第7話 悪夢のような男




 夜陰にともる灯籠の灯りが、板敷きの広間を揺らめかせている。

 儀式後に、贅をつくした祝いの席が設けられたのだ。


 侍従たちが料理をせっせと運んでいた。天祥と並んで祝いの言葉を受けながら、夜鳴媛は奇妙なことに気づいた。


 親の席にすわる者が誰もいないのだ。


 夜鳴媛には親がいないが、天祥の父、莲氏伊支馬れんうじいこまは神祇官で政権の重鎮のひとりだ。儀式を執り行う部署の長でもあり、彼がいないことに異様なものを感じた。


「まずは、一献! 祝着、祝着」


 人びとは契約の契りの本来の意味を忘れたかのように、楽しげに歓談している。

 式典が終わり、誰もが束の間の安逸を楽しんでいるとき、広間の格子戸が乱暴に開かれた。

 足もともおぼつかず、なかば押し込いるように男が乱入してきた。


「すまん、すまん!」と叫びながら、男は大きな酒壷を抱え、中身をあちこちにこぼしながら進んでくる。


 だらしなく着崩れた白いほうは、酒と吐瀉物でよごれ、乱れた髪からえたような濁酒の匂いが漂う。


 座は一瞬で凍りついた。

 歓談の声は消え、広間は緊迫した空気に一変した。揺れる行灯の光だけが、浮かび上がる男の顔を捉えている。


 へべれけに酔った乱入者は五十をいくつか超えたくらいだろう。だらしなく太り、顔は赤黒く酒焼けして、毛穴が開いている。


 まさかこの場に浮浪者が紛れ込んだのか。夜鳴媛はそう考えたのは、男の姿があまりにも乱れてきっているからだ。

 しかし、警備の厳しい屋敷である。そんな不祥事があるわけがない。

 すぐ、自分以外の列席者が誰も驚いていないことに気づいた。


 天祥の顔を見ると、眉ひとつ動かしていない。


「誰でしょうか?」と聞いてるなかでも、男は手にもった酒瓶を上げながら大声で叫んだ。


「ううぅ……、わが息子、わが息子。祝着じゃあ、え? なんじゃあ、祝着というのかぁっ!」


 衣は乱れ、髪は束ねきれずに肩へ落ち、腰に差したしゃくは斜めにずれている。


「わしの息子がぁ……お、おお、おお、ようぞ嫁御かのう……! 美しいのう」


 ぐいっと顔を寄せられ、夜鳴媛は言葉を失った。


 息子?


 夜鳴媛が天祥をふり返るのと、彼の手が守るように彼女に向かって差し出されたのは、ほぼ同時だった。


 天祥を息子と呼んだ男は感極まったのか、その場にへたりこみ、服のすそを踏んづけたまま号泣しはじめた。両の手を天に向けて広げ、嘆願するように叫ぶ。


「神よ、仏よ、この子は、わしの息子じゃあぁあ、ようでけておろう。わしのような負け犬じゃあない……!」


 楽人の音が止まり、誰もが息を呑む。背後にいたナカテがそっと夜鳴媛の袖を引いた。

 侍従が慌てて乱入者に駆け寄り、男といえば彼らの手を払いのけ、杯を高く掲げた。

 それらは同時に起きたが、どこか現実味に欠けており、誰もが、どう動くか迷っていた。迷いを振り切ったのは、やはり男だ。


「今日は、飲め! 飲めいっ! 祝いじゃぞぉ!」


 酒瓶から中身を振りまくと、板の間にこぼれる白濁の液が灯籠の炎に鈍く光る。やがて、重鎮のひとりが一歩進み出て、静かに、しかし威厳をもって言った。


伊支馬いこま殿。ここは契約の儀にござる。情を抑えなされ。場を正されよ」


 男はふらふらと立ち上がろうとしたが、その言葉の重みに崩れ落ちるように、すわり込んでしまった。酒の勢いはもう抜けつつあった。


「……すまぬ。すまぬのぅ……」


 広間の奥深くまで染み渡るような低い声が寂しく聞こえた。

 誰もが言葉を失った。


 天祥が、「失礼します」と、声をかけると静かに立ち上がる。

 大王おおきみに向かい丁寧に一礼をしてから、男に近づき、脇に手を入れた。

 婚礼の儀をぶち壊した父に、彼は怒ることもなく、ただ、静かに片膝をつくと、一言、「父上」とささやいた。

「参りましょう」

「天祥、天祥。わしは、わしは、ただなぁ、祝いをしたいのじゃあ……、わかるだろう。結局なぁ、犠牲となるのがそなただったのだ……」


 その声は、自信なげな囁き声になって消えた。


 宴席はざわめき、こそこそと会話がなされている。


「お立ちになれますか」

「ああ、立てるとも。立てるぞ。ほらな」


 そう言いながらも、酒太りした身体は本人の言うことをきかない。立ちあがろうとした伊支馬いこまは、その場にだらしなく滑り落ちた。


 天祥が目で合図すると、すぐに従者が現れ、彼らに抱きかかえられた伊支馬いこまが激しく抵抗した。


「なんじゃ、わしは」

「父上、どうか」


 彼をなだめる天祥の顔に感情はない。ただ、肩がかすかに震えている。なにかを必死に耐えているのだろう。何に耐えているのか。父の醜態か、それとも、自分の運命か。


 天祥と従者によって両脇を抱えられ、伊支馬いこまは広間から出ていった。


「ナカテ」と、夜鳴媛は小声でつぶやいた。

「調べてまいれ」

「かしこまりました」


 ナカテが去って、しばらく天祥が戻ってきた。

 髪が乱れ、衣の胸もとがゆるく開き鎖骨が見える。外でなにがあったのかわからないが、彼の身体から酒の匂いがした。


 乱れた、その姿から清艶な色気が立ち昇っている。

 夜鳴媛は一瞬たじろぎ、笑みを浮かべて静かに聞いた。


「飲まれたのですか?」

「少し」


 彼女は自分の前にある膳から盃を取ると、なみなみと酒をついだ。


「わが夫に盃を捧げます」


 天祥は空気のようにふわりとすわった。彼女の意図を知ったかのように、盃を取り、かすれた声で唄うように答えた。


「これは……、祝杯の盃か、では幸せの味だろう。あなたと共に飲み干そう」


 場は一瞬張り詰めたが、次第に笑いと歓談が広がっていく。先ほどの父親の乱入など、まるでなかったかのようだ。


 

 

 宴がたけなわになった頃合い、早すぎも遅すぎもしない時を見計らったように、天祥は立ち上がると告げた。


「今宵は風が強く。嵐が近づいているようです。われらは、これにて下がらせてもらいます」


 そうして、彼はふらふらと酔ったふりをして立ち上がり、夜鳴媛よなひめに手をさしだした。その手を握るべきかどうか、彼女は迷った。


「良き夜を過ごせ」


 大王おおきみの祝福に全員が笑いを添えた。

 足もとをふらつかせながら、天祥は彼女の手をしっかりと握り広間を後にする。


 戸口までくると、雨音が聞こえた。

 風も強く、嵐が近づいているのだろう。


 混乱と微笑が交差するような日。

 彼女は心の奥底にわく何かをかみしめた。荒々しく、どこか常識を越えた夜は、この日の祝宴にふさわしいにちがいない。


「風が強い」


 天祥が低い声でつぶやいた。その声に酒の匂いはしなかった。




(つづく)

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