第21話 新世界への導き手

「こりゃすさまじいな」


 乳メスブタこと片瀬比奈、彼女が去り際に俺に授けた叡智なる書物たちは言うなれば『上級魔導書』であった。

 男同士の両思いが必然である世界観の作品。

 そもそも惹かれあっている状況からはじまる作品。

 互いの思いを確かめ合えていないだけですでに強い繋がりができあがっている作品。

 強引な攻めの魔手に抗えずとろけ落ちていく受けの様子を描いた非現実的エロ作品。

 そのどれもが総じてお楽しみ・・・・をメインに描いており、男同士という障害を乗り越えて結ばれるまでのサクセスストーリーがどうも薄味だった。嗜む者たちにとって、お楽しみが濃厚なのは大変よろしいことなのだろうが、いまの俺が求めているものとは違うのだ。家庭的なカレーライスを楽しみに家に帰ったのに本格スパイシーインドカレーを出されても困惑するだろ?


 俺が求めていたのは本番がバンバン出てくる大味のものじゃなくて、繊細かつ微細な心の揺れを緻密に描いたBL作品なのである。ボーイズラブ初心者が入門編として履修する男同士の王道恋愛ストーリーを知りたかったのだ。言うなれば『初級魔導書』を手にしたかった。メラを覚えてもいないのにメラゾーマを覚えろと言われても無理がある。


「これを参考にして上手くいくなら世界はBL天国だよ」


 ベッドに寝っ転がってマットレスに全体重を乗せる。煩わしくも永遠とのしかかってくる重力に押し潰されながら、俺は力無く大文字で横たわった。ちらりと時計を見る。時刻は深夜一時。数冊あったメスブタの教えを読み解いている間にかなりの時間を浪費していたようだ。未知なる知識の新大陸を大冒険した俺の脳はすでに店仕舞いを済ませており、連動して働くまぶた従業員が重くとろりと垂れ下がってきていた。

 いかんな。本を散らかしたままだ。片付けないと。

 そう思いながら、大きなまばたきをした次の瞬間、すっかり太陽が登っていた。

 小鳥さんたちがピーチクパーチク楽しげにやっていらっしゃる声がする。

 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 時計に目をやる。


「五時か。弁当作んなきゃな」


 寝癖だらけの頭をかく。あくびが出た。よいしょとベッドから起き上がる。

 伸びをしながら部屋を出て、リビングへ足を踏み入れる。

 まず目に入ったのは、部屋の真ん中に置かれたテーブルに積み上がったメスブタの魔導書。

 その奥、凡庸ヒト型決戦兵器に息子を乗せようとする親父みたいなポーズをとって静かに座るリリアナ。

 与えられたBL本の中でも一番過激な一冊を机に広げて、やけに影のかかった目元でそれを睥睨している。

 組んだ両手のせいで表情は見えないが、研ぎ澄まされた弦のようにピンと張り詰めた雰囲気があった。

 台所で口をゆすいでうがいをする。歯磨きを済ませてトースターにパンを入れた。

 いまだリリアナは石像のようにポーズを維持して無言である。

 俺は彼女に声をかけた。


「おはよう、リリアナ。帰ってから寝てないのか?」

「……ねぇ、ワンちゃん」

「どうした?」

「これ、ワンちゃんの本?」


 つつつ、とリリアナの長い指が裸の美男子の上を滑る。靴磨きのプリケツ少年アルディンくんだ。貴族のバカ息子の靴とホニャララを毎朝磨くのが彼の日課だ。実に大変な暮らしである。俺なら耐えられないね。


「俺のじゃない。借り物だ」

「……なんでこれを借りたのかしら?」


 低く厳かな声と共にリリアナは視線をこちらへやった。借りたというか、与えられたというか、突然授けられたと言った方が正しいのだが。なんと答えようか、しばらく思案して彼女と見つめって、そこで気づく。


「──あ、そうじゃん」


 俺はとんでもない見落としをしていた。灯台下暗し。身近にあればあるほど目に入らないものがある。その最たる例が今回のことだろう。本や漫画などの創作物に頼らずとも、生きた教科書が目の前にあるじゃないか。

 俺はテーブルに腰掛けてリリアナの正面に座った。

 そして、彼女に──生物学的に言えば『彼』に恋愛相談をもちかける。


「俺、男を好きになったんだけど、よければアドバイスもらえる?」

「──覚醒、したのね?」


 重々しく重ねられた問いかけ。

 頷くと、オネエであるリリアナ(本名、犬神茂)は感情の読み取れない複雑な表情で微笑んだ。


「ようこそ、こちら側へ。ウェルカムトゥアンダーグラウンド」


 新たなる門出を祝うかのようにトースターが「チン」と音を立てた。

 香ばしいパンの匂いが広がる。

 新世界への導き手はこんなにも身近にいたのだった。

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