第16話 この感情の名前は──
ここ数日は、忌々しきメスブタどもの調査に忙しかった。
婆ちゃんのアドバイス通り、彼女たちのことを探ったはいいものの、手塚への接近禁止を取りやめさせる冴えたやり方は思い浮かばない。俺が昼間のことをいまだに好きだという誤解が今の状況を作り上げているので、その誤解さえ解ければどうにかなるかもしれないのだが、真実を証明する良い方法が思いつかんのである。
いっそ、誰かに嘘告白でもして「他の人を好きになりましたよ」と暗に伝えるか?
けどなー、そんな不誠実なことしたくないよなー。
自惚れかもしれないが、付き合えちゃった時も面倒だし、この案はなしだろう。
もう一週間以上、手塚とおしゃべりできていない。メスブタどもが我が友の周りをうろちょろする姿に苛立ちが募るばかりだ。もはや、初恋の人である昼間瞳子すら憎くて堪らない。富が丘高校男子諸君から美少女と持て囃される彼女たち。俺からすれば、そのすべからくが卑しいブタに過ぎない。いっそのこと、捌いて揚げてとんかつにしてやりたいくらいだ。慈悲として千切りキャベツは添えてやる。ずるい、ずるい! 俺も手塚と話したいのに!
「ワンちゃん、貧乏ゆすり凄いわよ? なにか悩みでもあるの?」
「うーん、まあちょっとな」
「あたしに相談してくれてもいいのよ?」
化粧ポーチ片手に洗面所から現れたリリアナ。
出勤前ということもあり、ばっちり身なりを整えた彼女が隣に座った。明るい深緑のリップが唇を苛烈に彩っている。香水。甘く焦がしたバニラのような香りが漂った。リリアナはソファーに体を沈み込ませながら長い足を見せつけるように組む。つけまつ毛に飾られた瞳でばちこーんとウィンクして「ほらほら、早く話しなさい」と言外に催促してきた。
鼻につく。
しばらく言葉を整理する沈黙を挟んでから、俺は彼女に愚痴をこぼした。
「前に友達になりたいって言ってた奴と自由に話せない状況なんだよ」
「なんで?」
「色々と問題があって」
「あら、かわいそう。はやく問題を解決したら?」
「そう簡単に解決できないから悩んでるんだろーが」
「あん、そんなにカリカリしないでよ。じゃあさ、どんな問題か言ってごらんなさい。あたしがバチっと解決してあげるわ」
「やだ。恥ずかしいこと言わなきゃダメだし」
告白して振られて、その腹いせに他人の恋路を邪魔している厄介者。そんな残念な男に勘違いされてる現状を身内に知られるなんて嫌すぎる。鼻に皺を寄せて白目を剥き「絶対に喋らねぇ」と意思表示。
肩をすくめてリリアナはため息をついた。
「やれやれ。困った子ね。けど、ワンちゃんがそこまで情熱的になるなんて、その子よっぽど魅力的な子なのね」
「はい?」
情熱的?
俺が?
俺はいつだってクールで知的だろ(自己申告)。
「だってそうじゃない。あなた、今まで友達なんて一人も作ろうとしてこなかったでしょ。けどいきなり『友達になりたい奴がいるんだー』なんて宣言してさ。家に帰っても頭を悩ませるくらい、その子のことばっかり考えているんでしょ? 昔のワンちゃんならぜったいにそんなことなかったと思うけど? その子がそれほど魅力的だったから今みたいに夢中になっているんじゃないの?」
「……そうなのか?」
「きっとそうよ。──あら、もう行かなきゃ」
ソファーから離れたリリアナが荷物をまとめて玄関へ向かう。
考え込みそうになる脳みそを頭を振ってリセット。
俺はリリアナの背を追いかけて土間の前で見送った。
「気をつけてな。いってらっしゃい」
「はーい、いってきまーす」
ヒールブーツを履いた彼女は足早に家を出る。
扉が閉まった。
と、思ったら、扉が開いて、ぬっと顔だけを覗かせたリリアナが一言。
「引き出しの高級チョコ食べて良いわよ」
「なんだよ、いきなり」
「だってワンちゃん、イライラしてるみたいだし。ストレスにはチョコが一番よ」
「イライラしてる?」
「自覚なかったの? 貧乏ゆすりしてたとき、すっごい顔してたんだからね。眉間に皺入っちゃうわよ。じゃ、いってきまーす」
閉じられた扉越しに、ヒールブーツが遠ざかる音が響いた。
「俺、表情に出るほど怒ってたのか」
ぺたぺたと顔に触れる。
イライラが顔に出ていたとするなら、それは間違いなくメスブタどもへの怒りによるものだろう。
休み時間や昼休み、手塚に対してベタベタブヒブヒ好き放題。その様子を見ているだけで、心のマグマがぶくぶくと沸き立つ。思いっきり叫んで腹の奥に沈澱したモヤモヤをすべて吐き出したくなる。奴らの耳障りな鳴き声が耳に入るだけで思わず爪を噛んでしまうし、リリアナに注意されたように、近頃は貧乏ゆすりが止まらない。接近禁止令を受けて、かなり心を乱されているみたいだ。
ふと、思う。
それは、リリアナに「情熱的になっている」と指摘されたから。
「なんで俺、こんなに手塚に必死なんだろ」
あのメスブタたちに無理やり接触を禁止された反発心からか──腑に落ちない。
たしかにそういう感情の動きもあるんだろうけど、俺と手塚は交流を持ってせいぜい数週間の間柄だ。わざわざ彼女たちのことを調べ上げる労力。現状を打開しようと考え込む日々。それだけの苦労を買う友情を彼との間に構築できているかと言えば答えはノーだ。手塚との現在の関係は、俺の独りよがりによるところが大きい。彼の方から俺へ近づいてこないことからもそのことは明白だ。だとするなら、接近禁止を宣告された時点で苦汁を飲みながらも手塚から離れていくのが今までの俺らしさだと思う。
では、手塚の良いところをたくさん知ったからか──いや、違うな。
こうして深く考えてみると、それだけじゃ説明がつかない。良い奴だから友達になりたい。友達であり続けたい。俺が、そんな単純明快な理由だけで繋がりを求め続けるような人間だったなら、高校二年生になるまで一人ぼっちだったのはおかしいだろう。もっと早い段階で手塚以外の『良い奴』に声をかけていたはずだ。はじめて自覚した。俺はきっと手塚じゃなきゃダメなんだ。
では、ぼっち生活に心が耐えられなくなったからか──これも違う。
俺は元々、一匹狼気質だ。学生生活でどれだけ孤独を味わおうと、それが辛いことだとか、惨めなことだとか、そういうふうに感じることはついぞなかった。学校の外で楽しそうに並んで歩く制服姿の集団を見ても、無感情に通り過ぎるだけだった。俺はひとりでも平気だ。余裕で生きていける。そんなふうに考えることができていたんだ。けれど、手塚と出会って、そんな過去の自分はいなくなっていた。
では、手塚の過去に同情したからか。今の境遇に施しを与えたくなったからか──まったく違う。
同じく両親をなくした者として共感はあった。尊敬があった。ただ、それだけだ。第二の家庭環境に馴染めず、木造二階建てのアパートで一人暮らしをする手塚。すげぇと思った。かっこいいと思った。そして──心が痛くなったんだ。
誰もいない食卓で黙々と飯を食う手塚を想像して。
魔王と恐れられながら、嫉妬されながら、学校生活を送るあいつを見て。
昼間にも、日暮にも、片瀬にも、左近寺にも、金井にも、誰一人に対しても心を開かない氷のような冷たさを知って。
誰かがあいつのとなりに、ちゃんと寄り添ってやらないといけないと思った。
そして、それが俺であればと願ったんだ。
そうありたいと決めたんだ。
ああ、そうか。
だんだん分かってきた。
自覚できていなかった自分の心が、不明瞭だった感情の輪郭が、少しずつ浮き彫りになっていく。
傲慢でも、身勝手でも、余計なお世話だったとしても、俺は手塚の支えになりたかった。そんなもの、あいつは求めていないと分かっていても、俺がそんな存在になりたかった。
なぜなら、俺は──。
「──俺は、手塚が好きなんだ」
友情じゃない。
同情じゃない。
身勝手で、押し付けがましいこの感情には覚えがある。
夕日に染まる屋上で、昼間瞳子にぶつけたこの感情の名前は──愛情だった。
それを今、俺は手塚に対して抱いている。
胸に手をやり、握りしめた。
心臓が、熱いからだ。
キッチンに置かれた食器棚。一番端の引き出しを開ける。プラストローや割り箸、紙皿が整理された中に、リリアナが言っていたチョコがあった。彼女はいつもこの場所に、俺に食べられたくないお菓子を隠す。隠してあることは知っている。けれど、いつも食べないようにしていた。リリアナはそのことを理解してなお、ここにお菓子を置いておくのだろう。暗黙の了解というやつだ。
箱から一つ、チョコを取り出し口に含む。
「……なんだこれ」
高級なチョコレートだからだろうか。
口に入れただけで胸焼けしてしまうくらい、それはとくべつ甘かった。
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