第49話 時は進む

 

「おはようございます」

 

 朝起きて、ロディネに挨拶をする。

 今日は天気がよくて部屋が明る過ぎるから、ネロは薄手のカーテンを閉めた。昨日身体を拭く間にシーツを交換してもらったので、ロディネも心なしかさっぱりしている感じがする。ロディネは髭がほとんど生えないのでほとんど剃る必要はない。顔を拭いて、手をお湯で洗い、柔らかなタオルでそうっと拭いて伸びた髪を軽く梳いて整えた。

 

 ネロの1日はロディネの身の回りの世話から始まる。自分で全てやるわけではなく、人の手は当然借りている。プロの手と、立ち会いに管制長とビアンカ。そのメンバーが主で、あとはコルノを始めとした教務課の面々。その中に何故か管制部長がいるのが不思議な感じだけれど、ジーナやエルンストも一緒に来てくれるからまあいいかなと思っている。

 

 ロディネが眠ってから、1年が経った。

 

 ネロはロディネが眠る間に17歳になり、もうすぐ18歳を迎えようとしていて――そして、世の中では、戦争が始まろうとしていた。

 しかしネロは現場の仕事から外れて久しい。ロディネのところに来てくれる皆からで情勢を知るだけだが、皆ピリピリと忙しそうにしている。

 

 1年前――――

 グリーディオとの戦闘が起こった原因は、政治家や塔の内部、塔では調査課長を一番上として、グリーディオと密通している者達がいたのが原因だった。その動機は人によってまちまちだが、ただ人伝に聞く限りは、自分勝手なものが多いようにネロは思った。

 密通者達は、絆を結んだら他の導き手の導きを受けられないという番人の特性を逆手にとって裏切りを隠していた。

 そしてその中には、アニマリートその他の国の、きっちりとした倫理観や規制の中で研究や実験をすることに嫌気が差した研究官が複数いたそうだ。

 彼らは移住や亡命をし、その倫理感を放り捨てた状態の優秀な頭と好奇心や探求心をもってグリーディオに協力し、グリーディオの技術等の飛躍的な向上に寄与した。

 そうして生まれたのがあの妙な能力持ちの番人達だ。彼等は予後不良の怪我をした番人や、絆を結んだ相手を失った番人のほか、任務に失敗して切り捨てられた番人を素体としていて、試験的に人としての機能や、番人としての機能を弄り回されたなれの果てだそう。あの戦闘は、それが戦力としてどれ程のものなのかという実験だったのだ。

 鳶の男と鴎の女はあれから姿を現していないらしく、グリーディオ側の導き手の状況は分からない。何も分かっていないが、少なくとも実験体にされた番人は導きでの回復が想定されておらず、精神感応テレパスを一定以上の深度で受けると壊れるように設定されていたため、全容の解明には至っていない。

 元はそれなりの番人とはいえ、グリーディオ的にはもう使い捨てる予定の番人で、絆を結んだ中でも特に強いビアンカやベテランの番人を倒せてしまった。それはアニマリートには脅威で、グリーディオには僥倖となった。

 

 なお、ロディネが倒したあの蛇の男は捨て置かれ、アニマリートに回収されたが、壊れてもう戻らない。

 ただ壊れた男の精神から読み取った情報の一部によると、能力が高くグリーディオでも出世していい思いをしていたあの男は、ロディネの先生であるセイルに盾を壊された事により、一命はとりとめたものの、完全に回復はせず、いい扱いから外れてしまった。その矛先は盾を壊される事の要因でもあり、セイルが可愛がっていたレオナルドとロディネに向き、ずっと逆恨みしていたという何ともくだらないものだった。

 そして現在、グリーディオのこの暴挙をパラディオルの国家は問題視していて、今はアニマリートを中心に連合軍を結成し、本格的にグリーディオを滅ぼす方向に向かっている。

 

 ただ、ネロとロディネに変化はない。このような情勢下にこうしているのも何だか申し訳ないという気もするが、ロディネがネロの盾の欠片を持っていて、盾が完全ではなく、他の導き手では不都合があるように、もしネロが欠片をロディネに残したまま死んだりしたら、どういう影響が出るか分からない。だから有事はどうしようもないが、今はまだ無理に出る必要はないという色んな人の言葉に甘えている。

 

 ロディネのケアも終わり、ぴぴぴっとお湯が沸いたという報せがなる。ネロは軽く温めたパンとサラダにスープをつけて朝食をとり、支度をした。ぱちりと時計をつければ、そろそろ仕事に行く時間だ。

 コテージの鍵は誰かがいる時は開けているが、今日は誰もいない時間があるから鍵をかけていく。日中不在の間に管制長が先生の顔を見に来ると言っていたけど、管制長はここの鍵を持っているから問題ないだろう。

 

「先生、いってきます」 

 

 ネロはロディネの頬に触れ、犬と共にコテージを出た。

 今日は教務課の戦闘訓練の先生役をする日だ。

 ロディネのあと、総括と兼務になった忙しくなったコルノの代打と、少しでも体を動かせるようにという配慮を兼ねてる……とは言っても所詮は訓練生。戦った事のない子も多いから、体を動かすというほどの事はないが。

 

「何だよ戦闘訓練とか言ってさ。俺らとそんな年の変わらなさそうな奴じゃん。弱そう」

 

 今日はそういうわけではなさそうである。水玉みたいな模様の猫の魂獣が毛を逆立てる横で、他の訓練生に比べたら体格のいい少年が、警戒心剥き出しで腰に手を当てていて、他の訓練生はオロオロしている。

 

「まあ、確かに年は5つくらいしか変わらないね。……でも何か勘違いしてるみたいだから言っとくけど、俺は結構強いと思うよ。一応は公安所属だからね」

「ええっ……嘘つくなよ!」

「何で嘘だって言い切るんだ……じゃあ論より証拠ということで、ちょっと手合わせしてみようか」

「……おう!」 

 

 ここまで無礼ではなかったと思うけど、何か昔の俺みたいだなぁと少し愉快な気分になる。このあとに待っている出来事を考えたら、ウォーミングアップには丁度いい。

 秒時計タイマーをセットしたネロは、訓練所の中央に立ち、まだ若干戸惑っている少年に向かって、くいくいと手で「来いよ」と挑発した。

 手合わせの結果は言わずもがな。負けたことには機嫌を悪くしてぶっすりしている少年だけど、一応は納得してくれたようで、ネロは思わずにっこりし、犬は尻尾を振っていた。

 

 +++

 

 教務課の手伝いを終え、昼から有休を取ってコテージに帰ってくると、前方からレオナルドが歩いて来ていた。レオナルドはグリーディオを滅ぼす戦いでは当然戦力の中心になる。そのため忙しくてほとんど塔には帰って来ていない上に、管制長と管制部長、ついでにビアンカに、ロディネへの接近を禁止されていて、今まで一度も会う事はなかった。

 だけど、今日ネロは管制長に頼んでレオナルドを呼んでもらっていた。

 

「レオナルドさん、こんにちは」

「お前は……」

 

 犬は、一瞬だけレオナルドに警戒して唸るような素振りを見せるが、声を出すことはなくその場に座り、短い尻尾をくるりと足に沿わせた。ネロも少しだけ悪い目つきをしてしまったが、自分に言い聞かせるように瞳を閉じ、改めてレオナルドを見た。

 昏い金髪に金目。立派な体格の立派な獅子を連れた、最強とも言われる番人。そんな存在である人なのに、ネロの目線にどこかバツが悪そうにしている。

 

「お忙しいところ来てくださってありがとうございます。今日、管制長にお願いしてお呼びだてしたのは、俺、どうしてもお話したい事があったからなんです」

「……何だ」

 

 ネロの緊張を感じとったのか、獅子なのに警戒して寄ってこない野良猫みたいな様子だ。まぁこの人にとって、ネロは大好きな餌の前で邪魔をする犬だから、その反応は間違いではない。

 ネロは小さく深呼吸して心の中に染み込ませるように言いたいことを繰り返し、もう一度レオナルドをしっかり見つめ、ゆっくりはっきりと告げた。

 

「言いたいことは1つです。レオナルドさん――あなたが持ってる先生の風切り羽――盾の欠片、それを先生に返してあげてください」

 

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