第2話 散乱した神の器




 その夜──


 夜鳴媛よなひめは、禁足の間へと足を踏み入れた。

 斎宮の地下にあるその場には、古代から伝わる神器『神威かむい銅鏡どうきょう』が封じられている。


 それは神の意思をうつすものではなく、神に捨てられし過去を映す忌まわしき鏡だと伝えられた。


『この神託を、けっして書き残してはなりません』


 夜鳴媛の先代はそう命じたが、そもそも要領を得なかった。

神威かむい銅鏡どうきょう』がなんなのか。なぜ、守る必要があるのか。

 おそらく、先代も聞いた通りに伝えただけで、実際には理解していなかったにちがいない。


『……神と讃えるモノの本質は鬼神です。、は善神であり悪神でもあるのです。阿修羅アシュラのごとく二面性をもつ神は、ふたつであって、はじめて神のごとき能力を発揮します』

『ふたつとは? 師匠。阿修羅は三面ですが』


 それを言ったときの、師匠の困った表情を思い出す。彼女は唇を噛むと、すぐに話をはぐらかした。


『もうひとつの銅鏡も存在します』

『では、もうひとつを誰が祀っているのでしょうか』

莲氏れんうじです。この、ふたつの神威かむい銅鏡どうきょうに変化があったとき、不死が蘇り、そして、選ばれると聞きました』

『選ぶ』

『選ぶのではない。どちらかが選ばれるという意味です』

『では、選ばれなかったものの行く末は?』

『死……』


 師匠は、どこか寂しげな様子で告げた。

 狭い斎宮内で育ち生きてきた師匠は、その人生を無為のままに終えることになった。


 今日の勅使が訪れるまで、夜鳴媛よなひめも諦観するように自分もそうやって生きていくのだろうと思っていた。

 弟子を育て、口伝をつたえ、奥義の書物を学ばせるのだろうと。


 師匠は、その最後の時を迎え、『銅鏡に何か見えるか?』と、わずかな希望を持ちながら聞いた。

『何も』

『そうか。最後の最後まで、一度として、この鏡は人型をうつしたことはない。わしに見えるのは、ぼうっとした影のみであった』


 その声に安堵を感じたが、一抹の寂寥感も含まれていた。


 ──わたしが見えるものも常に変わらない……、それは悪神でも善神でもない。もっと深い、の断片。


 契約の契りを命じられ、頭に浮かんだのは『神威の銅鏡』に変化があったのかもしれないということだ。

 師匠は生涯をかけて銅鏡を守り、何かが起きることを畏れ、同時に期待もしていた。


 斎宮の一部、祓殿はらえでん奥にある秘密の裏口から禁足の間に降りたとき、夜鳴媛もわずかに期待した。

 なんらかの啓示、あるいは、変化が現れると。

 彼女は閉ざされた世界で、ただ祈りを捧げる日々に倦んでいた。

 もともと活発で好奇心の強い性質なのだ。


 いつか、時期を見て逃げ出すまでは、おとなしく従うしかない。厳重に警護された斎宮は霊力を抑える結界がはられ、彼女の能力は地下でしか発揮できない。

 斎宮から出ることができれば、逃亡は叶えられない夢ではないだろう。


 湿っぽい階段を降りた先に祈りを捧げる『禁足の場』がある。

 今宵もこれまで同様に変化はない。永久に消えることのない、薄ぼんやりとした灯りに照らされ、聖堂の正面に祀られた銅鏡に変化はなかった。


「やはり同じか。ぼんやりとした人型のような影だけ。何も見えない」


 夜鳴媛よなひめは、そっと指を伸ばす。

 と、指先が神威の銅鏡に触れた瞬間、視界が反転した。



 ……血に染まる神殿。


 炎に焼かれる女たち。

 鬼神のような形のものが少女の胎にを植えつける光景。


 ──あれは……、母!?


 彼女は自分の記憶にはない何かを

 いや、それは『彼女の内に眠る血』が、鏡を通して語りかけてきたのだ。


 ──わたしは鬼神の血を引いている。


 そのモノの名は『ジン』。

 ジンでありジンであるもの。


 次の瞬間、現実の世界に戻っていた。

 全身が震えるほどの恐怖を抑えられない。

 

「これは……」


 思わずもらした声が空にとどまる。


 銅鏡に触れる指先が火傷しそうなほど熱い。その時だった。銀青色に輝く彼女の髪が、正面から強い風にあたったように大きく広がった。

 と──、鏡の表面にひびが入り、パリンと音を立て砕け散る。

 銅でできた鏡が簡単に割れるはずがない。

 何かが目覚めたのだ。


 床に散らばった破片に触れることもできず、彼女は深い吐息をもらした。


「では、この契りは逃れられぬことなのだろうか。莲氏に嫁ぐことが、わたしの定めか?」


 声に出して問うてみたが、答えるものは誰もいない。


天祥てんしょうとは、どんな男だ。わたしとの契りを諾々と受け入れる男なのか。誰ぞ答えよ」


 まるで、わざとのような静寂が取り残されている。


 ほぅっと、彼女は緊張を解いた。


 ナカテから得た情報では、彼の父は莲氏れんうじ伊支馬いこまという。大和政権の最高権力者のひとりだが、息子である天祥は、そのコネを使わず実力のみでのしあがったという。


 国の司法全般を管轄し、警察の役割を担う刑部省に十代で入省し、その後、きょう(最高責任者)にまでのぼり詰めた。


 噂によれば、容赦のない性質で、時に罪人を斬首、処罰するになんの躊躇ためらいもない。その冷酷無慈悲な姿に鬼神という俗称がついたと聞く。


 現在は二十五歳。

 政権の要職につき、刑部省も傘下に置いている。

 つまり、後暗いものをもつ官吏にとって恐怖の象徴であり、魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする朝廷のなかで、もっとも恐れられている男だ。


「鏡が割れたのだ。弱い男でないだけでも、それは僥倖ぎょうこうかもしれない」




 地下から戻るとナカテが控えていた。


「お顔の色が悪いですが、何かあったのですか」

「ナカテの言う悪いとは意味が違うが。これは、運命から逃げてやるという方の悪い顔よ」

「おそれ多くて言葉もありません。わたくしと媛さまでは、常に意味が微妙にすれ違っている気がします」

「頼りがいのあることだ」

「ありがとうございます」

「褒めてないっ」


 ふたりは同時に吹き出したが、しかし、目は笑っていなかった。




(第1章完結:つづく)

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