第5話 ジンを騙るもの




神巫かんなぎのもっとも大切な使命は、結界が破られたとき、"契約の契り"により力を得て、結界を新たにはることです』


 何百回何千回と、師匠が繰り返し伝授した宣託だ。


 その度に夜鳴媛は反抗したいような気分になった。内容ではなく、洗脳のように繰り返される、その言葉自体がうさん臭かったからだ。


 契約の契りが神巫の力になるというが、どういう形でなるのか。

 その答えを師匠は知らなかった。ただ、同じ言葉を繰り返し、疑うこともしない。


 契りは想像していた行為とは、まるで違った。

 男女の秘め事を詳細に説明されることもなく、彼に抱かれた。もし、知っていたら、どうしただろう。

 逃げたのだろうか。逃げることができたのだろうか。


 訳もわからないまま婚姻の儀式がはじまり、一連の行為は夢をみているように過ぎた。天祥は注意深く細やかに、壊れものを扱うように優しく彼女を抱いた。

 その結果で力を得たとは思えない。むしろ、弱くなっている。


「やはり、うさん臭かった」

「……? 確かに、この場所には瘴気が立ち込めてますから」

「いえ、その事じゃない」


 天祥が怪訝そうな目つきをしている。


 まさか、昨夜の契りを思い出しているとは言えるはずもない。

 この危険な場所で、あやうい状況で、悲惨な村びとたちの姿を見ながら、自分がもっとも気になるのが、契りの夜だなんて口にできないと夜鳴媛は思う。


 ──わたしは霊力があるだけで、欲望も弱みもある普通の人と変わりない。けっして聖女などになれない、まして聖なる神巫として国を救うことなどできるはずがない。……あの声のせいだ。あの声に呼ばれると、なぜか心が揺れる……。


 あるいは、契約の契りは、この声に反発するためのものなのだろうか。

 ジンの血を引く神巫を、この世に引き留めるためのいかりなのかもしれない。


「まさか……」というつぶやきは、天祥には聞こえなかったようだ。

 

 広場の中央にぽっかりと裂けた亀裂から不気味な気が溢れでている。風がないのに木々が軋み、地の果てから湧いたような咆哮が辺りを震わせる。


 その圧倒的な力を感じながら、夜鳴媛は宣託を頭のなかでつぶやいた。


『"契約の契り"によって力を得て』


「意味がわかったわ」

「夜鳴、何がわかったのです」

「なんでもない。……言えない」


 天祥が魅惑的な目で、まっすぐ夜鳴媛を見つめてくる。その目にはいっさいの曇りがない。


「どうか心配などしないでください。わたしは必ずあなたを守ります。たとえ、どんな事が起きようとも守りきります」


 天祥がそこにいて、決意をもって彼女を守ろうとしている。


 契りの意味を彼女は正確に把握できたと思った。

 なんとしても彼女を守ろうとする彼が、どれほど心強いものなのか。そして、それは、逆になんと哀れなことなのだろう。


 ──わたしを深く愛するよう、彼は幼いころに運命づけられ、仕向けられてきたのだ。


 理不尽に強いられて生きてきたことに、気づいてさえいない。


 天祥との契りのあと、自分が弱くなったと感じた。しかし、同時に隣りに立ち、力強く「守ります」という彼がいれば、どのようなことでも可能な気がしてくる。


「結界をはることは神巫にしかできないことです。そのための時間をわたしが稼ぎます」


 彼が優しい笑顔を浮かべた。


「では、はじめましょう」

「守ることは……」

「それは保証します」

「そうじゃなくて……、もし、相手が手に余るようなら、無理をしないで逃げて欲しい」


 その場にひざまずいて絶命している村人たちの姿。こんな姿の天祥を見たくはない。


『ヨナ、ヨナ、ヨナ〜〜〜。夜鳴よ』

 

 これは逃げるべきなのだ。そう思いながら、彼女は天祥に説明した。


「結界を最初から組みなおすには、まず古い結界を壊して、次に新しく再構築しなければならない。その時、どれだけのものが出てくるか。今はまだ、完全に壊れていないのに、その程度で村びとを全滅するに足る力をもっている相手よ」

「心配する必要はない。はじめましょう」


 悲惨な村びとの姿から天祥へと視線を移し、夜鳴媛は決意するしかなかった。


「では、はじめる! 手を」


 夜鳴媛よなひめの衣がブワリと膨らんだ。


 ふたりは、まるでこれが最後の砦とでも言うように互いの手を取り合う。ふたつの霊気が絡み合い、空間が異界と接続される。


 「

 「


 ふたりの詠唱が重なる。指が絡み合う。


 心を刺すように、他者の記憶が流れ込んできた。


 夜鳴媛よなひめは見た。

 天翔てんしょうの幼い日、異様に厳格な父のもとで、『選ばれし者』として育てられた哀しみを、その孤独を……。


 天翔てんしょうは見た。

 夜鳴媛よなひめが「人ではない存在」によって産み落とされ、幼くして神巫とされた夜、母が火刑に処された光景を……。


 ふたりの魂が交わる。

 その瞬間、結界が解かれた。


 闇が動いた。

 赤黒く、どろりとうごめく黒い影。人とも獣ともつかぬ異形が、彼らに牙を向けて結界から脱出してくる。


「やつらが、来る!」


 夜鳴媛が声を発すると同時に大地が震えた。異様な熱が裂け目から吹き荒れる。


 天翔てんしょうは腰に下げた黒い細剣の鞘を払った――それは、神威かむい銅鏡どうきょうと並ぶ神器のひとつ、天羽々斬剣あめのはばきりのつるぎだ。


「結界が解ける……」


 夜鳴媛は古代の呪文を呟く。

 呪文によって風が巻き起こり、周囲の木々を揺らす。


 呪文の力が空間に干渉して黒い霧が現れ、まるでそれを妨げるかのように神巫の力を封じようとしてくる。


「くううぅ……」


 見えない何かに押されかのように、夜鳴媛の身体が押された。


 結界を失い、周囲の空気はますます不安定になった。その時、裂け目から怪異たちが飛び出してきた。


 それは数えることもできないほどの数、数、数。


「天祥っ!」


 彼女の集中を揺さぶる異形のもの、巨大な爪を持つもの、形を変えながら迫ってくる不気味な影。

 惑わされることなく、夜鳴媛は天祥に命をあずけ、意識を集中させる。




(つづく)

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