第20話 先生のつばめ(ネロ視点)


 まだあまり目を集中して使うのはよくないということだが、ネロはどうしても気になることがあり、図書室で図鑑を見ていた。部屋に借りて帰ろうかとも考えたが、ロディネにはあまり見られたくない。だから図書室で読むことにして、明るすぎない真ん中あたりの席をとって座り、図鑑を広げた。

 

 つばめ――

 スズメ目ツバメ科ツバメ属に分類される飛行に適した細長い体型の鳥で、17cm程度の小さな体の割には身体能力は高い。移動で2~3000kmを飛行し、最大の飛行スピードは時速200kmにもなる。逆に歩行は苦手で、巣材などを求めるとき以外で地面に降りることはめったにない。

 

 "飛ぶのが得意"

 

 隣国グリーディオのあの男はふざけた感じではあったけれど、ネロがロディネ以外で初めて会った、鳥が魂獣の人間だった。

 

 あの男のとびは……ちゃんと飛んでいた。

 

 今見ている図鑑によると、つばめというのは基本的に飛びっぱなし。歩いたりはあまりしない鳥らしい。なのにロディネのつばめが飛んでいるところを、ネロは一度も見たことがない。そして――

 

 "戦場を美しく舞い飛んでいたつばめ"

 

 あの男は確かにそう言っていた。

 そしてロディネはその後男に「何かあったか」と聞かれ、明らかに怒っていた。

 

「先生に一体何が……「ネロ、ここにいたのか」

 

 後ろから声を掛けられたネロはびっくりして図鑑を思わず閉じてしまう。集中しすぎてて全然気付かなかった。

 

「……ちょっといいか?」

「いいけど。どうしたのエルンスト」

「ここでは何だから……自習室……いや、僕の部屋でもいいか?」

「いいけど」

 

 つばめの項目について読み終わって図書館での用は済んだから、移動するのは別にかまわない。ネロは図鑑を元の場所に戻し、エルンストについていったのだが――

 

 +++

 

「ネロ、正直……公安に入る気がないならロディネ先生の交代を申し出ろ」

「いきなりどういうことだよ」

「どういうことも何も、そのまんまだ」

 

 生活感がないとまではいかないが、性格を表したようにきっちり綺麗に整えられたエルンストの部屋で話し始めてすぐ、ネロは怒ることになった。

 

「君は番人としての能力が高くて公安所属になれる価値があるからこそ、ロディネ先生がついてるんだ。公安に入らないのは、好きにすればいいけど……公安を目指さないなら交代を申し出て欲しい。ロディネ先生の代わりになれるような導き手はいないから」

「そんなわけないだろう」

「ある。いないんだよ」

「ええ……?」

「ロディネ先生ほどの導き手で、絆を結んでいない導き手は、現在アニマリートにいない」

「ロディネ先生の代わりがいないなんてそんな事あるのか? 仕事で替えが効かない役があるなんておかしいだろ」

「だから、いないと言ってるだろう。ネロが公安に行くつもりがないなら、ロディネ先生が宛がわれるのは勿体無さすぎる。君に宛がわれなくなれば先生はそろそろ公安に戻すという話が出ているそうなんだ」

 

 ロディネはそんなこと、一言も言っていない。大体あんなことがあったばかりで怒り心頭のロディネが公安に戻るわけがないし、そもそもエルンストがどうこう言うことでもない。

 

「公安の人も何にも悪いと思ってなくてさ、俺にもレオナルドさんみたいになれるからとか適当な事を言うけど……先生達が怒ってる程じゃないけど俺は死にかけたんだよ?」

「……公安は待機してたし、結果的に無事で、ネロはすごく能力が上がったじゃないか」

「死にかけたのは無事だなんて言わないだろ!? 大体エルンストは何様だよ? 憧れてるのはエルンストの勝手だけど・・・・・公安の味方……手先みたいなことを俺に言ってくるなよ!」

「――黙れッ!」

 

 突然怒ったエルンストの拳が顔の横を掠める。何がスイッチだったかは分からないが、真面目で冷静なエルンストが怒っている。それでもネロは間違ったことは言ってないと思うし、先に手を出したのは向こうだ。ネロは深く溜め息をついてエルンストを睨んだ。

 

「先に手を出したのはエルンストだからな。怪我しても文句言うなよ」

「いくら能力があったって、目標も何も定まっていないような奴なんかに負けるものか」

 

 二人が睨み合うと、魂獣の犬二匹もぐるるぐるると牙を剥く。

 

 ただ、お互い軽い牽制で蹴ったり拳を振るって避けたり受け流しているが、能力を使わなければネロはエルンストには勝てない。喧嘩を売っておいて負けるのはあまりにも格好悪い。


(使うなって言われたけど……ちょっとなら……)

「エルンストー? そこにネロいるかー?」

 

 ネロとエルンストがお互い手を出した絶妙なタイミングで、ノックの音とロディネの声がする。どうしてここが分かったのだろう。二人は動揺してお互いの攻撃を喰らい、派手な物音を立てて家具にぶつかり転がった。

 

「――おい! 何してるんだお前ら!!」

 

 物音を不審がったロディネが部屋に入ってきて怒り、喧嘩は強制終了となった。

 

「一体全体何がどうなって喧嘩なんてしてるんだ!? ネロはまだ領域崩壊時の不調が完全に抜け切れていない、君だって、だいぶ治ったとはいえ本調子じゃない。分かってるだろ?」

 

 最初こそ怒った口調だったロディネは、すぐそれを引っ込めて優しく諭すように、エルンストに話しかけている。ロディネに諭されるように叱られているエルンストの犬は、本人と同じように項垂れて伏せのポーズでじっと微動だにしていない。

 対してネロの犬は神妙な顔はしているものの、普段毛繕いされているポーズだ。犬的には違いがもしかしたらあるのかもしれないけどネロには分からない。顔だけはしゅんとして神妙だがいまいち真剣みがなくて、一気に力が抜けた。見ればロディネのつばめは毛繕い……かと思いきや、ネロの犬の腹をつんつん突っつき、なんならちょっと毛を毟って怒っている。


(あ、ヤバい。先生まだ全然怒ってる)


 これは覚悟しておかないと。そう思っているとエルンストがぽろぽろと泣き始めた。突っかかられて泣きたいのはこっちだと一瞬思ったが、普段真面目で人前ではとても泣いたりしそうにないエルンストが泣いている。そう思うとネロの怒る気持ちはしゅるしゅるとしぼんでしまった。

 

「正直、僕はネロが羨ましい。僕は公安で……出来れば特務に入ってアニマリートに貢献したいと考えてるので……でも今のままじゃ無理だって、言われて、ネロに八つ当たりしました……」

「それをきちんと認められるのは大人でもなかなか出来ない。エルンストは偉いな」

 

 ロディネはエルンストの涙をハンカチで拭いて頭を撫でる。渡されたハンカチでエルンストは泣き声が漏れないようにしながら泣いていた。

 

「番人や導き手の能力はまだ子どもの君ならこれが全部じゃないし、本来人と比べるものじゃないってことは忘れないで欲しい。でもここにいると能力が数値化されちゃうし切磋琢磨と言えば聞こえはいいけど君みたいに目標がはっきりある子は焦るよな……ネロ、悪いけどもし大丈夫だったら、教務課行ってコルノを呼んできてくれないか?」

「分かりました」

「……ネ、ロ……ごめん」

「……いいよ」

 

 部屋を出る時、ロディネはエルンストの片手を握って片手で頭を撫でていた。きっと導きをしているんだろう。それを見たネロは何だかほんのちょっと、ほんのちょっとだけ嫌だな、面白くないなと思いながらドアを閉めた。

 

 廊下を怒られない程度に小走りで教務課に向かえば、もう訓練は終わっている時間だから職員はほとんど部屋にいて、コルノもその中にいた。

 ネロは簡単に何があったか話して、ロディネに言われて呼びに来たことを伝えた。

 

「エルンストと君が喧嘩!? また一番喧嘩なんか無縁そうな組み合わせで……」

「そんな事ないでしょう」

「いや、あるある。タイプは違っても君らは結構大人だもん。それより知らせてくれてありがとう、あとエルンストがごめんね」

 

 それは謝ってもらったから別にもういい。でも――。

 

「何でコルノ先生が謝るんですか?」

「ネロもここに来るまで色々あったけど、エルンストはエルンストで結構色々あって……そこを僕はケアしてあげなくちゃいけない。だからだよ」

 

 ごつごつした体格の割に優しいコルノの笑顔に、少しだけ影が見えた気がした。ネロはそれ以上何も言わず、コルノと一緒にエルンストの部屋へとまた小走りで向かう。

 ロディネはコルノと交代して、ネロに向かって「飯食べて帰ろうか」と言った。もう怒っている感じはしなかったが、いつもお喋りなロディネもつばめもしんと静かで、ネロも犬も居心地悪くしょんぼりして一緒に食堂へ向かうのだった。

 

 

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