部屋である。しかし、彼女からの視点でしかわからないものもあった。それは部屋の内部、内装だった。この白い部屋の内部には用途不明な物体がいくつも置いてある。複数の三角形が重なり合った幾何学模様が立体化し、不規則に回転している物体や壁に設置された複数のモニターとそれに映し出される無数の波形と数字etc···

 それらすべてをアリスは一度も見たことはないはずだ。だというのにアリスはそれらにどこか懐かしさを感じてる。

 アリスはその正体を掴みにかかろうとする。だがその行為はただの徒労にしかならなかった。何故ならアリスの脳内に数分前より以前の記憶など存在していなかったからだ。

 そのことにアリスは僅かながらの驚愕と不安を覚えた。そして右手で頭を押さえ、より鮮明に記憶を掘り出そうと自身の脳内に意識を集中させる。だがやはりその行動すら意味をなさない無駄な行為にしかならなかった。

 心拍数が上がる心臓をなんとか落ち着かせ、アリスはカプセルの外へと歩きだしていく。

 アリスの素足が部屋の温度を感じない凍てつく床と触れ合うたび、アリスの足先からは体温が失われアリスは体をビクリと震わせる。

 一歩一歩周りの様子を観察しながら前へと歩を進めているとアリスの正面にある壁の一部に垂直な線が生じ、綺麗に左右へと分かれる。

 そして開かれた扉の向こうから一人の男がアリスの方へと歩いて来た。

 若い男だった。身長は平均よりも少し高めといったところで、手足は全体的に細長い感じではあるものの体つき自体はガッチリしているという印象を受ける。髪は多少ボサボサしたところが目立つが不潔というわけではなくよく見てみると髪の乱れには一定の規則性が感じられファッションの一環なのだろうと思われる。顔は真面目そうで好青年のような顔立ちをしているがその顔はどこか間の抜けたような、少し虚な雰囲気を醸し出しており、軽薄そうな様子が見て取れる。

 その男はアリスのことを視認した瞬間、まるで自身の友人と遭遇したときのように口を開いた。

 「ああ、やっと目覚めましたか。今回は中々起きなかったので心配でしたよ」

 男は軽やかにそう言った。

 当然アリスはこの男のことを知らない。そのためアリスはこの男のことを用心深く、それでいて不自然のないように男の全身を観察する。そして慎重に男へ返事をする。

「あなたは誰?」

 その言葉を聞いたとき男は不思議そうな目をアリスに向けた。

「誰?おかしなことを聞きますね、私とあなたは数年来の仲じゃないですか」

 男が放ったその言葉にアリスは懐疑的な思考を巡らせる。

「今私には記憶がないの。だから、あなたと私は親しい仲だったのだろうけどあなたが誰なのか一切分からないの」

「何かの冗談ですか?あなたがそんな冗談を言うなんて珍しいですね。寝ている間に何かありましたか?」

 アリスがどう言おうとも男は冗談やふざけているという受け取り方ばかりをし、アリスの話をまともに聞いていなかった。しかし、アリスがくどい程に何度も同じようなことを言ってきたことから男は多少の不快感のようなものを覚えながらも微小の違和感を感じ、アリスに問う。

「本当に何も覚えてないのですか?」

「だから何度もそう言ってるじゃないですか」

  それを聞いてもやはり男は疑わしい目を向けて呻き声を上げながら頭を抱えた悩みこむ。すると、何かを思いついたのか「あっ」という声をあげて、アリスに尋ねる。

「では、一つ聞かせてください。貴女がここにいる理由、その意味を覚えていますか?」

 アリスはどこか含みのある言い方をした男に疑問を覚えるが気にせず素直に答えた。

「ごめんなさい。それも覚えてない」

 その言葉を聞いたとき男は表情を変え、まるで狐に化かされたかのように目を丸くした。そして顎に手を当てて小声でブツブツとなにかを呟きながら何かを思考する素振りを見せたかと思うとハッという声を出して我に返り、アリスの方を見る。

「失礼しました。そうですか、わかりました。では、あなたのことについて話そうと思いますが、積もる話ですし長くなるので歩きながら話しましょうか」

 そう言うと男はアリスに背を向けてどこかへと歩き出す。

 アリスは歩いて行く男の後を少し離れた状態になるようについて行った。

「さて、どこから話しましょうかね。なにせ、話せることはたくさんありますからね。まず何から聞きたいですか?」

「じゃあ、ここはどこなのか教えて?あと、あなたの名前も」

「わかりました。ここは次世代生物研究実験施設・センチュリーです。私はここの研究職員の"ワタセ"と申します。以後お見知りおきを。ここでは私のような職員が現代に生きている生物たちがより良い進化を出来るように日々研究する・・・そういう場所です。まぁ簡単に言えばただの生物研究をしている施設ですね」

 それを聞いた時アリスは納得したような素振りを見せるが少し思考をしたのちに「あれ?」という声をあげてワタセと名乗ったに尋ねる。

「なんでそんな施設に私はいるの?私は”生物”じゃなくて”人間”だけど?」

「ああ、中々鋭いですね。じゃあそれも説明しましょう」

 そう言うとワタセは少し声が高くなり、そのことについて語り始める。

「あなたがここにいる理由は端的に言えば病気です」

「病気?」

「はい、病気です。まぁあなたが言いたいこともわかりますよ。病気なら病院に行けと言いたいのでしょう?」

 アリスはコクリと頷いて肯定の意を示す。

「ですが、あなたの病気は少し特殊でしてね。病院側は病院ではなくこちらの方がいいと判断したのですよ」

「その病気っていうのはどんな病気なの?」

「我々もまだ詳しいことがわかっているわけではありません。何せ、症例も少なく、原因も不明瞭。ただわかっているのは脳の機能障害ということだけです。おそらくその記憶喪失も病気の症状の一環でしょう」

 ワタセは表情一つ変えずに淡々とただ歩きながらそのことについて語った。そうして数分近くの時間廊下を歩いていたころ、ワタセはアリスが目覚めた部屋と同様の自動ドアのように壁と一体化している扉の前で立ち止まった。

「着きました」

 そう言うとワタセは懐からカードキーのようなものを取り出し扉のすぐ横に付属されている読み込み機のようなところにカードを押し当てる。

 すると、付属されている機械が甲高い機械音を発すると同時に扉が開き始めた。

 開いた扉の先は相変わらずの白い部屋だった。しかし、その部屋はアリスが目覚めた時にいた部屋とは大分内装が変化していた。

 アリスが目覚めた部屋は一辺が20mほどの正方形で囲まれた広々とした空間に用途不明の機械がいくつか置かれているだけというその空間の広さを強調し、殺風景とまでは行かずともどこか閑散とした雰囲気があった。

 しかし、今いるこの部屋は10畳から12畳ほどの横に広い長方形の形をしている部屋である。この部屋の中には壁に張り付くように配置されたいくつかの本棚とそこに敷き詰められた大量の本、そして部屋の少し奥の方に壁と向き合うような形で置かれた机と椅子が丁寧に整頓された状態で置かれており、人間の生活空間特有の安心感を与えるような心を落ち着かせ、ゆっくり出来るような空気感が形成されていた。

「ここは?」

「ここはあなたの部屋です。記憶がないのでわからないかもしれませんが眠りにつく前のあなたはここの部屋を使ってたんですよ」

「そうなんだ」

 そう言いながらアリスは男に促され、ゆっくりと部屋の中へと足を踏み入れる。

 床は相変わらずの冷たさであり、触れるたびにアリスの足の温度を奪って行くが部屋内部に設置された暖房器具のお陰で部屋の温度は快適な状態を保っている。

 その部屋の中央まで行き着いたアリスは深く息を吸い込んだ。

「気に入ってくれたようなら幸いです。それでは、これを渡しておきますのでご自由にお使いください」

 そう言いながらワタセはアリスに先ほど使用したカードキーを渡してきた。

「私はこの後用事があるのでもう行きますね。あとで食事などを持って来させますのでここでゆっくりとしていてください」

 そう言ってワタセは扉の方へと向かおうとした時、「あっ」と何かを思い出したように声を漏らす。

「食事を持って来させる時に、ついでに衣服の類も持って来させます。いつまでもその格好でいると寒いでしょうし」

 そう言ってワタセは部屋を出て行った。

 アリスはワタセにそう言われて首を下に向けて自身の服装に目を当ててみた。その時、初めてアリスは自身が衣服の一枚も纏っていない文字通り全裸という状態であることに気が付き、少し顔を赤く染めた。


  【2】

 アリスが目覚め、ワタセという男から部屋を与えられてから三日ほどの時が流れた。

 アリスはワタセからちょうど三日前に渡されたダウナー系ファッションの服を思わせるような全体的にダボッとしている特に目立った装飾のない質素と感じるような服に身を包みながら現在、与えられた部屋の中で机に向かいただ黙々と本を読んでいた。

 1ページ、1ページゆっくりと、それでいて丁寧に、ページをめくりながら本の内容を食し、読むのを一度止めて立ち止まりながら咀嚼するというこの一定の規則的にも取れる動作を幾度も繰り返しながら数百というページを内包し、語学辞書と同等ほどの分厚さを誇る本をアリスは読破しようと試みている。

 すると、アリスが座っている椅子の後方、扉のある方向から甲高い機械音が鳴る音がした。

 アリスはその音が聞こえた瞬間にそちらの方を向く。

 すると、そこには、案の定というべきか。ワタセがいた。

「おはようございます」

「おはよう、って言ってももう昼だけどね」

 そう言ってアリスは机の上に備え付けられている置き時計に目をやると、時計はすでに午後1時を迎えていた。

 「そうですね」と言いながら男はアリスの方へと歩み寄り、机の方に目をやって尋ねる。

「今日も本を読んでいたのですね」

「うん、そうだよ」

「本がお好きなのですか?」

「まぁ好きというほどじゃないけどここには本しかないし、せっかくだから暇つぶしにね」

「そうですか。何を読んでいたのですか?」

 ワタセは興味津々そうな面持ちでアリスに尋ねる

「そこまで大したものじゃないよ。ただタイトルを見て適当に選んだだけ。はい、これ」

 そう言いながらアリスはワタセにその本を差し出した。そしてワタセはその本を受け取り表紙に目をやる。

「これは・・・哲学書ですか?」

「うん。ここ、小説とかみたいな本って全然ないでしょ?だからしばらく本棚の周り歩き回ってたらその本を見つけてさ」

「哲学が好きなんですか?」

「いや、本当にただなんとなく手に取ってみただけだよ。少しだけ哲学のことについて知ってみたくなっただけ」

「そうなんですね」

 ワタセは本の表紙を見ながら納得したようにそう言った。

「そんなことよりも今日はなんのよう?」

 アリスはずっと聞きたかった言葉を吐き出す。

「ああ、そういえば言ってませんでしたね。今日はあなたの身体検査をしようと思いましてね」

「身体検査?」

「身体検査といっても軽い健康診断のようなものですけどね」

「どうして?私は健康体そのものだと思うけど?」

「前にも申したと思いますが今あなたは病人です、それもまだまだ未知に包まれている病気のね。私どもが提供している食事や薬、コールドスリープなどのあらゆる手を講じてはいますがそれもあくまで一時的な期間の引き伸ばしに過ぎません。そのため、いつ症状が悪化するかもわからない。だからこそ、こうした定期的な健康診断が必要なのですよ」

 ワタセは口調こそ変わらないものの言葉の端々で圧をかけ、アリスに有無を言わせないかのように語った。

「わかった。検査受けるよ」

「承知しました。では、案内しますので付いてきてください」

 そう言ったワタセはアリスに背を向けて歩き始める。そして、アリスはワタセの後をついて行った。

「検査って具体的には何をするの?」

 アリスは歩きながらこれから起こることへの興味を吐露した。

「そこまで大層なことはしません。基本的にはMRIを使った脳検査だけです。ですが、今回はコールドスリープを行っていたので前回の検査から期間が離れています。だから、念のため全身調べることになるかもですね」

 ワタセは頭に手を当てて、質問に対する答えを今思い出しているような素振りを見せながら言った。

「そうなんだ」

 アリスはそっけなく言葉を返す。

 アリスがそうしてしまったことにより会話の流れが途切れ、何時間にも感じるほどの間が生まれ、どことなく気まずい空気が漂い始めた。

 その淀んだ空気に段々と嫌気がさしそうになり、痺れを切らしたかのようにワタセが口を開く。

「ここの生活には慣れましたか?」

「慣れた・・・って言ってもまだ三日過ごしただけだけどね。でも、本当にここで生活してたんだろうね。なんとなくだけど懐かしさを感じる」

「そうですか。記憶が戻っていないにしても良い兆候だと私は思いますよ。このまま病気の方も回復に向かって行ければいいですね」

「そうだね」

 アリスはまたもやそっけない言葉で返事をした。そして、ワタセとそのような会話を繰り返し、歩みを進めながらアリスはじっくりと周囲の様子を観察していた。

 アリスは目覚め、部屋を与えられたその時からなんとなくという理由で一度たりとも部屋から出たことはなかった。

 そのため、連れ出された部屋の物すべてがアリスにとって新鮮さを帯びていた。

 それらをアリスが通り過ぎながら見物しているとアリスはあることに気がついた。

 それはこの施設は予想していたよりも数倍大きいということだった。

 そのことに気づき始めたのはまさに今、この時からだった。

 アリスとワタセはかれこれ5分近くの時間廊下を歩いているが一向に目的の場所へ着く気配がない。研究所ならば広いことは当然かとも思ったがいつまでも同じ光景の廊下を歩くような状態になることはおかしいとアリスはその事実に段々と疑問を感じ始めていた。そして、アリスがもう一つ疑問に思ったことは部屋の異常なまでの数であった。アリスたちが廊下を5mほど歩くたびにこの廊下の壁にアリスの部屋と同様に設置されている扉が現れる。そしてそれらを合計すると20は軽く超えている。部屋の広さまではわからないがそれだけ部屋を設置できると言うことはこの施設には何個も部屋を設置できるスペースと敷地があると言うことだ。それだけでこの施設の広さを物語っている。

 なぜこの研究施設がそれほどの敷地を持ち、それを有効活用できる資金を持っているのかと言うことにアリスは考えれば考えるほどに思考が複雑化し、頭を抱えたくなるほどに悩ませることとなった。

 そうしてアリスがやりきれない気持ちを延々と膨らませていると、ワタセは突然とある扉の前で立ち止まった。

「着きました。ここですね」

 ワタセはそう言った後に懐からカードキーを取り出し、扉を開錠する。そして、扉が開くと同時に中へと進んでいく。

 アリスもそれに倣うように部屋の中へと入って行った。

 部屋の内部を見渡してみれば、そこには様々な器具が置かれていた。

 レントゲンを始めとした内臓を調べるための機械、血液を採取するための注射器の類、そしてこの部屋の隣に設置されており、ガラス越しで見えているMRIの機械etc・・・ワタセが言っていた通りそこには身体検査をするのに差し支えがないものが揃っていた。

「今回はよろしくお願いしますね」

 ワタセが突然そのような言葉を発したことでアリスはワタセの方に目線を向ける。

 目線を向けた先にはワタセと全く同じである白衣に身を包んだここの職員だと思われる人物が10人以上いた。

 その様子を見たアリスはどこか仰々しい雰囲気を感じざるを得なかった。

 「さぁ、早速初めましょうか」

 ワタセがそう言葉を発した瞬間、職員全員が動き始め、配置についた。そして、アリスは職員に促されるがままに用意されていた椅子に座らされた。

 そのままアリスは職員たちにされるがままに身体検査を受けさせられることとなった。


  【3】

 検査開始から一時間半近くの時間が経過してようやく全ての検査が終了し、疲れ果ててうたた寝をしていたアリスをワタセが起こす。

「おはようございます」

「おはよう」

 半開きな眠たい目を擦りながら寝起き特有のしゃがれた滑舌の悪い声でアリスは返事をした。

「どうしたの?何か用?」

「いえ、特に何も」

「じゃあなんで起こしたの?」

「検査は一通り終わって特に目立った異常はなかったのでもう部屋に戻ってもいいということを報告しに来ました」

「わかった。じゃあ部屋に戻ってるね」

 そう言いながらアリスは若干前屈みな姿勢になりながらトボトボとした足取りで部屋へと戻って行った。

 部屋に戻るための廊下を歩いている最中にアリスは検査してた時のことをぼんやりと思い浮かべる。

 アリスが検査を受けている最中は大勢いた職員が役割分担をしてそれぞれの仕事をこなしていた。検査担当、記録担当などなど。アリスはそれをしている人たちに何か思うことはあったがその人たち自体には微塵も興味がなかった。

 しかし、その中でもアリスの興味を微かに引く存在があった。それは検査中にパソコンのような機械を見ている職員たちだった。この職員たちはおそらくは検査記録を確認し、打ち込んだり、私のバイタルを見たりしていたのだろうがそれにしたって終始パソコンの画面と睨めっこをしており、アリスのことを見ることなど数えるほどしかしていなかった。

 ワタセはアリスの体に異常はないと言っていたがパソコンを見ていた職員たちの様子を見るとそれが本当なのかと僅かに疑ってしまう。アリスはそんな一抹の疑問を心に浮かべながら自室へと戻って行った。

 部屋まで戻り、部屋に備え付けられているベッドにため息を吐きながら腰掛けたタイミングでアリスは自身がやりたかったことを思い出し、「あっ」と言葉を溢した。

「そういえば、この施設を探索しようと思ってたんだった」

 そのように自身の行動方針を言語化したことでアリスはすぐさま行動に移した。

 ベットから立ち上がり、部屋の外へ出るための準備を始める。

 そうは言ったもののアリスは自身の所有物というものを全く持っていない上に大して持っていくものもないため自身が着ている服のポケットの中にカードキーがあることを確認した後に部屋の扉を開けて外へ出ていく。

「まずはどこから行こうかな?」

 アリスは廊下に出てどこに行こうかと左右に伸びている道の先を確認する。 

 「とりあえず、左に行くか」

 そう言った後に特に当てがあるわけでもないがただ気が赴くままに廊下の左側へと歩みを進ませる。

 "探索"とは言ったものの検査を受けた部屋までの道中を見てきたアリスはなんとなく理解していることだがこの施設には階段の類のものはあまりなく、ただひたすらに廊下と部屋が続いているような場所である。

 そのため、アリスの今回の目的は"施設の探索"というよりかは"アリスの部屋以外の部屋を見て回る"という表現が最適だった。

 アリスが廊下をしばらく歩き続けていたら、アリスの視界の端にカードキー式の扉が見えてきた。

 アリスは扉を視認したと同時にそちらの方に進行方向を変えて扉の目の前まで進んでいく。そして、アリスは自身の服のポケットから自身の部屋のカードキーを取り出した。

 アリスが想像し、やろうとしていることが上手くいくかはアリス自身初めてのことでどうなるかわからないためアリスは僅かに警戒体制を取り、全身を強張らせながら神妙な面持ちでこの扉の鍵の役割を果たしているであろう箇所に自身のカードキーを押し当てる。

 すると、アリスの部屋と同様の甲高い機械音が発され、扉がカチャリと開錠する音が聞こえてきた。

 予想外の出来事が起こらず、自身が望む結果になったことにアリスはホッと胸を撫で下ろし、開錠された扉が開くと同時に中へと入っていく。

 その部屋は読んで字の如く研究室というに相応しい場所だった。

 10m四方の部屋の中に無数に置かれている机とその上に置かれている紙の資料や電子機器の数々、そこに表示されている無数のバイタルなどの情報の羅列、そして何よりも部屋の中央に設置されているガラス張りの一つの部屋とその中に閉じ込められている一匹の生命体。それらの様子からこの部屋に収容されている生命体がこの部屋での実験対象であり、この生命体は実質的なモルモットであることは部屋の様子から想像に難くなかった。

 アリスが部屋の様子を見渡し、なんとなくな気分で生命体の方に視線を向けてみれば生命体と目が合った。

 アリスは未知の存在との邂逅、そして視線を合わせてしまったことから全身をぶるりと震わせ全身の毛を逆立たせる。

 しかし、目線を合わせてきた生命体からは不思議と敵意のようなものは感じず、どことなく受け入れるべきだという衝動に駆られる。

 アリスは目の前にいる未知の生命体に対してゆっくりと歩みを寄せていき、ガラスの檻に手が触れるほどの距離まで近づいた。

 その生命体は爬虫類とよく似た見た目を持った生物だった。全長は3〜5mほどの大きさの四足歩行型の緑に近い色の皮膚を持っている生物で恐竜のステゴサウルスとよく似た体つきをしていた。ステゴサウルスは背中に剣のような形状の何かが生えているのに対し、この生命体の背中からはハリネズミの棘のようなものがいくつも生えており、ステゴサウルスとはまた違ったそういう存在であることが確認できた。

 この生物の側に寄ればその生物は鳴き声のような呻き声を定期的に発してはいるがこちらに敵対をする様子もなければ警戒をする様子すらない。ここで何をされていたのかはわからないがおそらくはこの研究所の関係で多少は人慣れしているのだろう。

 そんなことを妄想しながらその生物が入っているガラスの檻の周囲を一回りした後にアリスはその生物の正面に座り込む。

「あなたはどうしてここにいるの?」

 その言葉は聞くものが聞けば煽りにもとれるような口調で返事が返ってくるはずもない名も知らぬ生物に対してアリスは言葉を投げかけた。

 当然返事は帰って来ず、静寂だけがその場を支配した。しかし、アリスはその様子に退屈をすることはなく、むしろその静寂の状態を、意味がわからない言葉を投げかけられた生命体の様子を楽しんでいるように見えた。そんな状態を何十分という時間が過ぎるほど続けていたタイミングでまるでその静寂を断ち切ろうと画策していたかのように突然この部屋の出入り口である扉が開き、誰かが侵入してくる。

「おや?あなたは・・・」

 見たことのない職員が突然この部屋に侵入してきたことでアリスは戸惑い、どうすればいいのかと頭を回し、慌てている。

「こんなところで何をしていたのですか?」

 職員は部屋の入り口からどんどんとアリスの方へと近寄り、状況の説明を求めてきた。

 その瞬間、アリスはまるで教師に怒られることに酷く恐怖する生徒のような体の芯の底から震え上がるような恐怖感を覚え、近寄ってきた職員の方へと駆け出し、懐へと入り込み、職員の脇をすり抜けてそのまま扉の方向へと走り去って行った。

 その行動を職員は止めることができず、職員は部屋の外へと行ったアリスを見失うこととなった。

 アリスは息を切らしながら廊下を走り、先程までいた部屋から何mも離れた地点で立ち止まった。

「はぁ・・・はぁ・・・とりあえず逃げてきちゃったけど、どうしよう?」

 アリスは短い間隔で息を吸い込み、まだ酸素が供給されきっていないぼんやりとした頭で思案する。

 そして、一つの答えを導き出す。

「とりあえず探索を続けようかな」

 そう言ってアリスは来た道とは反対の方向へと進んでいった。

 それから4時間以上の時間をかけてアリスはこの施設に存在する部屋の一つひとつを丁寧に見て回り、気付けば時計の針は午後6時を示そうとしていた。

 アリスは長い時間をかけてこの施設の隅々を見て回り、それら一つ一つについて思いを巡らせ考察することでアリスはこの施設についてまたいくつか気付く事があった。

 それはこの施設はよくわからないということだった。

 この施設には意味のわからない生物が多すぎるのだ。ワタセは確かにこの施設は生物の"進化"を目的として活動しているとは言ったが、それでもこの施設の生物はよくわからないと感じる。

 アリスがこの施設で今日一日という時間を費やして見てきた生命体と言えば、一番最初に見てきたステゴサウルスのような生物、全身から生えてきている鱗が逆向きに生えてきており、凛々しい面構えをしたドラゴンを模した姿をしている四足歩行の生物、頭がタコのような形状をしている緑色の体色をした生物etc・・・

 その全てがどのような実験を行ったら行えばそのような姿になるのか想像もできないようなある種異形とも呼ぶべき生物たちの数々だった。

 それらをじっくりと観察をして、それらに対して考察を繰り広げてみるが考えれば考えるほどにいくつもの疑問と結論が浮上と交錯を繰り返し、ただわからないということがわかったという答えに辿り着くということしか出来なかった。

 そんな、無駄とも有意義とも受け取れるような時間を過ごし、そろそろ自身の部屋へと戻ろうとアリスがこれまで通ってきた道を探し、引き換えしているとどこかの部屋から人の話し声が微かに聞こえてくる事にアリスは気がついた。 

 アリスは目を閉じて耳に意識を集中させ、その話し声が聞こえてくる部屋を探り当てた。そして、部屋の中にいる存在に気付かれないようにとできるだけ足音を立てないようにその部屋の扉の真正面まで近づき、扉に耳を押し当て聞き耳を立てる。

 そうしたことによってアリスの耳に入ってきた声は二人の男性の声だった。

「アリスの調子はどうだ?」

「依然として記憶の回復は見られず、我々に対する知識が欠如している状態です」

「そうか。計画の方はどうなっている?」

「アリスが現在あの状態のため前回からこれといった進展はございません」

「なるほど。だが、これ以上計画に穴を開けるわけにもいかない。それに、あまり悠長なことをしていると”お得意様”とのの関係を絶たれてしまうかもしれないしな」

「そうですね」

「そうと決まれば、速やかに計画を元の軌道に乗せられるように何かしらの手を打つのだ。これ以上の時間の浪費は命取りだと心してかかれ」

「わかりました。では、失礼します」

 それと同時に部屋の中から足跡が聞こえてきて、それが部屋の扉へと近づいていることを察知したアリスはすぐさま扉から離れ、廊下に存在する物陰に隠れて部屋の扉の方を見る。

 すると、そこから出てきたのはワタセだった。

 ワタセは何かを考え込んでいるようなスンとした表情で廊下を歩き、どこかへと去っていった。

 その様子をアリスはワタセのことが視界から消失するまでじっと眺めていた。

「行ったか···」

 アリスはもういないワタセの方をに目を向けながらそう呟く。

「私も戻るか」

 そう言いながらアリスは自身の部屋へスタスタと帰っていった。

 

  

  【4】

 アリスがこの施設の隅々を探索した一件から早くも一日という時間が経過し、昨日という日の記憶が僅かにではあるがすでに薄れ始めていた頃。アリスはベットに仰向けの状態で寝っ転がり、相変わらずの白い天井をじっと見つめていた。

「何をしようかな···」

 今というただひたすらに暇という一生続くかのように思えるほどの有限な時間を享受し、貪り散らしながらもこの状況から逸脱するためにと脱力し、上手く纏まり切らない緩みきった脳みそで思考する。

 だが、そんな思考の中であろうともアリスは1日中頭の中で思い浮かべているものがあった。 

 それは、昨夜、偶然見ることとなったあの部屋のことだった。

 昨日ワタセともう一人の誰かが意味ありげな話をしていたあの部屋。

 アリスの記憶に関すること、お得意様、そして”計画“という言葉···

 それらについて現状アリスがわかることなど何一つとして存在などしているわけがないがどういう形であれアリスに関係することではあるという確信が持てるアリスの興味が掻き立てられる言葉たちだった。

「行ってみるか」

 アリスは意味もなく顎に手を当てて考える素振りを見せた後にそう言葉を紡ぐ。 その言葉はただ見てみたいというまだ年端もいかない幼子が思い付くような本能的な欲望であり、自身の存在を知るためというこれ以上ないほどの大義名分にも聞こえるそんな2つの想いを混ぜ合わせた決意の言葉だった。

 そんな決意の句を述べた後にアリスは善は急げと言わんばかりにすぐさま準備をして目的の場所へと出かけていく。

 昨日通ってきた道をうろ覚えながらも記憶を頼りに進んでいき、右往左往しながらも部屋の前までたどり着くことができた。

 部屋に入ろうとカードキーを扉横のパネルへと押し当てようとしたタイミングで自身が悪いことをしているという一抹の不安の感覚に襲われ、この状況を誰かに見られてはいないかとアリスは周囲を見渡す。

 周囲に異変がないことを確認した後に、もう慣れた手つきで扉を解錠する。

 その部屋は想像をしていたよりかは至って質素な部屋だった。

 部屋の中央には高さ5mほどの天井と隙間なく接触している円柱型の内部に水のような液体が入っているオブジェクトが設置されており、その周囲を取り囲むかのようにいくつもの電子機器と机、紙媒体の資料の類が置かれているというこれまで見てきたこの施設の部屋たちから見てみればこれといって特筆するほどの要素を持ち合わせていない拍子抜けするような部屋だった。

 部屋の中には羽虫の一匹すら存在しない無人状態で、電子機器の全ての画面は真っ暗な読みに包まれ、アリスの顔が薄っすらと液晶に反射している。

 パソコンのキーボードなどに適当に触ってみても【パスワードを入力してください】というテンプレート極まりない文言が画面に表示れれてしまったため、アリスはしょうがなく机の上に整理整頓された状態で置かれている紙に印刷されてた資料や報告書のいくつかに目を通して見るもののいくつもの専門用語とよくわからない言葉の羅列によりそれの内容の一切を理解することはできず、頭がショートしそうになった。そのため、すぐにそこから目を離して他のところにあるものを探そうとする。

 すると、アリスはその部屋の中でたった一つだけ電源がつけっぱなしになっているパソコンを発見した。

 そのパソコンの存在が無性に気になったアリスはすぐさまそのパソコンの前まで駆け寄る。そして、パソコンの液晶画面を確認してみればすでにパスワードは入力済みであり、そこにはパソコンのホーム画面といくつかのファイルとデータが表示されていた。

 アリスはこれは好機だと思い、どこの誰かも知らぬ不用心な人物に責任を転嫁してそのパソコンに内包されているファイルデータの隅々にまで目を通していく。

 しかし、やはりそこに記載されていたものたちもアリスの要領を得ないものばかりであり、アリスはそれから興味が失せようとしていた。

 そのようなタイミングでアリスがとあるファイルを開いた瞬間、アリスの意識はそのファイルに釘付けになった。何故ならそのファイルには百という数字を有に越し、千単位ほどの数の報告書のようなものが内包されていたからだ。

 それらの膨大すぎるデータ達によってアリスの興味関心は掻き立てられ、そのファイルの一ページ目から目を通し始める。

 しかし、この行動をアリスは後に後悔することになる。何故ならばそれらはアリスにとってはある意味では探し求めていたものであると同時に全身の身も毛もよだつようなあまりに正気とは思えないようなおぞましい内容のものだったからだ。


トランスフォーメーション計画について

記述者:山崎 和夫

作成日:20××年10月25日

この資料にはトランスフォーメーション計画に関する全ての資料をまとめ、追加していくものとする。

前述:前述としてトランスフォーメーション計画の立案経緯について記述する。トランスフォーメーション計画、通称トランス計画は20××年8月15日に国際連盟から発表された調査資料を確認したことから計画の立案をし、二ヶ月近くの期間を経て20××年10月18日から本格的に始動し始めた計画である。

前述した国際連盟の調査資料の内容は、以下のようなものである。

現在地球上では毎年数十年以上前から変わらず気温上昇が続いている。そして、その上昇している気温の数値というのも年々増加傾向にある。さらにはそれらと常に同時に起こっている感染症や自然災害の発生件数も比例して上昇している。

これらのことに対してAIシュミレーションなどを行った結果いつか人類の対処許容量を超え、今後100年以内に人類は滅亡するという結果となった。このことに対し、国連はあらゆる研究機関、あらゆる人間に対して協力を要請し、この事案に対して徹底的な対処を行っていくことを決定した。

とのことである。

この発表の後に我々が所属するセンチュリーにまでも要請が来た。これに対し、我々が会議を開き、話し合った結果、決定され立案されたのがトランス計画である。

内容:この計画の内容は主に我々の研究理念である生物の進化の追及と促進を人間に対して行うというものである。我々が人間が人為的な進化を行うことができる方法を模索し、これから起きていく自然災害などに対して適応し、共生していくような進化を人体に促すことが目的となる。しかし、それには数々の人道的、倫理的な問題と人を使うというコスト的な問題などが重なり合っていることから我々は最近アメリカが開発を成功させたという人造人間正常マシンを使用することを決定した。これにより人を実験で使うという大きなハードルをなくすことに成功した。我々はその生成した人造人間のことをアリスと命名し、この計画のためにありとあらゆる人体実験を行い、この研究のために有効活用していくこととした。

アリスについて:アリスの容姿は生成する際に消費する構成物質の量やセンチュリーに対して多額の融資をしてくださる方たちのご要望により幼児体系にしたものの、体内の組織の構造などはほぼ成人と同程度としているため研究に支障は出ないこととなっている。さらに、研究を行うにあたって被検体であるアリスに感情というものがあるとまずいため脳の大部分を切除するべきだという話になったが人体においてもっとも重要な器官のひとつである脳の大部分を切除して実験を行えば人体に対して実験などを行ったときに支障が出かねると考え、ロボトミー手術をはじめとした感情に関するあらゆる脳科学を分析した結果切除したとしても日常生活に支障をきたさずに感情をなくすことができる部位があることを発見し、アリスを生成する際にはその部位を必ずなくして生成することとする。そして、アリスは必ず一人だけ存在するものとし、その個体が死亡した場合は新たなアリスを生成するものとする。


 アリスはその自分に関するおぞましい事実を目撃し、今にも正気を失い膝から崩れ落ちてしまいたくなるような衝動にかられ、手の先を痙攣させ小刻みに動かしていた。

 そんな状況も束の間、アリスは報告書のファイルに添付されていた自分たちに関する資料を見つけてしまった。それらをぱらぱらとファイルに内包された報告書の数々を流し読みしながら確認し、それら一つ一つに目を通してみれば1000を優に超える自分とは全く違う自分の情報がそこには事細かに記載されていた。そして、一番最後に存在したアリスの資料を覗けば現在ここに存在している自分に関することが書かれた物が存在していた。


個体名:アリス2245

記述者:渡瀬 信彦

作成日:21××年3月10日

個体情報:この個体はこれまで我々、センチュリーの職員が生成、実験、処理をしてきたアリスたちとは明らかに一線を画す特異性を有している個体である。その特異性の一つとして感情の有無があげられる。これまでのアリスたちは我々が生成の段階で意図的に脳の一部をなくしていた状態で生成を行うことにより感情というものを持ち合わせるということなどありえないことであったがそれが設定ミスによる出力か設備の不具合によるものかなどの明確な要因はわからないがないはずの脳の一部がある状態で生成され、感情というものを持った状態で目覚めてきてしまった。また、我々がアリスのマインドコントロールを目的として与えていたはずのアリスがこの施設にいる意味、アリスの存在意義などの記憶の一切を失った状態で目覚めてきてしまっていた。

そのため、ほかの個体と同様にすぐさま研究の被検体として活用するには問題があると私が独断で判断し、施設長も聞き入れてくれたため、アリスをしばらくの間観察対象として生命の安全を確保しながら徐々にデータの収集をしていくこととした。

その間に原因の究明とアリス2245の記憶獲得を同時並行で進めていくこととする。


 その自身という存在のすべてを知ってしまったアリスは理解した。「私はここには本来いるはずのない存在なのだ」と、「髪の毛一本分でも結果が違えば今頃死んでいた存在なのだ」と。

 そんな無理矢理理解をさせてくるまごうことない事実にアリスは打ちひしがれる。こんなことなど知りたくなかったという思いが脳内を支配する。

 さらに、心臓のテンポは急速に速度を早め脳細胞により早く酸素が供給されるようになったことで思考速度までも加速し、様々な感情と言葉の不規則な羅列が脳内で展開されることで考えを纏めるという行為が阻害してくる。

 しかし、そんな状態を強制的に解除させるかのようにアリスの頭に一つの可能性が過る。

 それは誰かがこの部屋に戻ってくるかもしれないということだった。

 考えてみれば当然のことである。何故ならアリスが現在こうしてトランス計画に関する資料の内容を見れているのは、今アリスの目の前にあるパソコンが起動しているからだ。そして、パソコンが起動しているのは誰かがパソコンに触れていたということ。ならば、今この部屋に誰かが戻ってくる可能性があるのは自明の理だった。

 その可能性に気づいた瞬間にアリスは脇目も振らずにこの部屋から去ろうとした。

 だが、その行動を取るにはすでに遅すぎたということをアリスはその身を持って知ることとなる。

 何故ならアリスが向かおうとした扉の前にはワタセが何人も通さない門番のように立ち塞がっていたからだった。

 その光景を目にした瞬間、あまりにも予想外の事態であったことからアリスの思考は止まった。

 駆け出そうとした足を急ブレーキさせたことにより体が少し前に倒れ、そのまま転んでしまいそうになるが足を前に出してなんとか踏みとどまる。そうして、改めて目の前にいるワタセの方に目を向ける。

「ああ、見てしまいましたか」

 ワタセは呆れるような声でハァとため息を溢しながら呟くようにそういった。

「遅かれ早かれいい加減状況を変えないと上がうるさそうなのでそろそろこちら側から言おうと思っていたのですがまさかあなた自らの行動で知ることになるとはね。パソコンの電源は随時切っておくべきでした」

 ワタセは上辺だけでも取り繕うと誰に聞かせるわけでもなく反省の句を独り言のように述べる。

「それで···私をどうする気?」

「?どうするとは?」

「不可抗力とはいえこうしてこの施設の、私自身の秘密を知っちゃった訳だしさ口止めとして殺されるのかなって」

「殺す?あなたを?そんな手間なことしませんよ。面倒くさい。それに私はあなたに可能性を見ています」

「可能性?」

「報告資料を見たなら知ってると思いますが貴女はこれまでのアリス、あなたの姉にあたる存在達は感情という最も人間らしいものを持っていませんでしたがそれを貴女は持っている。そして、私は感情とは人間が起こす事象の中で最も大きい変数だと思っています」

「何が言いたいの?」

「簡単な話です。私は人間の進化には感情というものが不可欠だと思っている。つまり、あなたという存在は私にとっての可能性であり、鍵なんです。私はあなたという唯一無二の存在を尊重します。できることならあなたを失いたくはない。それだけです」

「あなたがそうでも上の人たちは違うんじゃないの?」

 アリスは存在している不確定要素の一つ一つをゆっくりと紐解いていく。

「そうですね。上の連中はコストのことばかりに目を奪われて本質を見ていない。あれでは人間の進化など程遠いでしょう。ですが、彼らと私の間に雇用関係ができている以上私は彼らに逆らえない。そのため、今回偶然生まれたあなたをみすみす死なせるような真似はしたくないのであなたという存在を私は私の用いる全力を持って保護することは約束しましょう。どうです?私と手を組みませんか?」

 アリスはそのワタセの言葉を聞いたとしても首を縦に振ることはしなかった。ワタセが淡々と語ったそれらのこと全てを一度に信用することはできなかったがワタセという存在をある程度は利害が一致しており、協力関係を結ぶことができる存在であると理解することができた。しかし、あらゆる事象、あらゆる可能性、あらゆる思惑に目を向ければアリスは今このときにYESとワタセに返事をすることなど不可能だった。

「返事を今出す必要はありません。じっくり考えてください。三日後に正式な返事を聞きにきますのでそれまでに答えを決めておいてくださいね」

 そう言うとワタセはアリスに背中を向けてゆっくりと部屋の外へ立ち去っていった。

 その数分後アリスも同様に部屋からスタスタと立ち去っていき、部屋の中は物音一つすらしない無人状態となった。


   【5】

 その出来事が起こったのはワタセが提案を持ちかけてきてから丸一日が経過したほどの頃だった。

 時刻は午後6時を過ぎてから数分ほどの時間が過ぎた頃。アリスはもうしなければ落ち着かないというようにいつも通り机に向かって本を読んでいた。しかし、本を数ページ読んだら少しばかり読むのをやめて天井を眺めたり周囲を見渡したりなどといった行為をしており、明らかに本に集中できていないことが手に取るように感じられ、ルーティーンである本を読むという動作によって無理矢理気を紛らわそうという魂胆が透けて見える。

 そんな明らかに無駄だと言える行為を数時間近くもしていたその時、扉がある方向からもう聞き慣れた甲高い機械音と扉が開く音が聞こえてきて、アリスがそちらの方に目をやった瞬間アリスはギロリとそちらの方を睨んだ。なぜならそこにはワタセがいたからだった。

「何しにきたの?」

 アリスは眼光だけでワタセのことを殺せてしまうかのように眉間に幾つものシワを寄せ、睨みを効かせながらワタセのことをじっと見ている。

「そんな怖い顔をしないでください。一応昨日協力を持ちかけた身なのですが」

「何が協力だ。私たちの命を弄んだ存在の話をそう簡単に信用できるわけない。どうせ私のこともハエのように無関心に殺すだけでしょ?」

 アリスは声色を低くし、軽蔑し、圧をかけるように言葉を投げる。

「私はただあなたという存在に人類の進化の可能性を見ているだけですよ。それ以上でも以下でもない」

「その進化のためにどうせ私の体も弄るんでしょ?どっちも同じだし、そんなあなたのことを信用するなんて到底無理な話すぎる」

「私はあなたのことは保護すると言ったはずなのですが?」

「そんなのをすぐに信用するほど私は馬鹿じゃない。それで今日はなんの用?」

「用というほどでもないのですがお話でもしようかなと」

「お話?」

 アリスはワタセに懐疑的な視線を向けながら言う。

「私達がこうしていがみ合ってるのはお互いのことを知らないからかと思いましたので話し合いでもして親睦を深めようかとね」

 ワタセは顔に笑みを浮かべながら嘘か本当かもわからないような言葉を相変わらず吐き出す。 

「私がその提案に乗るとでも?」

 アリスがそう直接的に断りの返事をしたとき、ワタセはこの部屋に入ったときから片手に持っていた袋に手を突っ込み、ガサガサとという音を立てながら袋の中から庶民的なクッキーのお菓子の袋を取り出した。

「折角なのでお菓子も持ってきました。食べます?所詮この施設に放置されてた余り物ですけど」ワタセがクッキーのお菓子の袋を高々と掲げながらそう言うとありアリスは袋の方に釘付けになっていた目線をワタセの方へと向けて「話ぐらいならしてあげる」と妥協するように呟いた。

 それを聞いたワタセは微笑んだのちに近くに置いてあった椅子に腰掛け、机の上にクッキーの袋を置き、アリスと向き合った。

 それから小一時間ほどアリスとワタセは話し合いを繰り広げた。話し合いといってもそこまで小難しいことは特に話さず二人がただ菓子を片手に聞きたいことを聞き、言いたいことを言い合うだけ。その光景はまるで学生同士が休み時間に無意味でくだらないような平凡な会話をするのとどこか似ていた。そんな永遠とも感じられるほどに長いと思わされる対話はすでに一時間近くも話し込んでいるというのにまだ現在進行形で終わる気配などなく続いていた。

「結局あなたたちが定義する進化ってなんなの?」

「我々の言う進化はあなたたちが想像しているものとそう変わりはありませんよ。ダーウィンも言っていたように適者生存、環境に適応するものだけが生き残るというのとほぼ同じです」

「でも、進化っていうのは数百年単位で行われる環境の変化に対応してその環境で生き残りやすい存在が生き残って段々それが種族全体に反映されることでしょ?それなら意図的に進化を促すのってあなたたちの定義からズレない?」

「そこを突かれると少し対応に困りますがそうですね、どう説明しましょうか・・・」

 ワタセはクッキーを一つ頬張り、顎に手を当てて考える。

「我々が生物に対して行なっているのはこれから起こり得るであろう環境の変化に対しての足りないところの補填、その生物の欠点をなくすということなので進化といえば進化だと言えると思いますよ。生物としての欠点がなくなるということは立派な進化です」

「つまりは完璧な生命体の実現が目的ってこと?たとえば不老不死とかの」

「受け取り方によってはそうともいえますね。しかし、不老不死を実現するのは限りなく不可能に近いので現状はあくまで適応させるという形をとっています」

「完璧な存在か。そんなものを追求することも中々に破綻している気がするけどね」

「どうしてですか?完璧を求めるというのは人の常だと思うのですが?」

「人類が求めるところだとしてもそもそも人の能力に限界があるからね。完璧なんてあり得ない。これは世界共通の理だと私は思うよ」

 アリスはワタセが語った持論をあっさりと受け流し、切り捨てる。 

「まぁそういう考えもありますね。ですが、追求をやめたときが人の果てるときだと私は思います」

「それはどういうこと?」

「言葉通りの意味ですよ。人間という種族は追求するという行為をしてきたからこそ、現在まで発展していくことができた。そんな種族が追求をやめたら答えは明白です。だから、たとえ無意味だと思っても追求はやめてはならない。なぜなら追求をやめたらそれは終わりへの道だから。これが私の考えですね」

「そっか。聞いてみたらそう思うかも」

「わかっていただけたら幸いです」とワタセが言い切ったタイミングでワタセのズボンのポケットの方からなにかの通知音のような音とバイブレーション音が聞こえてきた。

 その音が聞こえてきた瞬間にワタセはポケットに手を入れ、スマートフォンのような形状の携帯機を取り出して画面に表示されていることを確認する。

 すると、ほぼ反射的に行われているような慣れた手付きで今もなお流れていたバイブレーションの音が消えた。

 画面を操作する以外何もしないことを考えるにおそらくはアラームでもかけていたのだろうとアリスが推測をしているとアリスに対してワタセが口を開く。

「もうこんな時間ですか。それではお先に失礼します。二日後にまた来ますのでそれまでに答えを決めておいてくださいね。それでは」と、手を振りながらワタセは部屋の外へとそそくさと去っていった。

 アリスはワタセがいなくなり、しばらくしたタイミングで「はぁ」とアリスしかいない部屋の中で少し大きなため息を溢した。

「どうしたものかな···」

 アリスは気だるくやる気がなさそうに、だがやるしかないという雰囲気を漂わせながら呟いた。

 アリスは現在自身が置かれている状況に頭を悩ませていた。この施設のこと、アリスという存在とその意義、ワタセの言葉、そしてワタセについていった先にあるもの・・・分かることと分からないことが多すぎてアリスはどうすればいいのかを決めかねていた。

 このままワタセの言葉を無視して逃げてしまおうか、それともワタセに従いワタセに自身の生殺与奪を委ねてしまおうか、いっそのこと反乱でも起こして施設ごと亡き者にしてしまうことをありだなどと様々な選択と結末を想像する。

 だがしかし、アリスが思い浮かべているいくつもの選択はどれも自身の生命を危険に晒すもにばかりであることに加えてどれも実現不可能なものばかりであるため、アリスが現在行なっているこの行為はある種の現実逃避と呼ぶべきものに近く、子供が遊びで考える空想のようなものでもあった。

 やがてその行為自体に脳みそのリソースを割くことに疲れ、面倒臭いと思うようになってきたため選択肢の創造をやめたことで脳内は急激に冷静になり、まともに思考できるようになってしまったことで自身に選択の余地などないということに気づいてしまった。

 施設から脱出しようとしたところでそもそも施設から外へ出る道も出入り口も見たことがない上にそのための道具も持っていない。ワタセから渡されたカードキーならあるが流石にそれだけで出られるほどガバガバなセキュリティにはなっていないだろう。それに実験対象に脱出の手口を渡すほど施設の人間も馬鹿ではないだろうなどと自分で思いついたことに自分でツッコミを入れるというなんとも無駄で虚しいことをしながら結局はワタセに身を委ねるということでしか自分が生き残る道はないという自身が現在置かれている立場にアリスは絶望する。

「死ぬほど嫌だけど仕方ないか」と再度憂鬱な感情と鬱憤を含んだ大きなため息を口から吐き出して二日後を待つこととした。

 

 そして、その日がついにやってきた。

 その日のアリスは起きたときからワタセが来ることを今か今かと胸をざわめかせ、手元で、足元で、何かをしていないと落ち着かない状態でいた。

 指で爪をいじったり、意味もなく前髪をいじったりなどしているとそんなソワソワした空気感を断ち切るかのように部屋の扉が開く。

 そこにはもはや見飽きたと言ってしまえるほどに予想通りワタセがいた。

「やっときた」

 そう言いながらアリスは部屋に入ってきたワタセに駆け寄る。

「いつまで経っても来ないから待ちくたびれたよ」

「すいませんね。少し所用で時間を割かれまして、少し遅くまりました」

 ワタセは相変わらず信用したいが信用しきれないような底の見えない軽薄な笑みを浮かべながら言葉を並べる。

「それで返事の話なんだけど・・・」とアリスがワタセに用意した返事を言おうとした時、ワタセはそれを遮るように口を開いた。

「ああ、その話はもういいんです」

「え?」 そんな言葉の意味を理解できないという魔の抜けたような声をアリスが出した瞬間、部屋の扉から幾人もの白い防護服とガスマスクのような形状をした被り物を頭に装着した集団が侵入し、アリスのことを複数人が取り押さえた。

「これはどういうこと!?」

 アリスはまだ情報を処理しきれず若干の戸惑いを感じながらもワタセに対して明確な怒りを向ける。

「いや~私としては本当に申し訳ないとは思うのですがこちらの事情がありましてね」

「事情?」

「はい。前に言いませんでしたか?”私は上の連中には逆らえない”と」

「まさか···」

「そう、そのまさか。これは上の指示です」

「裏切ったの?」

「裏切る?人聞きの悪い言い方はやめてください。確かに協力は持ちかけましたがまだあなたの口から肯定の言葉は聞いていませんでした。それに、私はあなたのは協力こそしようとしたもののその関係は対等ではなくあくまで主従です。何故私があなたのような実験動物と対等な関係にならないといけないのですか?」

 ワタセは上っ面ではこれ以上ないほどの笑みを浮かべているもののその画面の下側と言葉はどこまでも無感情に、ただ淡々と、アリスという存在を切り捨て、崖から突き落とそうとしているように感じられた。

「私にも立場というものがあるのでね。それを少しは考えていただきたい」

 その言葉を聞いた瞬間、アリスの中で何かがぷつりと切れた音がした。

「ワタセ!!!」

 アリスは声帯が焼ききれ、喉が潰れるほどに金切り声にも聞き取れるほどの強烈な叫び声を上げてワタセに対して明確な殺意の籠もった視線で睨みつける。そして、ワタセのその排泄物以下の吐き気がするような醜悪な言葉しか発さない喉元を噛みちぎってやろうと全身に最大限の力を込めて暴れ回ろうとする。

 だが、大の大人数人に全身を拘束されている状態の非力なアリスではそんなことなど夢でも叶うことはなく、押さえつけられた状態で暴れようとするアリスを止めようと白い防護服の連中にそのまま気絶させられてしまった。

 意識が暗闇へと沈んでいこうとしている最中に微かにではあるがアリスはアリスに向けて言ったワタセの言葉を聞き取った。

「それでは、また後で」

 それを聞いたと同時にアリスの意識は深い暗闇の底へと沈んだ。

   

  【6】

 アリスは白い天井を見つめながら目を覚ました。アリスは寝て起きるたびに見たことしかないこの白い天井を見ることに呆れるような感情を感じながら寝起き特有の自己意識がまだハッキリとしない脳みそで寝る前の記憶を思い出そうとしながら体を起こそうとした瞬間、“何か”にそれを阻まれた。

 何が起きたのかわからず、戸惑いながらも唯一動かすことが出来る首を精一杯動かしながら自身の身体がどうなっているのかを確認してみればアリスは現在、地面と並行になるように設置されている手術台の上で仰向けになっており、手足を手術台に取り付けられている鉄製の拘束具のようなものによって動くことかできなくなっているという自身の境遇を理解した。それと同時に自身がここへ来る前のことも思い出す。

 思い出した瞬間、今こうして寝ている態勢でいることに居ても立っても居られなくなり、手足を固定している拘束具を引きちぎろうと手足に力を込めて思い切り上方へと動かそうとする。

 手首や足首に拘束具が食い込み、血管が圧迫され、アリスの体のほうが先に千切れて飛んでいってしまいそうなほどの痛みと手先や足先が真っ赤に染まり内側から破裂してしまいそうな血液が行き届かない感覚がアリスを襲う。

 30秒近くそうしていたが少したりとも拘束具が動く様子がないことと手足の耐久が限界を迎えたことで段々と力を抜いていく。

 ジンジンと痺れるような痛みのある状態の腕や足を休ませ、深呼吸をしながらなんとかこの状況を打破できないかと頭を巡らせているとアリスから見て左側の方向から聞き馴染みのある声が聞こえてきた。

 「ああ、もう起きましたか。意外と早いですね、もう少しかかると思っていました」

「ワタセ···」そう言ってアリスはワタセのことを首を出来る限り左側に動かし、睨みつける。

「そんな怖い顔しないでください、と言っても無理ですかね」

「あなたのことは絶対に許さない」

「許してもらわなくても結構ですよ。元々そういう関係ですので」

 ワタセは相変わらず淡々とそう言葉を溢しながら手術台の横に置かれているなにかの器具のようなものを若干耳障りな金属音を立てながら弄くっている。

「まぁそんな積もる話は置いておいてお別れの時間です」

 手に注射器と思しき物体をアリスに見せつけるかのように持ちながらワタセはいった。

「私がこの研究所で担っている役割はただのアリスのお目付け役というわけでわなくてトランス計画でやること全般が私のすることですのでこういう汚れ仕事みたいなのもするわけなんです。だから、こういうのはもう慣れてしまったので温情とかはないと思ってくださいね」

 アリスは徐々に息を吐くテンポを早め、息を荒げていく。

「実験は基本的には薬物投与による状態変化を見るものなので中には中々に苦しいものなどがあったりするのですが今回はあなたという存在に免じて比較的痛みが少なく楽に生命活動が停止できるものを投与してあげますよ」

「やめて··」

「アリス、私はあなたをこうして失うのが惜しくてならない。偶然の産物とはいえあなたという私にとっての鍵に近い存在をこうして私の手で亡き者にしなくてはならないのは心苦しいですがこれも仕事ですので仕方ありませんね。私の理想形はあなたの”妹“たちに任せるとします。さようなら」

 ワタセがそう言うと同時にアリスの身体に正体不明の薬物が投与される。

 それから先、アリスの身に何が起こったのかはアリス自身も知る余地がなく、だがしかし、眼の前に映っていた景色がまるでブレーカーが落ちた瞬間のように真っ暗闇に染まり、痛いという感覚すらも忘れ気味に感じるかのようにアリスの自己意識は永遠に果ての知らない暗黒の中へと落ちていった。




  エピローグ

 薄暗く、それでいて薄汚れてホコリまみれの廃墟のような白い部屋の中で一人の老人と一人の少女が話をしていた。

 話と言っても少女の方から何かを話すことなど滅多になく、あるとしても疑問形の一言を言うばかりでありその光景は子どもたちに紙芝居を披露する紙芝居屋のように、それでいてもう通り過ぎてしまった懐かしい過去をまた取り戻したいとでも言うかのようにその老人は話をしていた。

「これが事の顛末さ。この話のアリスのような、君のような存在とそうでない存在、それらの魂を何千何万という数捧げていったことで完成形である今の君が生まれたのさ」老人は声のトーンは一切変えずにただ淡々と昔話を語る。

あなたは何人殺したの?

「殺した個体の数?これはまた酔狂なことを聞くね君は。そうだな···3万を超えたあたりから数えていないな」

 少女はじっと目を細めて老人の方に目線を向ける。

「そんな鋭い目で睨まないでくれ。実験によって君の“姉たち”を何人も無意味に殺してしまったことには申し訳ないとは思うがそれがなければ君は生まれてくることすら叶わなかったのだから少しは我々に感謝してほしいところだね」

 少女と老人との間にしばらくの間無言が訪れる。

「しかしまぁ、皮肉なことだ。100年という歳月をかけてようやく人類の新たなる進化系、私の理想形である君をようやく完成させることができたというのにそれを適応できるのが最早私一人しかいないにも関わらず私はもうそれが適応できるほどの肉体強度を持っていないときた。とんだお笑い話だよ」

「つまり、君が実質的な最後の人類ということだ。君がこれからの人類を担う存在になるのさ。それが私からキミに贈る最後のプレゼントさ。快く受け取ってくれ。」

 少女がいつまで経っても黙っている中で老人は再度話し始める。

「さぁもう行き給え。私のアンチエイジングも切れてきた。私ももう長くはないだろうな。これで君は晴れて自由の身だ。何処へだって行ける、どんな事もできる。その体をどうしようと君の勝手であり、君の思うがままさ。何故なら君はもう死ぬことはないのだから。神と人から与えられしその肉体を朽ち果てるまで酷使するといいさ。アリス・・・・・・終わりの国の末っ子よ。君に永遠なる呪いと祝福があらんことを」

 老人がそう言葉を言い切った後に老人に背を向けて少女は立ち去っていく。 

 その時、老人は少女には決して聞こえることのないほんの僅かな声でこう言った。

   ”猿の時代の再起までね“と

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終わりの国のアリス リョウカイリ1004 @20240203

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